## 第11話 行動層片βの使い道
旧一号排水路を抜けた翌朝、始まりの街トランの空気はまだ妙に浮ついていた。
サービス開始二日目。
広場ではもう、昨日の初心者ダンジョン攻略の話題より、次の狩場や隠し職の噂のほうが大きくなっている。早い話、みんな次へ行きたがっていた。
それ自体は普通だ。
でも、俺の意識はまだ《濁爪のブルードモール》のドロップ欄に残っていた。
《行動層片β》。
ただのレア素材なら、もっと分かりやすい名前でいい。
それなのに、“行動層”だの“β”だの、どう見てもまだ先がある言い方をしている。
その気持ち悪さが、どうしても気になった。
「で、結局どこ行くの?」
待ち合わせ場所の噴水前で、ミツキが眠そうな目をこすりながら言った。今日は昨日より少し軽い装備だが、盾だけはしっかり背負っている。
「鑑定」
「またログ見返すとかじゃなくて?」
「それもした。でもまず、これの意味を知りたい」
俺はインベントリウィンドウに《行動層片β》を表示した。
ミツキが顔を寄せる。
「あー、あれか。昨日の変なやつ」
「変じゃない可能性もある」
「いや名前はかなり変だよ」
そこへ、少し遅れてトーマもやって来た。肩から工具箱を提げ、片手に焼き串のような朝食を持っている。
「おはよ。で、朝から妙な顔してるけど」
「行動層片βを調べる」
「うん。やっぱ妙な顔してるな」
俺たちはまず、広場の端にいる一般鑑定NPCのところへ向かった。
結果は予想通りだった。
「申し訳ありませんが、この品は通常の鑑定範囲を超えています」
白い手袋をはめた初老の鑑定士NPCが、丁寧な微笑みのまま首を横に振る。
「金属片にも見えますが、通常素材の規格と一致しません。もし施設由来の遺留品であれば、整備士ギルドか旧都市管理系の窓口へ」
そこまで聞いて、俺は少しだけ息を吐いた。
施設由来。
旧都市管理系。
だいぶ匂う。
トーマが鑑定士のカウンターを離れながら言う。
「普通にゲーム側から“そっち行け”って言われたな」
「分かりやすくて助かる」
「お前、こういう時だけ運営目線みたいなこと言うよな」
その場を離れる前に、俺はついでに広場の取引掲示板も確認した。
素材名検索。《行動層片β》はなし。
《行動層片》でもなし。
似た名前のものは、《旧配管片》《劣化制御板》《施設用ボルト束》くらいだ。
つまり少なくとも、サービス開始二日目の時点では一般流通していない。
「出てない?」
「うん。少なくとも市場には」
「じゃあ余計に当たりだね」
ミツキは気楽に言うが、俺は逆に少しだけ慎重になった。
こういう“市場にまだ存在しない情報”は、強い報酬か、面倒な連鎖クエストか、その両方だ。
しかも名前にβがついている。だったらαか、あるいはその先の段階もあると考えるほうが自然だった。
「βってことは、前段階か途中段階か」
呟くと、トーマが横から覗き込む。
「普通はそう読むな」
「だったら、これ一個だけで完結しない」
「いい顔してきた」
「よくない兆候だよ、それ」
でも実際、かなり好きな匂いがしていた。
ただ強い武器が出るより、こういう“まだ意味が閉じていないドロップ”のほうが、何倍も面白い。
昨日のブルードモール戦で出た爪や濁泥は、その場で用途が読めた。
売る、加工する、使う。どれもすぐ閉じる情報だ。
でも《行動層片β》だけは違う。
用途が書かれていないんじゃない。まだ文脈の中に置かれていない感じがある。
そういう素材には、だいたい次の地図がぶら下がっている。
向かった先は、トーマの露店が並ぶ整備士ギルド区画だった。
トランの外縁部に寄った場所で、石造りの建物がいくつも連なっている。鍛冶場ほど火花は派手じゃないが、分解台や工具棚や油の匂いが並んでいて、俺はこっちのほうが落ち着く。
「旧都市管理系の窓口って、ここ?」
