98.生存者
玉座の間に、エリスの、か細い嗚咽だけが響いていた。
モニターに映し出された、青い楽園の、あまりにも無慈悲な最期。それは、彼女にとって、ただの記録映像ではなかった。遠い昔に失われた、家族の葬列そのものだった。
俺は、何も言えなかった。
どんな慰めの言葉も、この絶望の前では、あまりにも軽く、空虚に響くだろう。
エラーラもまた、壁に寄りかかったまま、固く、唇を噛み締めていた。戦士である彼女ですら、この一方的な蹂躙には、言葉を失っていた。
「……ムカつくな、あいつ」
俺の、静かな怒りを込めた呟きが、沈黙を破った。
だが、その怒りの矛先は、今はまだ、遥か宇宙の彼方。あまりにも、遠い。
その時だった。
嗚咽を漏らしていたエリスが、涙に濡れた顔を、ゆっくりと上げた。
その瞳には、絶望の色だけでなく、一つの、藁にもすがるような、問いかけの光が宿っていた。
「……ノア」
彼女は、震える声で、この城のAIに呼びかけた。
「……他に……他に、生き残っている姉妹は……いないのですか……?」
その問いは、この場にいる誰もが、心のどこかで抱いていた、しかし、口に出すにはあまりにも残酷な、最後の希望だった。
《……》
ノアは、即答しなかった。
玉座の間の巨大なモニターが、再び、広大な宇宙の星図へと切り替わる。
《……『星を見る者』の広域スキャンデータ、及び、過去の遭難信号のログを、再照合します。生存の可能性が残る同胞を、検索……》
重い、重い沈黙。
モニターには、十二隻の方舟のリストが表示され、その一つ一つに、無慈悲なステータスが追記されていく。
三番艦:ポセイドン……破壊を確認
四番艦:ヘーパイストス……恒星フレアに巻き込まれ、消滅
五番艦:アポロン……ブラックホールに捕獲され、事象の地平線の彼方へ
六番艦:アルテミス……原因不明の動力炉暴走により、自爆
……
十一番艦:アルカディア……敵性勢力により、破壊を確認
次々と表示される、絶望的なまでの、死の記録。
エリスの顔から、血の気が引いていく。
やはり、もう、誰も残ってはいないのか。自分と、この一番艦アークノアだけが、最後の生き残りなのか。
全てのステータス表示が、終わろうとしていた、その時だった。
《……!》
ノアのシステム音声が、ほんの一瞬だけ、ノイズのような乱れを見せた。
《……微弱、しかし、アクティブな信号を、検知》
「!」
エリスが、息を呑んだ。
モニターの、ある一点が、緑色のカーソルで、拡大されていく。
そこは、星々の墓場と呼ばれる、小惑星が無数に密集する、危険な暗礁宙域だった。
《……これは、遭難信号ではありません。自らの存在を、極限まで隠蔽するための、ステルスモードで発信された、極めて微弱な、生存確認ビーコン……!》
モニターに、一つの艦影が、ノイズ混じりに映し出された。
それは、他のアークに比べて小ぶりで、戦闘用の兵装を持たない、穏やかな形状の船。船体には、植物の蔦のような、美しい紋様が刻まれている。
九番艦『緑のアーク・ガイア』
ステータス:健在。ただし、深刻なエネルギー不足。救助を要す
「……ガイア……!」
エリスの声が、歓喜に震えた。
「……生きて、いた……! 私の、妹が……!」
ガイア。それは、十二隻の方舟の中で、最も穏やかで、争いを好まなかった、心優しき妹。その使命は、未来の新天地に、緑豊かな森と、そこに生きる動物たちを、再び蘇らせること。
モニターに、ガイアの艦橋らしき場所の、断片的な映像が映し出される。
そこには、エリスやマリーナと同じ、方舟の巫女の姿があった。
緑色の髪をした、怯えたような瞳の少女。彼女は、艦のエネルギーを節約するため、コールドスリープ状態にある無数の動物たちのカプセルに囲まれながら、たった一人、必死に、その小さな楽園を守っていた。
二番艦ネメシスの『審判』から逃れるため、この星々の墓標の影に、何万年もの間、息を潜めて。
エリスは、涙を流していた。
だが、その涙は、もはや絶望の色ではなかった。
彼女の瞳には、新たな、そして、あまりにも力強い、目的の光が灯っていた。
(……行かなければ。助けなければ。今度こそ、私が、私の手で、たった一人の、残された姉妹を……!)
俺は、その光景を、ただ、静かに見つめていた。
そして、ゆっくりと、玉座に座り直すと、この城の、唯一絶対の支配者として、新たな命令を下した。
「……ノア」
《はい、管理人》
「『星を見る者』の、第二目標を変更だ」
俺は、モニターに映る、怯える妹の姿を、まっすぐに見据えた。
「――黒い槍を探すのは、その後だ。最優先で、あの緑の船、『ガイア』の、正確な座標を割り出せ。そして、俺たちが、安全に、あそこまでたどり着ける、最短ルートを計算しろ」
俺の、あまりにも個人的な、しかし、確固たる意志に満ちた命令。
それは、この城の使命を、ただの傍観者から、積極的な『救助者』へと、完全に切り替える、決定的な一言だった。
《――御意に》
ノアの、力強い返答が、響き渡る。
エラーラは、そんな俺の横顔を、どこか眩しいものを見るような、複雑な目で見つめていた。
俺の、平和なスローライフは、もう、どこか遠くへ行ってしまったらしい。
だが、不思議と、悪い気はしなかった。
目の前で、新しい家族を、迎えに行くための、壮大な冒険が、始まろうとしていたのだから。
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