第8章 南征 2
漢(蜀漢:しょっかん)は、それからしばしの平和な年月を過ごした。
孔明はよく劉禅を助け、国力の充実は目を見張るばかりだった。
劉禅が即位してから二年目の春、南方からの早馬が丞相府を訪れ、南蛮国の王、孟獲が辺境を侵略してきたことを告げた。孔明は劉禅にまみえ、自ら兵を率いての南征を申し出た。劉禅は孔明の身を案じ、心細げだった。
「私がいなくても、四境の守りは十分に固めてあります。何も憂うることはございません」
劉禅の許しを得ると孔明は直ちに軍を組織し、出陣の準備にかかった。だが今回壱与は救陣に加えられず、成都に残ることと決められた。
「丞相閣下。崔貴人がお越しでございます」
孔明の出陣が決まってから初めて、壱与は丞相府に孔明を訪ねた。もう出陣は明日に迫っていた。
「閣下。慈薬院の総力を挙げて、私の知り得る限りの、南蛮の風土病に効くと思われる薬を調合しておきました。どうぞお持ちになって下さいますように」
「お心遣いありがとうございます・・・崔貴人」
孔明には意外なことに、壱与はとても穏やかな表情だった。
「姫・・・お尋ねに、ならないのですか?」
孔明のその言葉を聞いたとたん、それまで公人として生真面目な顔をしていた壱与が、微笑して孔明を見上げた。
「尋ねたら・・・お答え下さいますか?」
それはもちろん、孔明が壱与を従軍させない理由のことだった。
戦となれば壱与が救陣に加わることは、今までは衆人承知のことであったし、兵たちもそれを望んでいた。皇帝になった劉備が、自ら呉の国に出陣した時以外は、すべての戦に従軍してきた壱与であった。刺客に襲われ瀕死の重傷を負ったのは二年も前のことであり、皇帝劉禅の特別の計らいもあって十分な治療を受けた壱与は、もう健康面での問題もないはずだった。救陣で働くことを自らの天命としている壱与のことを、十分知っているはずの孔明がそうしなかったことで、壱与が異議を唱えに来るのではないかと孔明は予測していた。
しかし今、目の前の壱与は、穏やかな表情のままだった。
「それは・・・実は、馬謖にも進言されました。あなたを救陣に加えた方が、我が軍に有益であると・・・」
馬謖は孔明の愛弟子だったが、今までずっと壱与の親衛隊におかれており、今回の南征でようやく念願かない、孔明の幕僚に加えられたのだった。
「それでも私をお連れにならないというのなら、孔明様には別のお考えがあるはず・・・私はそれに従うだけです」
媚びているのでも、卑屈になっているのでもなく、壱与はごく自然にそう言った。
孔明はそんな壱与に対しながら、形容しがたい不思議な安堵感を覚えていた。
「何というか・・・あなたに抗議されると思っていましたが、それでもどこかであなたが、何も言わなくてもわかって下さるとも、思っていたような気がします」
そう言われて、壱与はさらに口元をほころばせた。
「私が閣下に再会してから、十五年以上経ちます・・・それだけおそばにいれば、私でも少しは孔明様のお考えを、察せるようになります」
「十五年・・・そんなに、なりますか」
「ええ・・・」
十五年・・・何と目まぐるしく過ぎたことだろう。
その間に、一介の荊州牧でしかなかった劉備は皇帝となり、そして崩御し・・・荊州以前から付き従ってきた者たちも前後して没し、次代に代替わりをしている。共に昔話のできる者も、もう決して多くはなかった。
少し遠くを見る目をして、それから再び壱与はすっと真面目な顔になって言った。
「南蛮は風土気候もただならぬ猛暑の地・・・どうぞお体をお大切に。丞相閣下・・・孔明様」
「本当にありがとう。崔貴人・・・壱与姫」
翌日孔明は数万の兵を率いて、南蛮へと出征した。
帝国の丞相である孔明が、たかだか蛮族討伐のために自ら出向く必要なしという声もあったが、孔明はこの討伐を重視していた。いつか近い将来魏征伐を果たすためには、そのとき背後の南から蛮族に侵略されては、帝国を守れず魏征伐に重大な支障をきたす。つまり今回の出陣は単なる蛮族討伐ではなく、何としても南蛮国を統治下に収めて、魏征伐のときの後顧の憂いを無くさねばならなかったのだ。
漢の軍勢は孔明の指揮のもと、早々に孟獲を捕らえた。この当時の未開の蛮族など、漢軍の敵ではなかった。しかし『心服させねばいったんは帰順しても、また必ず反乱を起こす』と思っていた孔明は彼を釈放し、戦って捕らえてはまた放すということを四度も繰り返して、戦はすでに半年近くになっていた。
