第十四章 亡霊は法廷に立つ
ロンドン中央刑事裁判所――オールド・ベイリー。
その円形の法廷は、帝国が自らを「文明」と信じるための劇場だった。
石壁は重く、天井は高く、裁きは神の名の下に行われる。少なくとも、そう装われている。
被告席に立たされたのは、アイルランド人の男だった。
名はオコナー。爆発物の所持と、違法結社への関与。
彼は背筋を伸ばし、黙して前を見ている。
恐怖はある。だが後悔はない。
傍聴席は、異様な熱気に包まれていた。
労働者、移民、新聞記者、そして――私服警官。
アーサー・ヘイスティングス警視は、壁際に立ち、法廷全体を見渡していた。
高杉晋作の姿は、どこにもない。
――来ない。
それが、彼を最も苛立たせた。
検察官が立ち上がり、冷静な声で罪状を読み上げる。
「被告は、社会不安を助長する違法組織の一員であり――」
その瞬間、傍聴席の後方で、小さな笑い声が起きた。
ざわめき。
裁判官が木槌を打つ。
「静粛に!」
だが、その空気は戻らなかった。
人々は聞いていない。
彼らが聞いているのは、別の“声”だ。
弁護人が立つ。
雇われの安弁護士――だが、今日に限って、目が異様に澄んでいる。
「諸君」
彼は、ゆっくりと傍聴席を見渡した。
「この裁判は、爆弾の裁判ではない。
――居場所の裁判だ」
ざわめきが大きくなる。
ヘイスティングスの背筋に、冷たいものが走った。
――言葉を仕込まれている。
「被告が関わったとされる“結社”は、銀行を襲いましたか?
議会を爆破しましたか?」
弁護人は、間を置く。
「いいえ。
彼らがやったのは、読み書きを教え、警察が来ない夜に子供を守っただけだ」
裁判官が遮る。
「関係ない。違法は違法だ」
弁護人は頷いた。
「では、問います。
この街で、合法で、正義で、空腹を満たすものは何ですか?」
沈黙。
誰も答えられない。
その瞬間、傍聴席の誰かが、紙片を落とした。
それは、静かに床を滑り、裁判官の足元へ届く。
東洋の文字。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
裁判官の顔色が変わる。
ヘイスティングスは、確信した。
――いる。ここに。
姿は見えない。
だが、この法廷そのものが、彼の舞台になっている。
評決は、形式通りに下された。
有罪。
だが、刑は異例の軽さだった。
法廷を出る人々の顔に、怒りはない。
あるのは――納得だ。
秩序は守られた。
だが、その中身が、空洞になっている。
ヘイスティングスは、廊下で立ち止まった。
「……姿を見せずに、ここまでやるか」
その時、彼のコートの内ポケットに、いつの間にか紙が入っているのに気づく。
震える指で取り出す。
警視。
あんたは正しい。
だからこそ、あんたは負け続ける。
次は――
銀行だ。
ヘイスティングスは、紙を握り潰した。
番犬は理解した。
亡霊は、次に
帝国の血流へ牙を立てる。




