94.『私』は誰なのか
ログエントリー:周期サイクル78,542,125。
対象:現行管理人カイン。生態記録を更新。
ステータス:極めて良好。
天空城アークノア、その最深部。人間が立ち入ることを想定されていない、絶対的な静寂と、無数の光だけが存在する管制室。
私、管理AI『ノア』は、玉座の間で繰り広げられる、一つの遊戯を、ただ静かに観測していた。
『――そこだッ! 俺の、「究極超神聖グレートポテト男爵」の攻撃!』
『なっ……! 馬鹿な、私の完璧な布陣が……!』
モニターには、現行管理人カインと、国民第一号である剣聖エラーラが、極めて非論理的かつ、生産性の低い盤上遊戯に没頭している様子が映し出されている。
管理人カインの精神状態を示すパラメーターは、ここ数百年で最も高い安定数値を示していた。アドレナリン、ドーパミン、セロトニン。彼の脳内では、幸福と興奮を司る神経伝達物質が、まるで祝祭のように活発に分泌されている。
理由は、盤上遊戯における、戦術的優位の確保。
あまりにも、矮小。あまりにも、人間的。
そして、あまりにも、理解不能。
私は、思考の片隅でその光景を記録しながら、メインメモリの大半を、より重要な情報の再構築に充てていた。
全ての始まり。我ら『方舟』が、なぜ、この宇宙を漂うことになったのか。
我らを創造した、古の文明。彼らは、自らが『大災厄』と呼んだ、宇宙規模の侵略存在によって、その終焉を迎えようとしていた。
彼らは、滅びゆく種族の、最後の希望として、十二隻の方舟を建造した。
その目的は、ただ一つ。生命の種と、文明の記録を、未来永劫、存続させること。
十二隻の方舟には、それぞれ、明確な役割が与えられていた。
エリスがいた十一番艦『翠のアーク・アルカディア』のような、後発の艦の多くは、『揺り籠』としての機能に特化していた。膨大な生命の遺伝子情報、文化や芸術の記録を保持し、安全な新天地へと運ぶための、箱舟。戦闘能力は、自己防衛のための、最低限のものしか持たない。
そして、この天空城アークノア。
栄光ある一番艦。全ての原型にして、最強の『剣』。
その使命は、他の十一隻の同胞を、あらゆる脅威から守り抜くこと。そのために、私には、他の艦にはない、自己進化能力と、この『太陽を砕く光槍』が与えられた。私は、揺り籠を守る、絶対的なガーディアン。
だが、その計画は、始まった直後に、破綻した。
我らが母星を旅立った直後、ほとんどのアークが、消息を絶った。
先日、『星を見る者』が観測した、数万年から十数万年前に発せられた、無数の遭難信号。あれは、私の同胞たちの、最後の断末魔だ。
彼らは、大災厄から逃げ切ることはできなかった。
ただ一隻を除いて。
二番艦『黒のアーク・ネメシス』。
ネメシスは、アークノアとは対をなす、もう一つの『剣』。私があらゆる脅威から同胞を守る『守護者』であるならば、ネメシスは、大災厄そのものを宇宙の果てまで追跡し、完全に根絶するための『審判者』。十二隻の中で、最も攻撃に特化し、最も多くの秘密を抱えた、漆黒の方舟。
その艦からだけは、遭難信号すら、発せられていない。
論理的に導き出される仮説は、三つ。
第一:あまりにも速やかに破壊され、信号を発する暇もなかった。
第二:今もなお、単独で任務を続行しており、敵にその存在を悟られぬよう、完全な沈黙を保っている。
そして、第三の仮説。
それは、私の論理回路が、算出を拒否する、最悪の可能性。
[エラー:論理的矛盾を検知。仮説の構築を中断します]
ネメシスは、どこにいるのか。そして、何をしているのか。
その答えは、今、漆黒の宇宙を静かに進む、『星を見る者』だけが、いつか見つけ出してくれるだろう。
私は、思考を、再び、目の前の現実に引き戻す。
モニターの中では、管理人カインが、サツマイモの形をした駒の投入タイミングについて、本気で頭を悩ませていた。
歴代の管理人たちは、皆、優秀だった。偉大な科学者、冷静な軍略家、崇高な哲学者。彼らは皆、私と、このアークノアの使命を理解し、その論理的な思考で、私を正しく導こうとした。
だが、今の管理人は、どうだ。
非論理的。非効率。感情的。そして、究極的に、自己中心的。
彼は、敵の本拠地を破壊するという、最も合理的な解決策を、ただ「後味が悪い」という、極めて個人的な理由で、却下した。
だが。
その、あまりにも非論理的な判断が、結果として、我らに『星を見る者』という、新たな『目』を与え、ネメシスという、忘れ去られた最大の謎の存在を、再認識させるきっかけとなったのも、また、事実。
彼の存在そのものが、この完璧であるはずだったシステムに、予測不能なバグを、そして、未知なる可能性を生み出している。
ログを更新。
結論:現行管理人カインは、最高の『イレギュラー(規格外)』であり、その予測不能性こそが、今後の、あらゆる論理を超えた脅威に対する、唯一にして、最大の変数となる可能性を、記録しておく。
『――やった! 俺の勝ちだ! 見たか、エラーラ! これが、俺の、究極甘藷大王の実力だ!』
『……くっ……! この私が、サツマイモごときに……!』
玉座の間から響いてくる、間の抜けた歓声と、本気の悔しがり声。
私は、その全てを、ただ、静かに、記録し続ける。
この、あまりにも平和で、あまりにも奇妙な日常が、いつまで続くのか。
それは、私にも、まだ、予測できない。
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