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99.長距離飛行

「――全乗員に通達。これより、本城は、長距離宇宙航行モードへと移行します」

 玉座の間に、ノアの、いつもよりさらに重々しいアナウンスが響き渡った。

 俺は、エラーラとの盤上遊戯『天空創世記』の、百回目くらいの対戦に飽きて、床に寝そべって天井の星空を眺めていたところだった。

「宇宙航行モード?」

 俺が、呑気に聞き返す。

「なんだそれ。なんか、カッコいい名前だな」

《長距離航行における、船体の完全性を保証するため、これより、城内の全ての外部区画を、物理的に完全封鎖します。対象区画は、メインポート、観測デッキ、及び、第二食料庫『エデン』、温室を含む、全ての室外エリアです。移行完了まで、立ち入りは固く禁じられます》

「…………は?」

 俺は、寝そべったままの姿勢で、固まった。

 今、こいつ、何て言った?

 エデン? 温室? あの、俺の最高の散歩コースであり、昼寝スポットである、二大癒やし空間が? 立ち入り禁止?

「おい、待て、ノア! それは聞いてないぞ!」

 俺が、慌てて飛び起きる。

「なんでだよ! 俺は、これから、温室でシャルロッテが作った新作のフルーツタルトを食べる予定だったんだぞ!」

《管理人様の安全確保が、最優先事項です。宇宙空間では、微小なデブリとの衝突ですら、船体に致命的な損傷を与える可能性があります。外部区画の完全装甲化は、絶対条件です》

 ノアの、あまりにも正論で、あまりにも非情な返答。

 その言葉を裏付けるかのように、城全体が、低い、地響きのような振動を始めた。

 玉座の間の巨大なモニターに、外部の映像が映し出される。

 今まで、開放的なバルコニーや、美しいガラス張りだった場所。その全てが、分厚い、継ぎ目のない装甲シャッターによって、次々と覆われていく。

 美しい庭園だったエデンも、楽園のようだった温室も、今はもう、ただの金属の箱の中だ。

 天空城アークノアは、その美しい姿を捨て、ただ、宇宙を旅するためだけの、無骨で、完全密閉された『箱舟』へと、その姿を変えようとしていた。

「……そんな……。俺の、俺の楽園が……」

 俺は、その光景に、膝から崩れ落ちた。

 俺のスローライフが、物理的に、奪われていく。

 その頃、居住区画では、別の意味で、大きな混乱が起きていた。

「おお……! 見よ、同胞たちよ!」

 村長が、天を仰いで、感涙にむせびながら叫んでいた。

「神の城が、その姿を変えておられる……! これは、我らが、次なるステージへと進むための、新たなる『神の試練』に違いない!」

 彼らは、パニックにはなっていなかった。

 むしろ、その瞳は、新たな神託を前にした、狂信的な輝きに満ちている。

「我らは、もはや、地に足のついた、矮小な存在ではない! 神と共に、星々の海へと旅立つ、選ばれし『星の民』となるのだ!」

「おおおおお!」「星の民、万歳!」「カイン陛下、万歳!」

 彼らは、この閉鎖された環境を、試練と、そして栄誉として受け入れ、新たな祭りの準備を、勝手に始めていた。『星渡りの儀』とかなんとか、そんな名前らしい。

 訓練場では、エラーラが、神聖自警団の面々を前に、厳しい檄を飛ばしていた。

「聞け! これから我々が向かうのは、地図も、常識も通用しない、未知の戦場だ! 敵は、二番艦ネメシスか、あるいは、それ以外の何かか、それすらも分からん! だが、何が来ようとも、我らは、管理人と、この城を守り抜く! 覚悟はいいな!」

「「「はっ!!」」」

 彼女だけが、この旅の、本当の危険性を、正しく理解していた。

 そして、医療区画。

 エリスは、自らの故郷を奪った、漆黒の方舟の設計図を、モニターに映し出し、その弱点を、来る日も来る日も、探し続けていた。

 彼女の瞳には、もはや、怯えも、悲しみもない。ただ、たった一人の姉妹を救い出し、そして、全ての元凶に裁きを下すという、鋼の意志だけが、宿っていた。

 玉座の間に戻った俺は、完全に、ふてくされていた。

 窓の外は、もはや、美しい雲海ではない。ただの、金属の壁だ。

 俺は、完全に、缶詰にされたのだ。

「……もう、やだ。俺、管理人、やめる……」

 俺が、子供のように、床に寝そべって、駄々をこねる。

「エラーラみたいに、真面目に戦うのも無理。エリスみたいに、復讐に燃えるのも無理。村人みたいに、全部を神の御業として崇めるのも、無理。……俺は、ただ、昼寝して、美味い菓子が食いたいだけなんだ……」

 俺の、あまりにも情けない、本音。

 それに、答えたのは、ノアだった。

《……管理人》

 その声は、いつも通り、平坦だった。

 だが、その後に続いた言葉は、俺の、ささくれた心を、ほんの少しだけ、癒すものだった。

《――貴方様が、何もしなくても、構いません》

「……え?」

《貴方様の仕事は、ただ、そこに『いる』こと。そして、貴方様が『貴方様』であり続けること。それこそが、このアークノアの、絶対的な存在意義なのですから》

《貴方様が、平和なスローライフを送りたいと、心から願う、その『意志』こそが、我々が、何と戦うべきかを、指し示す、唯一の羅針盤なのです》

 ノアは、続けた。

《ですから、どうぞ、ご安心ください。貴方様の昼寝の時間は、私が、この城の全てをかけて、お守りします。――たとえ、そのために、星の一つや二つ、消し飛ばすことになったとしても》

「…………」

 俺は、何も言えなかった。

 この、とんでもなく過保護で、とんでもなく物騒な『母親』には、どうやっても、敵わないらしい。

 俺は、ゆっくりと、起き上がった。

 そして、大きく、深呼吸を一つした。

「……わかったよ。じゃあ、とりあえず、腹が減った。なんか、美味いもん、作ってくれ。もちろん、苦くないやつな」

《……善処します》

 俺の、平和な日常は、終わった。

 だが、俺の、平和なスローライフを『取り戻す』ための、新しい戦いが、今、始まろうとしていた。

 俺は、窓の外の金属の壁の、その向こう側に広がる、無限の宇宙へと、思いを馳せた。

 面倒くさいが、まあ、少しだけなら、付き合ってやっても、いいかもしれない。


――ここまで読んでいただきありがとうございます!

面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!

次回もお楽しみに!



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