表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

こっちにおいで

作者: ぷょ
掲載日:2026/04/19

 こっちにおいでよと、誰かが私を呼んだ。


 潮の匂いが心地いい。裸足になって白い砂を踏んだら、少し熱い砂に足がのめり込むのと同時に心が空に向かってふわっと舞い上がった。

 私は走り出した。足の間に砂が入ったけどきにしない。

 陽の光を浴びてきらきらと揺れる度に輝く水面に誘い込まれるようにして、そこで手招きをする誰かにつられるようにして。

 ぱちゃぱちゃと軽い音を立てて、私は海に足を浸した。くるぶしまで来ては引いていく波が、私をさらに海原の方へと誘う。

 行きたい、と心の中で強く願った。もっと遠くへ、もっと広いところへ。

 私がスカートの裾をつまむのも忘れて、海へと一歩を踏み出したその時、後ろから水をかけられた。

 反射的に首をすくめて振り返る。そこには、私を呼んだ誰かが悪戯っぽい顔をしてそこに立っていた。

 私はムッとした顔をした後、悲しむようにして顔を伏せた。ぎゅっと唇を噛んで、伏目がちな目で相手に目を合わせないように少しだけそっぽを向く。

 これお気に入りの服なのに、と弱々しく口にすれば、水をかけてきた子は弱りきった様子でオロオロして謝りながらこちらに近づいてくる。

 私は突然その子の腕を掴んで、後ろに思いっきり体重をかけた。勿論、ちゃんと息を止めた状態で。

 うわぁぁぁっ、とその子の情けない声が水面へと向かっていく。ばっしゃーんと派手な水音に合わせて、四方八方に水が飛び散った。

 髪の間を分け入るようにして後頭部に触れる水の冷たさが気持ちいい。ワンピースはぐっしょり濡れて、水中で花が広がるようにしてふんわりと揺られていた。

 私が腕を引っ掴んで水面に引き摺り込んだ子は顔面からまともに海に倒れ込んだようで、勢いよく顔を上げるとそのまま苦しそうに咳き込んだ。

 水面に体を浮かせたままの私と、起き上がったその子と目が合った。

 その子は一瞬怒ったような顔をした後、お返しと言わんばかりに私に飛びついた。その子の両手に絡め取られるようにして、肩に置かれた手のひらにグッと力が込められていた。

 またもざぶーんと音がして、私たちは水中に飲み込まれる。

 先ほどとは違う、鮮明で美しい水面を見た。透けて光る水色と、白に絶え間なく煌めく波が、私たちを優しく笑うように見下ろしている。

 しばらくして、私たちは水面に浮かび上がった。体を伸ばして手を繋いだまま、背浮きの要領で空を見上げた。

 私たちは同時に勢いよく吹き出した。

 お互い水にすっかり濡れてしまって、せっかくの服も髪も水浸しで体に張り付いていた。お互いを見る度にお互いが濡れ犬みたいで心底面白かったし、こんなに幸せそうな濡れ犬見たことなかったから、それがまた面白くて更なる笑いを誘った。


 …遠い昔の、ワンピースと海の思い出。


ー・ー・ー


 こっちにおいでよと、誰かが私を呼んだ。


 その声は行き交う人々の話し声に紛れてはいたものの、私の耳にはしっかりと届いた。

 今晩は比較的涼しいとは言え残暑が厳しいことに変わりはないし、人が集まればそれだけ熱もこもる。だけど、この熱さは人々のあたたかさだと思えば、尾を引くような太陽光の暑さよりはましだと思えた。

 私は振り返った。私を呼んだであろう声の主はぱっと見では見つからなかった。気がついたら私は引き返していた。

 初めはただ歩くだけだったけど、次第に小走りになり、最後は駆け出していた。

 着なれない浴衣や草履は走りづらかったし、人がたくさんいすぎていろんな人とぶつかってしまったけれど、私が止まることはなかった。

 神社の本殿へと続く長い階段を降りてくる人々の間をすり抜けて駆け上がっていく間に、すっかり本殿は空いてしまっていた。

 暗いし鬱蒼としている本殿はどこか気味が悪くて、でもだけどここに私を呼んだ人がいるのだと不思議な確信を抱いていた。

 来た、と誰かが呟いたのが聞こえた。

 何食わぬ顔で鳥居の柱にもたれかかっていた。その手にはりんごあめを持っていて、頭にはお面までしていた。

 探すの大変だったんだから、と私は文句をつけるようにしてその子に詰め寄った。実は、途中まで一緒に下のお祭りを回っていたものの、なぜかはぐれてしまったのだ。

 その子は飄々としたままごめんごめんと全く申し訳なく思ってなさそうな声で謝った後、突然手を繋いできた。

 私が呆気に取られているとその子はさも当然かのように、手繋いでたらはぐれないでしょ?と、言ってきた。

 これじゃあまるで私だけ意識してるみたいじゃないか、と心の中で悪態を吐く。せっかく張り切って浴衣まで着て来た自分が馬鹿みたいだとなぜか少しだけ悔しくなる。

 そして私たちは手を繋いだまま、ずんずんとなぜか本殿の後ろの森へと歩を進めていた。森の中は茂みが深くてとても歩きづらかったけれど、手を繋ぐあの子は私を気にする風もなく進んでいくから何も言えなかった。

