1、亡命者たちの戦い方
凍りついた針葉樹の枝が、雪の重みに耐えかねて時折、乾いた音を立てて折れる。デュモルチ道の夜は、焚火の燃えかすと、馬の鼻息が白く凍りつく匂いに支配されていた。
帝国アストラガルス騎士団の重厚な鎧が、デュモルチ街道の白い雪に黒い影を落としていた。彼らは大公国軍に包囲されているラティルス騎士団を救出するため、デュモルチ道に沿って西進を続けていた。
進軍を続ける彼らはまだ知らない。自分たちが、大公国のエピフィラム騎士団長代理シルビアの仕掛けた罠の中の餌に向かっているということを。
石造りの要塞の一室で、シルビアは地図を広げていた。テーブルに置かれたグラスの縁を、彼女の白い指先が所在なげになぞる。帝国からの亡命者という立場は、彼女の立ち振る舞いに、どこか硝子細工のような危うさを与えていた。
扉が開き、冷気と共にヘルマンが入ってくる。
「……団長代理、ロサ騎士団の配置、終わりました」
ヘルマンはシルビアの顔を見ず、手近な羊皮紙に視線を落としたまま報告を済ませる。顔を上げると、扉からのわずかな風に揺れる髪の美しさに圧倒されてしまう。
「ありがとう、ヘルマン。少し、休んだら? お茶を淹れたの。ヴァレニエもどうぞ。大公国のとは違うけど、喉にいいわ」
シルビアが柔らかな声を出す。彼女の髪がわずかに揺れ、微かにナシア(セイヨウオニシバリ)の香りが漂った。大公国の春に咲く、香りの強い美しい花。その一方で猛毒を持ち、触れる者を麻痺させ、内側から焼き尽くす。
「いえ、戻ります。任務が残っていますので」
ヘルマンはそれだけ言うと、返事も待たずに部屋を出た。シルビアの出すヴァレニエは甘い。彼女の髪からは同じように甘いナシアの香りが漂う。それは戦場の現実を忘れてしまうほど甘い。
石廊下を歩く彼の耳の裏は、寒さのせいか、それとも別の熱のせいか、赤く火照っていた。
シルビアはエピフィラム騎士団とそれに増強されたロサ騎士団、及び六個の歩兵部隊を指揮している。
ロサ騎士団は帝国からの亡命騎士たちで構成された騎士団だった。女性が多い。団長も女性だった。シルビアは帝国時代にロサ騎士団長ヴァルデトルーデと顔見知りだった。大公国で再会した時には、彼女は左目を失っていた。
シルビアは亡命し、大公国の貴族と結婚した。夫は大公国軍総司令官フリーデリケ公女と共に司令部のあるリチアにいる。その夫の代理として騎士団を率いている。
夫の弟、ヘルマンは義姉であるシルビアと顔を合わせるのが嫌なのか、自ら志願して、ロサ騎士団の軍監・連絡係を務めている。シルビアの個人的な感情で言えば、激しい戦いを好むヴァルデトルーデの騎士団は危険すぎて、彼を近づけたくはなかった。
シルビアはヘルマンが、その後、どこへ向かうのかを知っていた。
「あの子は、グラツィアの頬にどのように触れるのだろうか」
暗がりの中で重なり合う二つの影。シルビアは無意識に両手を握り締めていた。
「……ヘルマンは、私の髪にも頬にも触れたりなんかしない」
呟きは執務室の暖炉の温かさの中に消えた。騎士団長代理としての冷静な判断力が、霧がかったようにぼやける。
ヘルマンの世話を焼くことでシルビアは自分の価値を再確認し、彼の純粋な反応に触れることで、凍りついていた心が溶かされていく感覚を得ていた。しかし戦争が始まって、彼との間に壁ができたように感じる。
シルビアがヘルマンに向ける微笑みは、母性でありながら、同時に彼に救われている一人の少女の安堵感でもあった。




