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第4章 入蜀 1

 翌日、劉備りゅうび軍は益州に向けて出陣した。留守番役の孔明こうめい以下諸将と、多くの領民たちが城門で見送りをした。

 尚姫しょうきは悲しみをこらえて、劉備に送別の挨拶をしていた。惠姫けいきも慈児所の子供たちに囲まれ、別れを惜しんでいた。

 惠姫が愛馬に乗って行こうとしたその時、人波を縫って尚姫が駆け寄って来た。

「惠姫!」

「母上様・・・!」

 惠姫は一度馬から降りた。尚姫は惠姫を強く抱き締め、その耳元に告げた。

「本当に行ってしまうのですね・・・惠姫。こんなときに言うことではないかもしれないが・・・何か胸さわぎがするのです。そなたと、もう会えないような・・・そんなはずはないと思いたいのに・・・」

 この出陣にあまりよい予感がしないのは、惠姫には初めからであった。しかしそれであればなおのこと、自分は劉備のそばにいなくてはならないと思っていた。

 惠姫も尚姫の背に腕を回して、抱き締め返した。

「母上様、たとえどんなに離れても・・・私の心はいつでも尚姫様のおそばにおります」

「私もです、惠姫」

 二人は改めて友情を確かめあった。しかしやはりそれが、二人の永遠の別れとなった。

 

 出陣から数ヶ月後、益州の葭萌関かぼうかんに駐屯していた劉備のもとに、孔明からの急な知らせが届いた。尚姫が江東へ連れ戻されたというのだ。孫権そんけんは母の呉国太ごこくたいが病気だという口実で尚姫の孝行な心を利用し、周瑜しゅうゆのあとをついで大都督となった魯粛ろしゅくに命じて、尚姫とともに阿斗あとまでも連れ去ろうとしたのだ。途中でその陰謀に気づいた尚姫は、我が身と引き換えに何とか阿斗だけは、荊州に留めることができたのだった。

 惠姫は夢占ゆめうらによって、そのことをすでに予知していた。もちろん悲しくはあったが別離は戦世いくさよの定めであったし、どんなに離れてもと誓った友情が、わずかでも心の支えであった。それに実はその後の劉備軍は、それどころではない事態だった。


 尚姫が連れ戻されたと聞いた龐統ほうとうは、孫権の荊州攻略が迫って来たと感じた。そこで益州乗っ取りを急がねばならぬとあせり、張松ちょうしょうとともに劉備軍に挨拶にきた劉璋りゅうしょうの暗殺を図った。結局は劉備が気づいて未然に防がれたが、荊州を守るにはやはり益州を奪うしかないとついに龐統が進言し、義を重んじてそれを拒否する劉備と折り合わなくなって来ていた。そしてまさにその折りも折り、張松が龐統に送った書状が劉璋に知られ、二人で気脈を通じて劉備に益州を渡そうと図っていたことが発覚するという大事件が起こった。劉備が援軍に来たのは益州を奪うためだったかと劉璋は激怒し、張松は反逆罪で斬首となってしまった。そのため劉璋と劉備の間で戦が始まるのは避けられなくなり、劉備軍は益州で孤立してしまったのだった。


 そのころ、天文に精通している荊州の孔明は、不吉な星、罡星こうせいが西の空、つまり益州の方角に現れたのに気づいていた。

「・・・極めて不吉な星だ。殿か、龐統殿か、誰の星かはわからぬが・・・。あの星はまちがいなく益州の殿の軍に、災いをもたらす・・・」

 孔明はそのことを伝えるため、劉備のもとへ伝令を遣わした。

 孔明の天文の正確さをよく知っている劉備は、さすがに狼狽した。そしてまさにその時、劉備軍は、益州の涪城ふじょうですでに戦の中にあった。劉備にとっては不本意であったが、もうやむをえなかった。すべては龐統が望んだとおりになっていった。


 惠姫は孔明の天文のことを劉備から聞いて、不安を隠しきれなかった。さらに惠姫の夢占にも、ついに凶兆が現れた。それは森の中で木々が突然音を立てて、途中から折れてしまう夢だった。途中で折れる木は、横死の意味を持っている。しかも一本でない木は、一人だけのこととは限らないのだ。それは惠姫の身近な誰の死のことなのか・・・。

 不安の念は、日を経るごとに惠姫の心に重くのしかかってきた。それに惠姫には龐統のことも不安だった。孔明と同じくらい天文に長けているはずの龐統が、この凶星に対してあまりにも楽観的なのだ。惠姫には龐統の本意が分かりかねた。

『それに・・・あの絵図面のこと・・・』

 信じられないが、まさか龐統は劉備を差し置いて、益州の牧におさまるつもりなのでは・・・。龐統の楽観的言動を伝令から聞いた荊州の留守役の諸将も、惠姫と同じような疑いを持ち初めていた。

 

 戦は最初のうちは多くの投降兵を得て劉備軍に有利に展開し、涪城を軍の本拠地としてより益州の州都、成都せいとに近い城まで攻め上ることができた。しかしそこから戦局が反転しそれ以上攻め上ることができず、長期戦の様相を呈してきていた。戦は日に日に激しさを増し、救陣きゅうじんの惠姫は負傷兵の手当に奔走していた。

 劉備軍は苦戦していた。老将黄忠こうちゅう斥候せっこう隊が劉璋軍の待ち伏せに合い全滅寸前となり、その中で将軍の楊延ようえんが深手を負い、かわりに荊州から趙雲子龍ちょううんしりゅうが呼ばれた。さらに楊延が救陣で伏してしまった直後、その救陣が火矢の奇襲にあってしまったのだった。



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