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第2章 公女 6

 それから幾日かたったある日、劉備りゅうび孔明こうめいを伴い荊州城の廊下を渡っていた。廊下の先に、江東の衣装をつけた尚姫しょうきの後姿が見えた。

「尚姫」

 劉備が呼びかけると、振り向いたのは果たして尚姫と見えたが、実は惠姫けいきであった。

「お父様、孔明様」

 華やかな江東の衣装を身にまとい、惠姫は美しく着飾っていた。劉備も孔明も驚いて尋ねた。

「惠姫、どうしたのだ、それは・・・」

「私には、似合いませんか?」

「いや、そうではない。とてもきれいだ、姫」

 劉備の言葉に、惠姫は面はゆそうにほほ笑んだ。

「母上・・・尚姫様が私に下さったのです」

「何、あの尚姫が・・・」

 劉備には驚きだった。劉備がどんなになだめすかしても、今までは尚姫は惠姫を嫌いだと言って憚らなかったのだ。

 そのとき反対側からその尚姫がやってきた。尚姫も惠姫とそろいの衣装を着て、惠姫を見てほほ笑んでいる。

「とても似合っていますよ、きれいですね、惠姫」

 惠姫も尚姫に笑みを返した。

「ありがとうございます。母上様も・・・」

「あなた、惠姫をよくご覧になって」

 二人の睦まじい様子に、劉備はすっかり面食らっていた。

「尚姫も惠姫も、とてもきれいだ。いつの間にかこんなに仲良くなって・・・」

 二人は顔を見合わせ、目配せして笑いあった。

 歳もあまり違わず背格好もよく似た二人は、母娘というよりむしろ姉妹のようであった。

 笑顔の二人を見ているうちに、劉備も上機嫌となって軽口をたたいた。

「尚姫の国の例えを言えば・・・そうだなあの美人姉妹、大喬だいきょう小喬しょうきょうと言ったところかな」

 しまった、と横にいた孔明は思った。大喬とは尚姫の亡き兄、先主孫策そんさくの未亡人。そして小喬はあの周瑜しゅうゆの正妻であり、惠姫はその名を知っている。惠姫が忘れようとしていることを、ここで思い返してしまったら・・・。

 しかし孔明の心配にかかわらず、惠姫はほんの一瞬まばたきをしただけで、少しもその笑顔を崩さなかった。

 劉備の軽口に、鼻白んだように尚姫が言った。

「あの派手派手しい二喬にきょうなど・・・。惠姫の清らかな美しさのほうが、私はずっと好きです。惠姫の優しいほほ笑みは、人を和ませ、幸せな気持ちにさせてくれる・・・。惠姫の美しさはまるで、月世界の仙女嫦娥じょうがのよう・・・孔明もそうは思いませぬか」

 尚姫に突然ふられて、孔明はらしくもなく口ごもってしまった。

「は・・・、ごもっともでございます」

 惠姫はその笑顔を、心持ち孔明のほうに向けた。確かに惠姫の笑顔には尚姫の言うとおり、癒しとでも言えるような不思議な力があった。箱入り娘の尚姫は、それはただ惠姫が美しいからだろうと思っていたが・・・惠姫の笑みが癒しの力を持つのは、それが大きな悲しみと絶望を乗り越えた者だけが持てる、ほほ笑みだからであった。


 大広間で二人はその衣装のまま、尚姫の故郷に伝わる舞を劉備に披露した。惠姫は尚姫から習っていたのだ。


  江南 蓮を採る可し

  蓮葉 何ぞ田田たる

  魚は戯る 蓮葉の間

  魚は戯る 蓮葉の東

  魚は戯る 蓮葉の西

  魚は戯る 蓮葉の南

  魚は戯る 蓮葉の北


(江南地方では蓮の実を採る季節となった。蓮の葉の何とみごとにひろがったこと。魚はたわむれる、蓮の葉の間で)


 二つの歌声が輪唱する。二人の姫の息の合った歌舞は、言葉を失うほど見事であった。一人は天上に輝く真昼の太陽のような、あでやかな美しさの尚姫。もう一人は柔らかい薄宵の月の光のような、清雅な美しさの惠姫。その二人を妻と娘としている劉備は、舞を見ながら大いに満悦していた。

 ふと劉備が声を潜め、隣で舞を見ている孔明に言った。

「本当にすばらしい姫だ、惠姫は。尚姫の心をもとらえてしまうとは・・・。しかし孔明、江東の・・・捕らわれていた国の衣装など着て・・・惠姫は大丈夫だろうか」

「大丈夫です。惠姫様は本当に大切なことが何なのか、よくわかっている姫です」

 惠姫の舞い姿を目で追いながら、孔明はひそかに会心の笑みを浮かべていた。


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