「閣下、このようなことを繰り返していては、兵たちの士気は落ちるばかりでございます」
だがまだ孟獲は心服していない。孔明は馬謖の言にうなずくと書をしたため、成都に早馬を飛ばした。
漢軍の兵たちが孔明のやり方に不満を漏らし始め、南蛮の真夏の慣れぬ暑さにもあえいでいたある日、成都からの一行が到着した。孔明以下将軍らが陣頭で出迎えた。
中央の馬車の扉があき、戦場に似合わぬ物腰の人物が、猛暑の中の一陣の涼風のごとく、ふわりと降り立った。
「崔貴人だ!」
「命婦様だ!」
兵たちが口々に叫ぶ中、壱与は孔明の前に歩み出て、優雅に拱手拝礼した。
「お久しぶりでございます。丞相閣下」
「崔貴人。このような南蛮の地へ、呼びだてをして申し訳無い。・・・あなたが必要な時が、来たのです」
壱与は極上の笑みを、孔明と兵たちに向けた。
「私がお役に立てるのでしたら、どのようにでもお使い下さい」
孔明は壱与を新たに救陣副校尉に任じ、命を受けた壱与はただちに救陣へと向かった。
『救陣の神女将軍、崔貴人が来て下さった!』
孔明の読みどおり、兵たちの士気は上がった。
このとき壱与は女の三十路になっていた。だが清雅な美しさは、歳とともに増しているようでさえあった。
孔明率いる漢軍は、勢いに乗じてさらに南へと行軍を続けた。
しかしなかなか心服しない孟獲を六度目に捕らえてまた放した直後、盤越(現在のミャンマー)に近い高温多湿の地に達していた漢軍に、風土病の熱病が大発生してしまった。
長引く戦と慣れぬ気候で疲労の色が濃くなってきていた兵たちは、つぎつぎ高熱やけいれんを起こし、意識不明となり命を落とす者も出始めた。壱与は不眠不休で薬草を探し、薬を調合し、兵たちの手当に奔走した。しかし熱帯の病は救陣校尉の呉普にも壱与にもわからないことが多く、知らぬ土地では薬草探しも困難を極め、薬の不足のため必死の看病も効をなさず、亡くなってゆく兵も少なくなかった。
「ああ、こんなことになるなど・・・。すまない兵たちよ・・・私を許してくれ・・・」
孔明の該博な知識を持ってしても、病だけは解決できない。
そんなある日、本陣の孔明のところに、救陣の壱与からの伝令が届いた。
『何者かが閣下を呼んでいます。この先の密林の奥の窟へ行かれますよう。よい手立てが得られるかもしれません』
孔明は壱与の予見に従い、一人密林へ向かった。
窟はすぐに見つかった。
「これは・・・伏波将軍の石像ではないか・・・」
伏波将軍とは、後漢のはじめに南蛮を征し、土地の人に慕われた馬援将軍のことである。孔明はその石像の前にひれ伏した。
「将軍・・・我不肖にして兵たちを徒に苦しめ、死に至たらしめし・・・。何とぞ、何とぞ我が命を持って、かわりに兵たちを救いたまえ・・・」
孔明が涙してその面を上げた時、後ろに一人の老翁がいて孔明に呼びかけた。
「あなたは・・・?」
老翁は通りすがりの土地の者とだけ答えて、熱病に効く茯苓という薬草が大量に生い茂る場所を教えると、名も告げずに立ち去った。孔明は神廟のお告げと信じ、教えられた場所に向かった。
そこには一人の隠士がいて快く案内し、孔明は十分な量の薬草を手に入れることができた。壱与をはじめ救陣の衛生兵がつぎつぎ薬草を煎じて薬を作り、病んだ兵に与えると、彼らはたちまちのうちに回復した。
「ああ、本当によかった・・・」
回復してゆく兵たちを見ながら、孔明は大きな安堵の息をついた。
その後ろで壱与も天を仰ぎ、伏波将軍の霊にしばし感謝の祈りを捧げた。兵たちの手当に追われ眠る間もなく、ずっと張り詰めていた神経の糸が、ようやく緩んだ。
「崔貴人・・・壱与姫。本当にありがとう・・・。御苦労でした」
孔明が壱与を振り返って言い、それに応えて一礼した壱与の体が揺らいだ。
「姫・・・!」
孔明が受け止めたその体は燃えるように熱く、壱与は意識を失っていた。
「いかがなされました?」
様子を見に来た呉普は、壱与を見て顔色を変えた。
「これは・・・!」
呉普が驚いたのも無理はなかった。
今度は壱与本人が熱病にかかってしまったのだが、ひどい過労が拍車をかけて、壱与は稀にみるほど重症だった。兵たちには効いた薬草も、壱与には効を奏さなかった。高熱は一向に下がらず、意識は昏迷を続けた。孔明は壱与を成都に帰そうと思ったが、今の状態では壱与は途中で死んでしまうかもしれない。救陣の奥で、壱与は重病の床に伏してしまったのだった。
だが、まだ戦いは終わっていない。孔明は壱与のことを呉普に頼み、陣頭に戻った。




