79.大菓子博覧会⑧
帝国の用意した甘い檻――『甘味の神殿』の最上階。
俺は、神になった気分だった。
眼下に広がるのは、夢のようなお菓子の国。そして、俺の目の前には、次から次へと、帝国最高峰の菓子職人たちが作り上げた、芸術品のようなスイーツが運ばれてくる。
「んー、うまい! このマカロン、絶品だな!」
「陛下、こちらのエクレアも、お口に合いますかと」
案内役のハンスが、完璧なタイミングで次の菓子を勧めてくる。周囲は、帝国最強の近衛騎士団と、俺の護衛であるセラフィムたちが、二重三重の壁となって固めている。
完璧だ。これこそが、俺の求めていた、究極のスローライフ。
「……貴様は、本当に、それでいいのか」
俺の隣で、エラーラが、心底うんざりしたように呟いた。彼女は、一口も菓子に手をつけず、ただ、鷹のような鋭い目で、周囲を警戒し続けている。
「帝国に、完全に飼い慣らされている自覚はないのか。ここは、天国などではない。金色の鳥籠だぞ」
「鳥籠でもいいじゃん、エサが美味ければ」
俺の、あまりにも能天気な返答に、エラーラは、もう何も言うまいと、固く口を閉ざした。
その、俺たちの平和(俺だけが)なティータイムを、引き裂くように、地上の喧騒が、ひときわ大きくなった。
「ん? なんか、騒がしいな」
俺が、バルコニーから身を乗り出して下を見ると、甘味の神殿の前に、巨大な人だかりができていた。その中心で、純白の法衣に身を包んだ一団――聖王国の枢機卿ヴァレリウスたちが、何やら演説をぶっている。
「――聞け、帝国の民よ! そして、惑わされし者たちよ!」
魔法で拡張された、ヴァレリウスのカリスマ的な声が、博覧会全体に響き渡る。
「我らは、問わねばならぬ! 天より来たりし、あの御方は、真に我らを救う、神の使徒なのか!? あるいは、甘き菓子で我らを惑わし、その魂を堕落させんとする、偽りの預言者なのか!?」
その、あまりにも直接的で、扇動的な言葉に、祭りの空気が、一変した。
人々は、戸惑い、ざわめき、そして、興味本位で、あるいは不安げに、ヴァレリウスの言葉に耳を傾け始める。
「我ら聖王国は、真実を求める! 天の主よ! もし、貴方が真に神聖なる存在であるならば、この場に降り立ち、この『真実の聖盤』の前で、その身の潔白を、民衆の前で証明してみせよ!」
ヴァレリウスは、懐から取り出した銀の円盤を、高々と天に掲げた。
「もし、それができぬというのなら――貴方は、我ら全ての敵! 神を騙る、最大の『異端』であると、我らはここに断定する!」
その、あまりにも無礼で、あまりにも挑戦的な宣言。
俺は、口に含んだマカロンを、ぽろり、と落としそうになった。
「……なんか、俺、すごい悪者みたいになってないか?」
【仮設王城 最高司令室】
「――あの、聖職者崩れのハイエナめが……!」
皇帝ゲルハルトは、玉座で、魔水晶に映るその光景を、怒りに顔を歪ませて見ていた。
あと、もう少しだった。あの愚かな管理人が、帝国の『もてなし』に完全に心を許し、その警戒心を解きほぐす、その寸前だったのだ。
それを、聖王国の横槍が、全て台無しにしようとしている。
「ギュンター! あの者たちを、黙らせろ!」
「はっ。……ですが、陛下。民衆の前で、聖王国の使節団に、帝国が手を下したとなれば、我らの評判は……」
「ならば、帝国の手でなくせばよかろう」
皇帝は、冷徹な目で、水晶の別の場所に映る、二人の女に視線を移した。
「――魔女どもに伝えよ。『用心棒』の仕事の時間だ、と。あのやかましい説教を、永遠に黙らせてやれ、とな」
甘味の神殿の前で、ヴァレリウスが、恍惚とした表情で、民衆の反応を楽しんでいた、その時だった。
「――爺さん、祭りの邪魔だぜ」
