いいからさっさと婚約破棄をしろ。
私は幼い頃、両親の付き合いでよく顔を合わせていた男の子、ライナーが大好きでした。
彼は日頃穏やかで優しい性格でありながら、冷静で勇敢な男の子でした。
ある日。
友人である両親たちが外でお茶をする為、私とライナーを街へと連れ出しました。
しかしこの日、見張りの視線を掻い潜った誘拐犯に私は危うく攫われてしまうところでした。
その時、誰よりも早くに気付き、声を上げてくれたのがライナーだったのです。
「イルザッ!!」
彼とて貴族の子供である訳で、巻き込まれて連れ攫われる危険だってありました。
本当は怖かったと思います。
けれど彼は私を助ける為に勇気を振り絞り、大の大人達と立ち向かってくれたのでした。
「怖かったね。大丈夫、大丈夫だよ。イルザ」
救出後も恐怖から泣き続ける私を、ライナーは優しく抱きしめ、頭を撫でてくれました。
その時の一つ一つの仕草、そして天使のように甘くて優しい微笑みは今でも覚えています。
この日の出来事は、幼くロマンチストな少女が恋に落ちる理由としては、充分過ぎるものでした。
……しかし、私は同じ伯爵家の者という立場の彼とではなく、侯爵家のペートルスと婚約を交わす事になりました。
夜会で出会った際、彼が私に一目惚れした事がきっかけだったようです。
それから少しして、必死に私の心を射止めようとした彼は私の心が自分には傾いていない事を悟ります。
そして裏で調べたらしい彼はライナーの存在を知り、自身の家の力をふんだんに使い、彼の家を潰そうとしました。
結果、ライナーの家は政界から殆ど名を消し、伯爵とは名ばかりの弱小貴族となりました。
それを知った私は悲しみました。
悲しんで、涙して……その末に、思いました。
何かを望むにも、守るにも、抗うにも。
――力が必要なのだ、と。
さて。
そんな過去を過ごした私は現在十六――王立魔法学園の二年生となりました。
私は魔法と経理、経営の授業は常に成績首位を維持しており、他の授業も必ず成績上位を守り続けていました。
幼い頃から学力というある種の力を育んできた私は、順調に、立派に成長したのでした。
また、私は努力の末積み上げられた学で我が家の財政管理にも着手しました。
それは成功し、我が家は一般的な侯爵家よりも莫大な富を得る事に成功します。
我が家も私も、一躍政界の有名人となりました。
そんなある日の事。
「イルザ! お前との婚約を破棄する!」
大勢の生徒が行き交う場で、ペートルスは私にそう言いました。
私とは別の伯爵令嬢と腕を絡ませる彼に呆れながらも、大変都合が良い状況に私は内心で喜んでおりました。
そもそも何故、自身が望んだことで始まった婚約を彼が破棄しようとしたのかと言えば……単純に、面白くなかったからでしょう。
愛する人が政界を去ろうと、私の心がペートルスへ傾く事はありませんでした。
単純に、彼の性格が私の好みに合わなかったのです。
自信家のペートルスはそれが気に入らなかったのでしょう。
故に、彼が私を愛する心は次第に消えていき――やがて残ったのは自分に恥を掻かせたという嫌悪だけ。
その結果がこの『婚約破棄』だったのです。
さて、彼は目の前で私が如何に不出来であるのか、自分が他の女を選ぶことも、選んだ相手を婚約が破棄されるよりも前に侍らせるのも仕方のないものであることなどを説きました。
けれど正直、そんな話に興味はございません。
ですから私は長々と、永遠に続きそうであったその話を遮りました。
「畏まりました、婚約破棄ですね」
「な……っ」
「他に用件がなければこれで失礼します」
「ま、待て!」
さっさと退散しようとした私をペートルスは呼び止めます。
まだ何か用があるのか、と彼の方を向けばこう言われました。
「しゃ、謝罪はないのか!」
「謝罪、ですか」
「お前のせいで婚約破棄になったんだぞ! 侯爵家との縁談だというのに!」
自分が言い出しておいて何を言っているのか。
そう思いはしたものの、私は冷静を貫きました。
「私は自分のせいだとは思いませんし、寧ろ快諾したい申し出ですね。それでは」
「待て!」
彼は私が縋りついて謝罪することを望んでいたのでしょう。
けれどそうなるどころか、婚約破棄を喜んで受けようとする私が気に入らなかったようです。
ペートルスは私へ手袋を投げました。
「決闘だ!」
――決闘。
元は騎士の間で存在した文化は生徒の魔法の技術を向上する目的として、遥か昔に魔法学園にも取り入れられた。
