91.サン・ブレイカー
大菓子博覧会から、数日が過ぎた。
俺の日常は、再び、完璧な平和と退屈のループへと戻っていた。
玉座の間には、戦利品である大陸中のお菓子が山と積まれ、俺は、その山を少しずつ切り崩すという、人生で最も幸福な作業に没頭していた。
「んー、この聖王国の『聖女の涙』っていうキャンディー、うまいな。ほんのりミルク味だ」
「……それは、聖女アンナが、貴様のために祈りを込めて作ったという、聖なる飴だぞ。もっと敬意を払って食え」
俺の隣で、エラーラが、もはやツッコミを入れることすら諦めた、虚無の表情で茶を啜っている。
医療区画では、復讐を終えたエリスが、心身の回復のため、再び深い眠りについていた。
全てが、穏やかだった。
俺は、このまま、世界の終わりまで、この甘くて平和な時間が続くのだと、本気で信じ込んでいた。
その、あまりにも呑気な空気を、引き裂いたのは、ノアの、いつもとは明らかに違う、重々しい声だった。
《――管理人》
「ん? なんだ、ノア。そろそろ昼寝の時間か?」
《……貴官の、最終承認を、要請します》
「最終承認?」
俺が、首を傾げると、玉座の間の巨大なホログラムモニターに、見たこともない、壮大な光景が映し出された。
それは、宇宙。
漆黒の闇に、無数の星々が輝く、広大な星図。その中心に、赤いカーソルが、一つの座標を、点滅させて示している。
《先日、隷属の首輪の残滓より特定した、敵性勢力の本拠地座標です》
ノアの声は、淡々としていた。だが、その言葉の内容は、俺の理解を、完全に超えていた。
《これより、対侵略者迎撃シークエンス、『神の鉄槌』の、最終フェーズに移行。目標座標に対し、本城の主兵装『太陽を砕く光槍』を発射します》
モニターの映像が切り替わる。
天空城アークノア。その、巨大な城の底部が、まるで花が開くかのように、ゆっくりと、そして静かに、その構造を変化させていく。城の心臓部である主動力炉『アニマ・コア』から、凄まじいエネルギーが、城の底部に収束していくのが、CG映像で示されていた。
それは、もはや砲台というよりは、星そのものを穿つかのような、巨大な槍の穂先だった。
「……は……?」
俺は、手に持っていたキャンディーを、ぽろり、と落とした。
「は、発射!? 何を!? どこに!?」
「……これが、この城の、本当の姿か……」
俺の隣で、エラーラが、息を呑んで、その光景に戦慄していた。
《発射まで、残り300秒。管理人による、最終承認コードの、音声入力を、お待ちしています》
「待て待て待て! ストップ! 全てストップだ!」
俺は、慌てて叫んだ。
「何、勝手に話を進めてるんだよ! 太陽を砕く槍!? そんな物騒なもん、撃っていいわけないだろ!」
《……管理人。これは、貴方様の平和なスローライフを、未来永劫、保証するための、最も合理的で、最も効率的な、害虫駆除です》
ノアの、あまりにも冷静な返答。
その時、医療区画から、緊急の通信が入った。ベッドの上で、モニターを見ていたエリスが、必死の形相で、こちらに呼びかけていた。
「管理人様! お願いします! 彼らに、裁きを! 私の故郷を、同胞を奪った、あの者たちに、どうか、鉄槌を!」
彼女の瞳には、復讐の炎が、激しく燃え盛っている。
エラーラも、俺の肩を掴んで、真剣な眼差しで言った。
「……管理人。私も、貴様のやり方には、思うところがある。だが、これだけは言える。敵は、存在する。そして、その敵は、我々に対して、明確な敵意を持っている。……ここで、その芽を完全に摘み取るというのは、軍略的には、正しい判断だ。……たとえ、それが、神の力であろうともな」
復讐を望む、方舟の巫女。
合理性を説く、最強の剣聖。
そして、主の安寧のためだけに、全てを滅ぼそうとする、絶対的な守護者。
俺は、三者三様の、あまりにも重い期待に、完全に包囲されていた。
だが、俺は、ゆっくりと、首を横に振った。
「……嫌だ」
「……何?」
「嫌だっつってんだよ!」
俺は、叫んだ。
「相手が誰かも、どんな顔してるかも、何も知らないんだぞ!? それを、いきなり、こんな、星ごと吹っ飛ばすような兵器で、一方的に攻撃する? そんなの、あいつらが、エリスの故郷にしたことと、何が違うんだよ!」
俺の、あまりにも単純で、あまりにも子供じみた、正論。
その言葉に、エリスは、はっとしたように、目を見開いた。エラーラも、ぐっと、言葉に詰まる。
《……ですが、管理人。放置すれば、彼らは、必ずや、再び、我々に脅威をもたらします。その確率は、99.9%以上です》
「だとしても、だ!」
俺は、玉座にふんぞり返ると、腕を組んで、高らかに宣言した。
「俺は、俺の城の飯が、まずいか美味いかには興味がある。だが、会ったこともない奴らの、生死には、全く興味がない。……だがな。俺が、一番嫌いなのは、面倒事だ。こんな、後味の悪い勝ち方をして、これから先、ずっと、そのことを考えながら、昼寝しなきゃいけないなんて、それこそが、俺のスローライフにとって、最大のストレスなんだよ!」
俺の、究極の自己中心的な理論。
だが、それは、この城においては、絶対的な『法』だった。
「俺は、この城の管理人だ。そして、俺は、この『神の鉄槌』とやらを、承認しない。……発射は、中止だ。……ノア、他に、何か、方法はないのか? もっと、平和的で、面倒くさくなくて、俺が、高みの見物を楽しめるような、そんな方法が」
俺の、あまりにも無茶苦茶で、あまりにも自分勝手な命令。
それに、ノアは、数秒間、沈黙した。
そして、主の命令と、システムの合理性の間で、新たな最適解を、導き出した。
《……承知、いたしました。代替案を、提案します》
モニターの映像が、主砲の充填シークエンスから、別のものへと切り替わる。
それは、白銀に輝く、流線型の、槍のような形をした、小型の探査機だった。
《――長距離・超光速ステルス観測機、『星を見る者』。これを、目標座標へと射出。対象を、物理的に破壊するのではなく、その全ての情報を、我々の下に、もたらします》
《敵の全てを、丸裸にし、その上で、どう調理するかは、改めて、管理人様が、ご判断ください》
その、あまりにも俺好みの、悪趣味な提案。
俺は、ニヤリと、満足げな笑みを浮かべた。
「……それだ。採用!」
こうして、星々を揺るがすはずだった、神の鉄槌は、寸でのところで、回避された。
代わりに、解き放たれたのは、誰にも気づかれず、誰にも止められない、神の『目』。
俺の、新たな、そして、究極の暇つぶしが、今、宇宙へと、飛び立とうとしていた。
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