気だるそうな、しかし、有無を言わせぬ迫力のある声。
いつの間にか、彼の前に、肉串を片手にした『東の魔女』テラが、仁王立ちになっていた。
「神だの悪魔だの、下らない茶番は、教会の中でやってな。ここは、菓子と、夢の国なんだよ」
「その通りだ。貴様のような、胡散臭い祈りの匂いは、せっかくの砂糖の香りを台無しにする」
その背後から、氷のように冷たい声と共に、『北の魔女』リディアが、音もなく姿を現した。
「……伝説の魔女が、二柱も。なるほど、帝国も、本気というわけですな」
ヴァレリウスは、動じない。彼の周囲を、護衛の聖騎士たちが、即座に固めた。
「ならば、問おう、魔女よ。貴殿らは、神に牙を剥くというのか」
「神?」
テラは、心底おかしそうに、腹を抱えて笑った。
「あの上にいるのは、神なんぞじゃない。ただの、食い意地の張った、間の抜けた小僧だ。だがな――」
彼女の笑みが、すっと消える。
「――そいつは、今、俺たちの『雇い主』だ。用心棒として、みすみす、客に手出しさせるわけにはいかねえんだよ」
魔女 vs 聖騎士。
伝説と、信仰が、今、まさに激突しようとしていた。
その、あまりにも緊迫した空気を、完全に無視して。
神殿のバルコニーから、俺の、不機嫌極まりない声が、響き渡った。
「――もう! うるさいなあ!」
全員の視線が、一斉に、俺へと注がれる。
俺は、バルコニーの手すりに身を乗り出し、地上の連中を、まとめて睨みつけた。
「せっかく、美味しいお菓子を食べてるのに、下でギャーギャー騒がれると、味がわからなくなるだろ! 静かにしろ!」
俺の、あまりにも子供じみた、しかし、絶対的な権力者の我儘。
俺は、隣に立つ、一体のセラフィムの肩を、ぽん、と叩いた。
「お前、行ってこい。あいつら全員、黙らせてきて」
《御意に》
セラフィムは、静かに頷くと、バルコニーから、ふわり、と飛び降りた。
羽もないのに、まるで重力など存在しないかのように、ゆっくりと、そして優雅に、魔女と聖騎士団が睨み合う、そのちょうど真ん中に、音もなく着地した。
白銀の騎士は、何も語らない。剣を抜くことすらない。
ただ、そこに、いるだけ。
だが、その存在そのものが、場の空気を、完全に支配した。
テラが、リディアが、そしてヴァレリウスが、本能的な恐怖に、動きを止める。それは、生物としての、格の違い。神話の存在を前にした、ただの人間の、絶対的な無力感。
セラフィムは、そのスリット状のバイザーを、ゆっくりと、魔女たち、そして聖騎士たちへと、順番に向けた。
その無言の視線が、全てを語っていた。
(――これ以上、主人の食事の邪魔をする者は、誰であろうと、排除する)
やがて、その絶対的なプレッシャーに耐えかねたように、ヴァレリウスが、ゆっくりと、ひざまずいた。聖騎士たちも、それに続く。
テラとリディアは、顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
「……化け物が」
誰かが、そう呟いた。
「よしよし、静かになったな!」
俺は、その光景に、大変満足した。
そして、何事もなかったかのように、新しいケーキへと、フォークを伸ばす。
だが、その場に残されたのは、帝国、聖王国、そして魔女たちの、天空城(特に、あの白銀の騎士)の、計り知れない力に対する、さらなる畏怖と、警戒心だけだった。
そして、その混沌とした状況を、人混みの影から、クッキーのフードを被ったシャルロッテが、冷静に、そして、楽しそうに、見つめていた。
彼女の脳裏では、この神々の茶番の全てが、彼女の真の主君へと報告すべき、貴重な情報として、整理され始めていた。
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