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第3章 思慕 2

 それからしばらくして、劉備りゅうびにとって非常に喜ばしい出来事があった。孔明こうめいの学友で、孔明と並んで臥龍・鳳雛(ほうすう:鳳凰の雛=臥龍と同じく、未だ世に出ぬ大人物)とたたえられる龐統士元ほうとうしげんが、孔明と同じ軍師中郎将として劉備の陣営に加わったのだ。

 劉備の命で内侍令ないしれい惠姫けいきが直々に、新参の龐統の世話をすることになった。龐統は公女が自分の世話係になると聞いて驚き、そして孔明から惠姫の複雑な身の上を聞いた。しかし会って見た惠姫は少しも過去の陰りを感じさせない、明るく気丈な姫だった。龐統は惠姫と話すうちにその聡明さに感心し、また惠姫の作り上げた荊州城奥向きの職制や、三つの慈所の無駄のない見事な運営に感嘆した。


「姫が男児であれば、私の弟子になってもらうものを・・・」

 同じ軍師でも、惠姫がそばに立って話をする時、首が痛いほど見上げねばならない長身で、色が白く端整な風貌の孔明とは好対照に、背が低く赤ら顔の龐統が、太い眉にひしゃげた鼻でおおげさに肩をすくめて言うと、戯れ言の一つにしか聞こえない。

「・・・士元様は御冗談を。私のしているのは、たかだか女子おなごの仕事です。軍を動かす能などございません」

 惠姫は微笑しながら答えた。

「姫、私は本気で言ってるのだよ。あれだけの人を上手に動かせるのだ。軍師には向いていると思うのだがな・・・」

 龐統はめったに敬語など使わず、公女の惠姫にも実の娘か妹にでも話すように、気さくな話し方をするのだった。

「女子の軍師など聞いたこともございません。士元様、私は何の役割が自分に合っているのか、心得ているつもりです」

「・・・それは孔明に言われたことであろう。だが私は孔明が知っているより、姫にはもっと才があると思っている」

 惠姫は困ったようにほほ笑むしかなかった。

 いかに才があろうと女子の身であるし、尚姫しょうきならともかく惠姫は、およそ戦など似つかわしくない風情の姫だった。

『本当にもったいないものだ・・・』

 龐統は本心からそう思っていた。


 惠姫を気に入った龐統は、世話をして貰いながら惠姫と親しくよく話していた。

 日々が過ぎて行くうちに、ごく稀にではあったが惠姫がふと見せる寂しげな表情があることに、龐統は気が付いた。それは片恋をしている乙女たちの見せるそれに、よく似ているように思われた。

 ある日龐統は惠姫に、冗談めかして尋ねてみた。

「姫には、だれか好いた人がおありかな」

 卓子たくしに芙蓉を生けていた手が止まり、惠姫は穴があくほど龐統を見つめた。

「・・・また、士元様はいつもご冗談が過ぎます。私は巫女みこです。色恋とは無縁の身でございます」 

龐統は意外な気がした。確かに惠姫は心の奥で誰かのことを想っているはずなのだ。でなければあんな表情はするまい・・・。恐らくそれは惠姫自身、まるで気づいていない想いなのだろう。

「いや、すまんすまん。しかし姫にはあれほど多くの求婚者がおられるというのに、姫の心を動かすような男子おのこは、一人くらいいないものかな」

 劉備がいくら惠姫が巫女だと言っても、なら何としても還俗してくれと、求婚者はあとをたたないのだ。

 惠姫はすっとまじめな顔をして答えた。

「士元様だっておわかりでしょう。あの方たちが私を、愛しているわけではないことが。あの方たちが欲しいのは私の外身、私の姿をした人形・・・中身などどうでもいいのです。私が玄徳げんとく様の娘でなく、またもっと醜い姿であったなら・・・あの方たちは私に求婚したりは、なさいません」

 別段そのことを気に病んでいる風もなく、淡々と惠姫は答えた。そのことが寂しいわけではないのだ。その他の何が、惠姫のあの表情を作るのだろうか・・・。

「・・・ふむ・・・」

 花を整え終わると、一礼して惠姫は辞して行った。龐統はその後姿を見つめながら、しばし考え込んだ。


 軍師中郎将となった龐統はさすがの英知をもって、曹操そうそうから荊州を守る大きな助力に成功した。曹操は荊州攻略に先駆けて漢中、益州攻略を手掛けようとしていた。漢中の大守張魯ちょうろは曹操に対抗するため、となりの益州を勢力範囲にしようとした。益州牧(州の長官)の劉璋りゅうしょうは困った末、曹操に頼んで漢中の張魯を滅ぼさせようと、別駕(べつが:牧の補佐官)の張松ちょうしょうを曹操のところに遣わしたが、成果が得られなかった。

 そこですかさず龐統が、張松を荊州へと迎えた。

 張松は龐統の説得と、実際に目にした劉備の人柄や家臣たちの団結ぶりに心を打たれ、ついに龐統に益州の要塞、食糧庫まで明らかに書き記した絵図面を渡した。実は張松は劉璋が主君たる器量に乏しいことを嘆いており、劉備にこそ益州の牧になって欲しいと決意して、偽りなき心の証しとして龐統に絵図面を渡したのだった。


 何も知らない劉璋は、曹操に漢中を攻めさせる策に失敗して、また張松の献策もあって次には劉備に援軍を要請した。荊州城ではすぐに作戦会議が開かれ、龐統は益州への援軍出兵を積極的に勧めた。この機会に絵図面を利用して有利にことを運び、何とかして劉備に益州を手に入れさせるつもりだったからだ。

 しかし龐統は張松から絵図面を渡されたことを、誰にも言わず隠し続けていた。最初から益州の乗っ取りを企んでいることが万が一劉備にばれれば、同じ劉姓を持つ劉璋への義に厚い劉備は、激怒して出兵をとりやめてしまうことがわかっていたからだ。

 そして結局劉備は龐統を伴い益州に援軍に行くこととなり、孔明以下関羽かんう張飛ちょうひ趙雲ちょううんは荊州の留守番役に決まった。

 孔明は龐統があまりに熱心に出兵を勧めるのが、気掛かりでならなかった。


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