とはいえ、勝者が敗者に何かを求めるようなものではなく、本当に形だけの決闘。
強さを示せる場を設ける事で生徒の向上心を刺激する事を目的とされたそれは、今では地位も学年も気にすることなく正々堂々、魔法をぶつけあえる場を用意する目的として細かなルールや制約が用意されたうえで、密かに残り続けて来た。
とはいえ現代においてこのルールに則り、決闘を申し出たのはペートルスくらいでしょう。
それと、女性相手に暴力でものを言わせようとするのも。
「謝るなら今の内だぞ」
「そんな事より、婚約破棄を早くしていただけませんか?」
「……ッ、まだ自分の立場が分かっていないようだな!」
決闘用の、特別な魔法が組み込まれた訓練場。
そこでペートルスは醜悪な笑みを浮かべます。
彼は自信がある様でした。
当然です。
彼は魔法の成績は三年生の首位を収めていましたから。
さて。
審判を頼まれた生徒が緊張した面持ちで手を上げます。
「それでは――初め!」
その声を合図に、私は魔法で自身の移動速度を大幅に上げ、ペートルスへと距離を詰めます。
そしてその距離がゼロになった時。
私は持っていた扇で彼の頬をぶっ叩きました。
「ヘブゥッ」
情けない声が聞こえますが、決闘は『参った』の声が必要なので私は更に二撃、三撃と彼の頬を往復ビンタしました。
周囲からは私の姿は残像として映った事でしょう。
ペートルスが何とか「参った」と口にしたとき。
彼の顔はパンパンに膨れ上がっていました。
大勢の前で何とも情けない姿を見せた彼の敗北宣言。
それと同時に訓練場の魔法が解け、ペートルスの顔は元通りになります。
ある程度のダメージまでを無効化にする魔法と、本来受けるはずだった怪我などは決闘が終わるまで、まるで実際に受けている・与えているかのように錯覚する幻覚魔法が訓練場には施されていました。
ですからペートルスは実際には無傷。
けれど錯覚した痛みや恐怖の記憶はなかなか消えず――また自分が晒した無様な姿を大衆に見られたペートルスは顔を真っ赤にして震えた後、「覚えとけよ!」と吠えて逃げ去っていきました。
彼は……私がこの決闘すら、幼い頃から望んでいた物である事に、最後まで気付かなかったようです。
それから、尊敬の眼差しと拍手が私に集まります。
その中で、私は視線を彷徨わせ、ある人物を見つけ――満面の笑みを向けるのでした。
後日。
私とペートルスの婚約は無事に白紙になりました。
それから、一連の流れで笑い者になったペートルスは、婚約破棄宣言の際に侍らせていた女性からも逃げられ、社交界では笑い者になり……居場所を失っていきました。
ご両親からも『我が家の恥さらしだ』と怒りを買ったらしい彼は、やがて廃嫡され、その日を境に社交界へも顔を出さなくなります。
さて、私はというと……。
「婚約しましょう。ライナー」
「イルザ……」
婚約解消が成立してすぐに、ライナーへ婚約を申し出ていました。
同じ学園、学年に在籍するライナーとは、ペートルスという婚約者がいる間はまともに接する事が出来ませんでした。
けれどもうそんな世間体を気にする必要はない。
そう思ったのですが、何故かライナーは困ったような顔をしています。
「今の君と俺とじゃ釣り合わないよ」
「釣り合いなんて、愛の重さだけ取れていればいいでしょう?」
「そうはいかない。君やご両親に迷惑を掛ける訳には――」
「何のために、私が経理や経営を学んできたと思って?」
私は胸を張る。
「既にこちらは、我が家の地位を盤石にした実績があるのよ。我が家に世話され続ける貧乏貴族……なんて、私が言わせないわ。必ず、貴方の家を立て直してみせる」
目を見開くライナーの手を取ります。
「だからどうか……貴方の為に培った力で、貴方を救わせて。笑い合う未来を一緒に生きたいのよ」
ライナーは迷っていました。
けれど彼は暫く黙り、視線を彷徨わせ、再び目を逸らさず自分を見つめる私の瞳を見てから……深く息を吐きました。
「……ありがとう。イルザ。君の手ばかりを煩わせないように、俺も努力するよ」
待ち侘びた、彼からの『イエス』。
それを聞いた途端、私の心は大きく踊ってしまって。
私は彼の腕の中に飛び込んだのでした。
「愛してるわ、ライナー」
「ああ。俺も。……ずっとずっと前から」
「……知っています!」
それから私達は愛を誓うように深い口づけを交わすのでした。
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