8.ミルクチョコレートの方が好き
巨大な温室は、まさに楽園だった。
俺はふかふかのベンチをノアに作ってもらい、そこに寝転がって、ガラスの天井から差し込む柔らかな光と、咲き乱れる花々をただぼんやりと眺めていた。
追放されてからの数日間が、まるで嘘のようだ。これが俺の求めていたスローライフというやつじゃないか?
無数に咲く花々の中でも、ひときわ俺の目を引く花があった。
それは、幾重にも重なった純白の花びらの中心が、星屑を散りばめた夜空のように、深く、そして淡く明滅している不思議な花だった。その幻想的な美しさに、俺はすっかり心を奪われ、ただじっと見つめていた。
ずっと見ていられる。いや、ずっと見ていたい。なんだか、とても幸せな気分だ……。
俺がその花に釘付けになっていた、その時だった。
「ガシャン!」
突如、鋭い金属音と共に、天井からシャッターのようなものが降りてきて、その花の真上をピンポイントで覆い隠してしまった。
「うわっ!? なんだよ、今いいところだったのに……」
急に楽園から現実に引き戻され、俺は少しだけ悲しい気持ちになる。すると、ノアの冷静な声が響いた。
《対象『深淵の揺り籠』の長時間観測を検知。精神保護プロトコルに基づき、遮蔽しました》
「精神保護? あの花、何かヤバいのか?」
《肯定します。『深淵の揺り籠』が放つ光と花粉には、強力な催眠効果及び、精神を融解させる作用があります。長時間観測し続けた場合、貴官は幸福な夢を見ながら、二度と目覚めることはなかったでしょう》
……さらり、とんでもないことを言われた。
ただ綺麗な花だと思っていたものが、即死級のトラップだったとは。
「そうか……」と、俺は乾いた返事しかできなかった。この城では、美しいものほど危険なのかもしれない。
すっかり昼寝の気分ではなくなった俺は、散歩を続けることにした。
温室を出て、再び長い通路を歩いていると、『技術室』とプレートが掲げられた部屋を見つける。中を覗くと、そこは今まで見てきたどの部屋よりも、俺の好奇心を刺激する場所だった。
壁一面に並べられた、用途不明の工具。机の上には、作りかけのような機械や、複雑なレンズが組み込まれた装置。まるで、伝説のドワーフか何かの工房のようだ。
並べられた魔道具の一つを手に取ってみる。ずっしりと重く、ひんやりとした金属の感触。使われている素材も、加工技術も、素人の俺が見ても明らかに一級品だとわかる。
「……なあ、これ、一個売ったらいくらになるんだ?」
ふと、そんな下世話な考えが頭をよぎる。この部屋にあるもの全てを換金すれば、俺が一生遊んで暮らせるどころか、小さな国が一つ買えるくらいの金額になるんじゃないだろうか。
その事実に気づいた瞬間、俺の胸は、途方もない興奮と期待で高鳴った。
「そうだ! ノア!」
《はい、管理人》
「俺、甘いものが好きなんだが、食べすぎると胃もたれするんだ。だから、その……いくら食べても胃もたれしない、夢のようなチョコレートを作ってくれ!」
この城の創造機能と、目の前にある超技術。この二つが合わされば、不可能はないはずだ。
《了解しました。ご希望の物品を生成します》
ノアの返答と共に、作業台の上の空間が淡く光り、一枚の板チョコレートがポン、と現れた。カカオの良い香りがふわりと漂う。
「おお! すげえ!」
俺は子供のようにはしゃぎながら、早速その一片を割って口に放り込んだ。
口の中に広がる、濃厚なカカオの風味。甘さは控えめで、大人の味だ。これならいくらでも……。
「……にがっ!?」
後から追いかけてきた強烈な苦味に、俺は顔をしかめた。
健康に良いものは、いつだって少しだけ、苦いものらしい。
――ここまで読んでいただきありがとうございます!
面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!
少なくとも中断宣言するまでは止まらない
次回もお楽しみに!