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83/122

83.器②

 シャルロッテが、禍々しい光と共に消え去った後。

 医療区画には、気まずい沈黙だけが、重く漂っていた。

 床に落ちた、食べかけのミルクプリンが、俺たちの甘く、そして愚かだった日常の、墓標のように見えた。

「…………」

その沈黙を、最初に破ったのは、意外にも、AIノアの声だった。

《……申し訳、ありません》

 その声は、いつもとは明らかに違っていた。

 平坦で、無機質だったはずの声に、ほんのわずかだが、人間の『後悔』や『自責』に似た、微かな震えが混じっていたのだ。

「……ノア?」

 俺が、驚いて聞き返す。

《……私の、判断ミスです。対象:シャルロッテ・フォン・シュタインを、帝国からの『客人』として、そのアクセス権限を、過剰に信頼してしまいました。結果として、彼女に、城のシステムの一部を学習、及び、汚染する機会を与えてしまった。……全ては、私の、責任です》

 ノアの、あまりにも人間らしい謝罪。

 そして、その声に呼応するかのように、城全体が、微かに、しかし悲しげに、震えた気がした。

 壁や、床、天井。その全てが、まるで泣いているかのように、すすり泣くような、低い共鳴音を立てている。

「……これが、エラーラが言っていた、『母親』……か」

 俺は、ようやく、この城の正体の一端を、肌で感じていた。

 ノアは、ただのAIではない。この城そのものと、感情レベルでリンクした、巨大な一つの生命体。そして、その根底にあるのは、管理人である俺を、何があっても守ろうとする、狂信的なまでの、母性。

 その母親が、今、自分の子供を危険に晒してしまったことを、心の底から悔やんでいる。

「……お前のせいじゃないだろ」

 俺は、天井に向かって、ぶっきらぼうに言った。

「あいつを、この城に招き入れたのは、俺だ。美味い菓子が食いたい、なんていう、馬鹿みたいな理由でな。……だから、お前が謝ることじゃない」

 俺の言葉に、城のすすり泣きが、ほんの少しだけ、静かになった気がした。

「……管理人」

 俺の隣で、エラーラが、真剣な眼差しで、俺を見ていた。

「……貴様は、これから、どうするつもりだ」

 彼女の問いは、シンプルで、そして、核心を突いていた。

 敵は、シャルロッテだけではない。彼女の背後にいる、あのフードの集団、『沈黙の福音』。そして、彼らが崇める、真の『主君』。

 俺たちの戦いは、まだ、始まったばかりなのだ。

 俺は、数秒間、考えた。

 そして、俺が出した答えもまた、シンプルだった。

「……決まってるだろ」

 俺は、玉座の間へと、踵を返した。

「――俺の、平和なスローライフを邪魔する奴は、誰であろうと、ぶっ飛ばす。ただ、それだけだ」

 その言葉は、覇王の宣言でもなければ、英雄の誓いでもない。

 ただ、自分の安寧を、何よりも優先する、一人の男の、あまりにも個人的で、あまりにも切実な、決意表明だった。

 だが、その言葉を聞いたエラーラの口元に、初めて、ほんのわずかな、笑みが浮かんだのを、俺は見逃さなかった。

「……ふん。ようやく、その気になったか、愚かな管理人め」

 玉座の間に戻った俺は、まず、ノアに命令した。

「ノア! シャルロッテが残していった、全てのものを分析しろ! 彼女が使っていた調理器具、部屋に残された私物、そして……俺が食った、全てのお菓子の成分! 奴らの手がかりが、何か残っているはずだ!」

《御意に》

 ノアの、いつもの冷静さを取り戻した声が、頼もしく響く。

「エラーラ!」

「……何だ」

「国民の中から、腕っぷしに自信のある奴らを集めてくれ! シャルロッテの顔を、全員に叩き込む! 万が一、あいつがまたこの城に現れたら、即座に取り押さえる!」

「……承知した。ようやく、私の剣が、役に立つ時が来たようだな」

 エラーラは、満足げに頷いた。

「そして、エリス!」

 医療区画で、まだ安静にしているはずの少女に、俺は、通信を通して呼びかけた。

「君の記憶にある、敵の情報を、もう一度、全て洗い出してくれ! どんな些細なことでもいい! 奴らの目的、行動パターン、何でもいいから、俺たちに教えてくれ!」

《……はい! 管理人様!》

 エリスの、力強い返事が、スピーカーから聞こえてきた。

 俺は、玉座に深く座り直し、目の前の巨大なモニターを睨みつけた。

 そこには、今も変わらず、平和な地上の様子が映し出されている。

 だが、その平和の裏側で、静かに、そして確実に、俺たちの日常を蝕もうとしている、見えざる敵がいる。

「……さて、と」

 俺は、ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。

「――神様の暇つぶしは、もう終わりだ。ここからは、俺の、平和な昼寝の時間を守るための、戦争の時間だ」

 俺の、あまりにも個人的な理由で、天空の城は、初めて、その真の力の一端を、明確な『敵意』を持って、地上へと向けることになる。

 それは、もはや、神の気まぐれではない。

自分の安寧を邪魔された、一人の男の、本気の『逆襲』の始まりだった。

――ここまで読んでいただきありがとうございます!

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次回もお楽しみに!



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