 すると突然、開けたところに出た。

 下には出店が立ち並ぶのが見え、どこまでも広がる夜空が美しい天然の絶景。

 私が、綺麗だねと、言いかけたその時、ドォンと突然大きな音が鳴った。

 その直後に夜空に広がる光の花。それは数度色を変えた後、ちかちかと細かく割れるようにして瞬いた後、空の闇に溶けていった。

 私たちはそれに見入っていた。手を繋いだままなことも忘れて。

 何度も何度も繰り返し打ち上がる花火。下に広がる出店のあたりからは囃し立てるような口笛と人々の歓声が聞こえる。だけど、何より大きく私たちを圧倒する大輪の花の前では、それらは聞こえないのと同じだった。

 最後の一発が打ち上がり、名残り惜しむようにしてゆっくりとその火を消した時、私たちはどちらともなくお互いの方を見ていた。

 大きな光を見た直後だったから、その子の顔はあまりよく見えなかったけれど、確かな距離の近さを改めて実感して、一気に心臓が飛び跳ねる。

 はっとして私は手を繋いだままだったことを思い出した。そしてそれは、その子も同じだったようで、私たちは慌てて繋いでいた手をやっと離した。

 少しホッとしたけれど、どこかざらついた名残惜しさが心に広がる。

 私たちはまた目が合った。そして今度は、へにゃりと気の抜けたようにして笑い合った。花火のように弾けるような輝かしさは無いものの、どこまでも続きそうな平和な笑顔。

 この時間がずっと続けばいいと、心の中でそっと願った。


 …遠い昔の、秋祭りと花火の思い出。


ー・ー・ー


 こっちにおいでよと、誰かが私を呼んだ。


 ふぅーっと吐き出した息が空中で白く濁ってはしばらく宙を漂い、空気に溶けるようにして消えた。

 首元はマフラーを巻いているから暖かいけれど、耳や鼻先は凍えるように寒い。着込んだコートとブレザーの下から、セーターを引っ張り出して手を覆うようにする。

 真っ暗い帰り道にまばらに立った街灯。それが地面を照らすうちの一つに、彼がいた。

 私はぱたぱたと走り出すと、どーんと彼に体当たりした。彼は当たり前のように私を受け入れて、ふっと小さく笑っていた。

 私たちは手を繋いで歩き出した。

 街灯の照らすところから出ては別の街灯の照らすところに入ってはまた出るのを繰り返した。その度に、私たちの顔は撫でるように照らされては撫でるようにして暗くなる。

 横目で彼を盗み見ていたら、突然ホイッと何かを投げてよこされた。

 慌ててそれを掴もうとしたらとても熱くて、私はワタワタとそれをお手玉のようにしてしばらく投げていた。

 やっと落ち着いてそれを確かに両手で持って見てみたら、おしること、パッケージに書かれていた。

 カシュッと開けた飲み口に口をつけて、じんわりと暖かいそれをゆっくりと飲み込んでいく。おしるこはとても甘くて甘くて、冷えた体を隅々まで温めてくれた。すると、一口頂戴、と言って彼の手が伸びて来た。

 私が貰ったものは返せませーんと言ってそっぽを向くと、彼は買ったの俺だよ!?と、言いながらも渋々諦めたようだった。

 私は悪戯っぽく笑って軽く謝ると、暖かい缶を差し出した。そして、彼は一口飲むと甘っ、と言って全部飲み干してしまった。

 ええええ全部飲んだの!?と、私が抗議の声を上げると、だいたい半分こだからいいだろと、見向きもしない。と言うか、ほのかに街灯に照らされた耳が心なしか赤いように見えた。

 ごにょごにょと小さい声で弁明するみたいにそっぽを向いたまま話している彼の言葉は、私の耳にはよく聞こえなかったものの、家に帰って思い返してみたら、あれは間接キスだったのでは!?となって一晩中悩まされる羽目になった。


 …遠い昔の、夜道とおしるこの思い出。


ー・ー・ー


 こっちにおいでよと、誰かが私を呼んだ。


 あたり一面ピンク色に染まった街並みが、また季節が巡ってしまったことを物語っていた。

 私の手には花束。私は一人でほんの少し登り調子な小道を歩いていた。

 石で軽く舗装された道は品がよく、その周りに生えた芝生はよく手入れされていて、ここの管理が丁寧なことを示していた。

 私は軽く唇を噛む。

 何に?それは、私がこれから向かう先に全ての答えが詰まっている。

 進んだ先には、一つの墓石。そう、他ならぬ彼のもの。

 私はそこに静かに花を供えた。そして、桜が彩る淡い水色の空を見上げる。

 涙になりきれなかった何かが、目からこぼれ落ちることもできないまま空に溶けていく。独りごちた声は、彼に届くことはあるのだろうか。


「私はもう、君には会えないのかな…」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