ミツキが辺りを見回す。
「たぶん、一番近い」
トーマが指差したのは、普段は閉まっている灰色の小部屋だった。扉の上に小さく《施設保全課・旧式端末窓口》と書いてある。昨日までは気にも留めなかったが、今日は違う。
「そんなとこあったんだ」
「プレイヤー向けってより、背景用の飾りだと思ってた」
トーマが肩をすくめる。
俺も同感だった。
だが、こういう“背景っぽいもの”ほど、変なフラグを拾うと動き出すことがある。
扉へ近づいた瞬間、俺のインベントリが淡く光った。
《行動層片β》が、半透明のウィンドウの中で一瞬だけ明滅する。
「……来た」
「え?」
次の瞬間、閉まっていた灰色の扉が、内部から小さく音を立てて開いた。
中は狭い。
棚、古い端末、埃の積もった机、そして壁際に据えられた一台の管理補助機。
人型ではない。
腰高の台座に球形の中枢が載っていて、その左右に細い多関節アームが二本、下部に移動用の小さな車輪が四つ。青白いレンズがゆっくり点滅している。
『……施設保全課、旧式管理補助端末エルメ-09、起動』
機械音声が、少しだけノイズ混じりに響いた。
ミツキが俺の肩を軽く叩く。
「これ、絶対当たりの反応だよね」
「うん」
エルメ-09と名乗った補助機は、レンズをこちらへ向け、正確には俺の胸元へ向けた。
『行動層片β、所持者を確認。旧浄水制御区画、補助任務の起動条件を満たしました』
その瞬間、視界にクエストウィンドウが開く。
《隠し連鎖任務:旧浄水制御区画の再起動》
・開始条件:行動層片βの所持
・概要:旧浄水制御区画にて、巡回層異常の原因を調査し、制御補助端末へ保全経路を再接続せよ
・推奨人数:3〜5
・推奨方針:正面制圧ではなく巡回制御
最後の一文を見た瞬間、少しだけ笑ってしまった。
「推奨方針まで出るんだ」
「しかも、正面制圧じゃなく巡回制御って」
トーマが感心したように言う。
「お前向けすぎるだろ」
『補足。旧浄水制御区画の巡回機群は、個体戦闘能力より、経路維持と警戒引き継ぎを優先します』
エルメ-09のレンズが細く光る。
『単体撃破より、巡回層の欠落と補完の構造理解を推奨』
もう笑うしかない。
ここまで露骨に“そういうゲームです”と言われると、むしろ気持ちがいい。
ミツキが呆れたように笑った。
「ナギ、今ちょっと嬉しそう通り越して怖い」
「かなり嬉しい」
「だろうね」
俺はクエスト詳細へ視線を落とす。
旧浄水制御区画。
場所はトラン北外縁、水処理施設跡地下。
内容は“巡回層異常の調査と再接続”。
報酬欄には、通常経験値や素材のほかに、見慣れないものが並んでいた。
《部分路線層ログ》
《保全端末アクセス権・仮》
《行動補助UI拡張(条件達成時)》
「行動補助UI拡張って何だ」
トーマがのぞき込む。
「名前だけだとやばそう」
「かなり」
ただ、それ以上に気になるのは“部分路線層ログ”のほうだった。
行動層片βが個体単位の記録片なら、路線層はもっと広い。単体の思考じゃなく、巡回そのものを読むための層かもしれない。
そこへ、エルメ-09が補足を続ける。
『旧浄水制御区画は、複数巡回路が相互補完する設計です。侵入者への直接排除より、異常経路の切り分けと補修要請を優先する個体が存在します』
ミツキが眉をひそめる。
「補修要請?」
『はい。経路欠損、汚染流入、監視灯断絶、補修路閉塞。これらに対する優先順位が、巡回行動に影響します』
俺はその場でメモを開いた。
《旧浄水制御区画・事前情報》
・複数巡回路あり
・相互補完型
・直接戦闘より経路維持が優先される個体あり
・補修要請と汚染流入が行動優先へ影響
書き込みながら、頭の中で別の絵が立ち上がっていく。
ブルードモールは、退路を見ていた。
旧浄水制御区画の巡回機は、もっと広く“経路”そのものを見ているらしい。
