88.続・大菓子博覧会③
「……おいしい?」
俺は、聖女と呼ばれる少女、アンナの顔を覗き込みながら、尋ねた。
彼女は、俺が差し出したチョコバナナの最後の一口を、小さな口で、しかし夢中になって頬張っている。そして、こくり、と、満面の笑みで頷いた。
その、あまりにも無垢で、あまりにも平和な光景。
それを見守っていた枢機卿ヴァレリウスは、自らの計画が、聖女の純粋な食欲の前に、完全に頓挫したことを悟り、天を仰いでいた。
その、つかの間の平穏を、引き裂いたのは、天からの轟音だった。
ドゴォォォォン!!
博覧会の会場から、さほど離れていない場所に、巨大な何かが墜落したかのような、凄まじい衝撃と地響き。人々の歓声が、一瞬にしてパニックの悲鳴に変わる。
空を見上げると、巨大な影が、帝都の上空を旋回していた。
黒曜石の鱗、理性のない瞳、そして、首に刻まれた禍々しい隷属の紋様。
ドラゴン。
「……フードの連中の、最後の悪あがきか」
俺の隣で、エラーラが、忌々しげに呟いた。
セラフィムとアークエンジェルたちが、即座に俺の周囲を固め、臨戦態勢に入る。
だが、彼らが手を出すよりも、早く動いた者たちがいた。
「――ったく、本当に、祭りの邪魔しかしねえな、あいつらは!」
東の魔女テラが、地面を強く踏みしめる。すると、竜の足元の地面が、巨大な土の腕となって、その巨体を拘束した。
「――下品な咆哮だ。永遠に黙らせてやろう」
北の魔女リディアが、指先を天に向ける。上空に、無数の巨大な氷の槍が形成され、拘束された竜へと、雨のように降り注いだ。
伝説の魔女二人の、完璧な連携。竜は、断末魔を上げる間もなく、氷の墓標の下に沈んだ。
「……すごいな、あの二人」
俺が、他人事のように感心していると、事態は、さらに悪化した。
空の、四方八方から、次々と、同じ隷属の紋様を刻まれたドラゴンが、その姿を現したのだ。
一体、二体ではない。数十、いや、百を超える竜の群れ。フードの集団が、その最後の全リソースを、この一点に投入したのだろう。
「……おいおい、嘘だろ」
さすがのテラも、顔を引きつらせる。
「これだけの数を、二人で、か……!?」
リディアも、厳しい表情で、氷の槍を再び形成する。だが、明らかに、数が足りない。
その、絶望的な光景を前にして、俺の隣に立つ、一体のアークエンジェルが、静かに、一歩前に出た。
そして、その光の翼を、ゆっくりと広げる。
次の瞬間、アークエンジェルの体から、太陽そのものが爆発したかのような、絶対的な光の奔流が、空全体に放たれた。
――閃光。
音が、消えた。
光が収まった後、そこには、何事もなかったかのような青空だけが広がっていた。
ただ一体の、ひときわ巨大な竜を除いて。
百を超える竜の群れは、その一閃で、文字通り、蒸発していた。
後に残ったのは、アークの名を冠する、伝説の最上位種――アークドラゴン。その巨体は、他の竜の三倍はあろうかという大きさで、その瞳には、隷属の呪いの奥に、わずかな理性の光が宿っているように見えた。
「……さて、と。ラスボスのお出まし、ってわけか」
俺が、呑気に呟くと、残る二体のアークエンジェルも、静かに、その翼を広げた。
だが、俺は、それを手で制した。
「まあ、待てって。せっかく、用心棒を雇ってるんだ。ここで、俺たちが出しゃばるのは、魔女の手柄をとっても悪いだろ?」
「…………」
俺の、あまりにも場違いで、あまりにも呑気な一言に、エラーラは、もはや、何も言うまいと、固く、固く、目を閉じた。
かくして、伝説の魔女二人は、最強の竜と、一対二で戦うことを、余儀なくされた。
戦いは、熾烈を極めた。
アークドラゴンのブレスは、テラの土の壁を容易く融解させ、その爪は、リディアの氷の槍を、紙細工のように砕いていく。
二人の魔女は、明らかに苦戦していた。
「ちぃっ! こいつ、ただのトカゲじゃないぞ! 動きを、読んでやがる!」
「厄介なことだね……!」
だが、数合、打ち合った後、二人は、同時に、あることに気づいた。
竜の首に刻まれた、隷属の紋様。それが、全ての攻撃の起点となり、そして、竜自身の生命力を、無理やり吸い上げていることに。
(殺すな! 狙いは、あの首輪だ!)
二人の意思が、無言のうちに一致する。
テラが、地面から無数の岩の鎖を生成し、アークドラゴンの四肢を拘束する。リディアが、絶対零度の吹雪で、その動きを、一瞬だけ、完全に封じ込めた。
好機。二人が、同時に、首輪を破壊するための、最大魔法を放とうとした、その時だった。
――天から、巨大な、炎の柱が、降ってきた。
それは、アークエンジェルの光とは違う、もっと荒々しく、もっと混沌とした、純粋な破壊の炎。
炎の柱は、拘束されたアークドラゴンを、完全に飲み込み、その巨体を、一瞬で、黒焦げの炭へと変えてしまった。
「…………」
後に残ったのは、静寂と、地面に突き刺さる、巨大な竜の骨だけ。
そして、その骨の上に、一人の女が、音もなく、舞い降りた。
燃えるような真紅の髪、勝ち気な笑み、そして、その身にまとう、灼熱のオーラ。
「――やっほー! 間に合った?」
その、あまりにも軽い挨拶に、リディアの額に、青筋が浮かんだ。
「……大遅刻だ、この炎馬鹿が!」
『南の魔女』フレア。
大陸最強の、そして、最も時間にルーズな伝説が、今、ついに、その姿を現したのだった。
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