89.続・大菓子博覧会④
「――大遅刻だ、この炎馬鹿が!」
北の魔女リディアの、絶対零度の怒声が、黒焦げになった戦場に響き渡った。
その怒りを向けられた張本人、『南の魔女』フレアは、アークドラゴンの巨大な頭蓋骨の上に腰掛けたまま、悪びれる様子もなく、けらけらと笑っている。
「ごめんごめん! いやー、南の大陸で面白い火山が噴火しててさ、つい見入っちゃって。最高のショーだったぜ?」
「貴様の道楽のせいで、こっちは死ぬかと思ったわ!」
「まあまあ、二人とも。結果オーライじゃないか。おかげで、面倒なトカゲは片付いたんだからさ」
東の魔女テラが、呆れたように二人をなだめる。
伝説の魔女が三人。
氷、土、そして炎。それぞれが大陸の理を司る、神話の存在。その三人が、まるで近所の井戸端会議でもするかのように、瓦礫の中心で口論を繰り広げている。
その、あまりにも異様で、あまりにも現実離れした光景を、帝都の民衆も、兵士も、そして聖王国の者たちも、ただ、呆然と見つめることしかできなかった。
自分たちの日常が、いかに矮小で、いかに脆いものであるかを、誰もが痛感していた。
「……すごい花火大会だったなー」
その、歴史的な光景を、俺は、玉座の間で見ていたのと同じ、完全に他人事のテンションで眺めていた。
俺の隣では、聖女と呼ばれる少女アンナが、目をキラキラさせて、空に開いた大穴(アークエンジェルの攻撃跡)と、黒焦げの竜の骨を、交互に見比べている。
「今の、怖くなかった?」
俺が尋ねると、アンナは、ぶんぶんと首を横に振った。
「きれいでした! ピカッてなって、ドーンってなって、お空がお星さまでいっぱいになって! とっても!」
「だよなー!」
俺とアンナは、完全に意気投合していた。
その、あまりにも純粋で、あまりにも緊張感のない二人の会話を、後ろで聞いていたエラーラは、もはやツッコミを入れる気力もなく、深すぎる頭痛に、ただこめかみを押さえていた。
「それにしても」
俺は、少しだけ残念そうに呟いた。
「せっかくの祭りが、台無しだな。もう、お菓子は終わりかな……」
【仮設王城 最高司令室】
同じ頃、皇帝ゲルハルトもまた、魔水晶を通して、その一部始終を見ていた。
フードの集団による、最後の悪あがきは、鎮圧された。結果だけ見れば、帝国の勝利だ。
だが、彼の心は、鉛のように重かった。
自国の首都が、伝説級の者たちの、好き勝手な戦いの舞台と化した。多くの民が傷つき、街は再び破壊された。そして何より、あの天空城の護衛兵――アークエンジェルが放った、たった一閃の光。あれは、自らが放つ【雷葬】など、赤子の火遊びに等しい、本物の『神の怒り』だった。
(……我らは、本物の『神』を相手にしていたのだ……)
皇帝の隣で、老練な外交官ギュンターが、震える声で進言した。
「陛下。もはや、あの御方を『駒』として利用しようなどという、不遜な考えは、お捨てくだされ。我らにできることは、ただ一つ。ひたすらに、その御機嫌を取り、我らに牙が向かぬよう、祈ることのみにございます」
その言葉に、覇王は、静かに、そして深く、頷いた。
プライドも、野心も、今はもう、意味をなさない。
「――全軍に通達」
皇帝は、苦渋に満ちた、しかし、絶対的な命令を下した。
「博覧会を、続けよ。何事もなかったかのように、だ。負傷者の救護を最優先とせよ。破壊された区画は、今すぐ復旧させろ。そして、天空の主が、完全に満足して、天にお帰りになるまで、帝国全土を挙げて、最高のもてなしを、続けよ!」
皇帝の勅命は、絶対だった。
驚くべきことに、あれほどの激闘があったにも関わらず、博覧会は、ほんの数時間で、何事もなかったかのように再開された。
魔女たちも、「これで用心棒の仕事は終わりだな」と、再び屋台巡りへと消えていった。
「おお! やった! まだお菓子食べられるぞ!」
俺は、その報せに、心の底から歓喜した。
そして、アンナの手を、優しく引いた。
「よし、アンナちゃん! 次は、わたあめを食べに行こう! ふわふわで、雲みたいなやつだぞ!」
「はいっ!」
俺と聖女は、子供のようにはしゃぎながら、甘い香りがする方へと駆け出した。
その、あまりにも無邪気な二人(と、その背後を固める神の軍勢)の姿を、枢機卿ヴァレリウスが、冷たい、氷のような目で見つめていた。
(……見よ。あの男は、聖女アンナの純粋さすら、己の慰みものにしている。民の苦しみをよそに、ただ己の欲望を満たすことしか頭にない。……やはり、あれは、人の姿をした悪魔だ)
彼は、確信していた。
(帝国が、あの悪魔に堕ちたというのなら、もはや、やむを得まい。我ら聖王国が、神の御名において、この穢れた祭典ごと、全てを浄化する、聖なる鉄槌を下すまで……)
その喧騒から、少し離れた場所。
黒焦げになったアークドラゴンの残骸を、一体のアークエンジェルが、無表情で見下ろしていた。
その白銀の手が、ゆっくりと、瓦礫の中から、何かを拾い上げる。
それは、竜の首にはめられていた、『隷属の首輪』の、焼け焦げた破片だった。
アークエンジェルの、彫像のように美しい顔。その瞳にあたる部分で、赤い光が一瞬だけ、鋭く灯った。
《――ノアへ、直接報告》
その声は、誰の耳にも届かない、思考の伝達。
《隷属の紋様の残滓より、極めて微弱ながら、未知の空間座標へのマーキングを検知。敵の本拠地、あるいは、その中継地点である可能性。ただちに、解析を開始します》
俺が、聖女と共に、雲のようなわたあめを頬張っている、まさにその裏で。
物語は、俺の全く知らない、次の舞台へと、その駒を、静かに進めようとしていた。
――ここまで読んでいただきありがとうございます!
面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!
次回もお楽しみに!