つまり次の相手は、単体の帰り道じゃない。
複数個体の巡回網だ。
「これ、かなり好きなやつでは?」
ミツキが半ば確信したように言う。
「かなり」
「だよね」
トーマはエルメ-09へ向き直る。
「で、その区画って、今すぐ行けるのか?」
『可能。ただし推奨は事前観察です』
「推奨まで親切だな」
『巡回路理解なしの突入は、総警戒ラインを誘発する確率が高いため』
その単語に、俺の指が止まる。
総警戒ライン。
つまり、単体ずつ釣って終わる話じゃない。どこかの閾値を超えると、区域全体の状態が変わるタイプだ。
いい。
かなりいい。
『なお、現区画では保全端末への仮接続が一部回復しています。行動層片β所持者は、旧浄水制御区画外縁の観測台より、初期巡回図の概形を確認可能です』
「観測台」
「入る前に見られるってこと?」
ミツキの問いに、エルメ-09は青白く点灯した。
『はい。初期化前の巡回概形のみ。ただし動的更新は現地で確認が必要です』
十分だ。
入る前に“固定部分の概形”が見られるなら、観察効率はかなり上がる。
俺はクエスト受諾ボタンへ指を伸ばしかけて、少しだけ止めた。
「どうした」
トーマが聞く。
「確認」
「何を」
「これはたぶん、単体ボス戦の次に来るにはかなり難しい」
ミツキとトーマが顔を見合わせる。
「つまり?」
「巡回、補完、総警戒、経路維持。やることがかなり増える。正面から殴る時間は、たぶん前より減る」
ミツキは数秒だけ考えて、それから笑った。
「むしろ面白そう」
「同感」
トーマも肩をすくめる。
「俺としても、こういう“敵に殴り勝つ”んじゃなく“敵の仕事を逆利用する”系は嫌いじゃない」
それで十分だった。
三人とも、次に進む意味が分かっている。
俺は迷いなく受諾を押した。
クエストウィンドウが閉じ、代わりにミニマップの北側へ新しい印が灯る。
《旧浄水制御区画外縁・観測台》
『補足』
エルメ-09のレンズが最後に一度だけ強く光った。
『旧浄水制御区画の巡回機群は、個体戦術より“路線の会話”を行います』
その言葉は、妙に耳に残った。
路線の会話。
個体同士が喋るというより、巡回路そのものが情報を引き渡しているイメージだろうか。
もしそうなら、次の攻略はかなり変わる。
敵一体の癖を見るんじゃなく、敵と経路の受け渡しを見ることになる。
俺たちは窓口を出て、北外縁へ続く石畳を歩き始めた。
トランの賑わいが少しずつ背後へ下がっていく。
代わりに、古い水処理施設の影が前方へ大きくなっていった。高い沈殿塔、細い連絡橋、半分崩れた監視棟。遠目からでも、昨日までの排水路よりずっと広いと分かる。
ミツキが口笛を吹く。
「うわ、思ったより大きい」
「巡回路が複数あるって言ってたしな」
「観測台からどこまで見えるんだろ」
トーマの言葉に、俺は少しだけ歩幅を速めた。
旧一号排水路では、相手の帰り道が鍵だった。
次はたぶん、その帰り道が何本もある。
しかも、それぞれが情報を引き継いでいる。
考えることは増える。
でも、そのぶん見えるものも増えるはずだ。
北外縁の坂を登り切ったところで、観測台が見えた。
古い鉄骨で組まれた半壊れの見張り台。その先に広がっていたのは、複数の水路と通路が格子状に重なる、灰色の施設区画だった。
高いキャットウォークを灯機が往復し、下層の浅い水路を四脚の巡回機が横切り、さらにその奥では、鈍い車輪音を立てる大型の作業機がゆっくりと旋回している。
単体の敵じゃない。
路線そのものが動いている。
その光景を見た瞬間、思わず小さく息が漏れた。
「……これは」
ミツキが横で笑う。
「すごい顔してる」
「うん」
「好きなんだね」
「かなり」
旧浄水制御区画。
次の相手は、単体ボスじゃない。
巡回路そのものだ。
そして、そのほうがたぶん、俺にはずっと向いている。




