表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/121

75.大菓子博覧会④

 大菓子博覧会の喧騒は、まるで巨大な蜂の巣の羽音のように、帝都ヴァイスの中心で鳴り響いていた。綿あめの雲が空を流れ、チョコレートの川が甘い香りを運び、人々は、つかの間の夢に酔いしれていた。

 その、雑踏の中を、場違いなほど目立つ二人の女が、屋台のフルーツ飴を片手に、のんびりと歩いていた。

「……それにしても、下品な催しだねえ」

 銀髪をなびかせ、冷めた目で周囲を見渡すのは、『北の魔女』リディア。

「砂糖と香料で、民衆の目を眩ませる。あの皇帝らしい、悪趣味なやり方だ」

「まあまあ、そう言うなよ、リディア」

 隣で、こんがりと焼かれた肉串を豪快に頬張るのは、『東の魔女』テラだ。

「たまには、こういうのも悪くない。それに、ほら、見てみろ。あの砂糖菓子でできた鳥、なかなか見事な造形じゃないか」

 伝説の魔女が二人、なぜ、こんな場所にいるのか。

 それは、皇帝ゲルハルトからの、破格の報酬による依頼があったからだ。

『――博覧会の期間中、帝都の『用心棒』となってもらいたい。狙いは、天空城の主。あるいは、それを狙う、何者か。貴殿らには、帝国の騎士団が手出しできぬ、規格外の脅威に対処してもらいたい』

 皇帝は、自らの罠に、さらに保険をかけていたのだ。

「それにしても、魔女は皆、お菓子が大好物、なんて俗説を、あの皇帝は本気で信じているのかね。呆れたものだよ」

 リディアが、フルーツ飴をかじりながら、心底うんざりしたように言う。

「いいじゃないか、その方が話が早くて。おかげで、最高の報酬にありつけたんだからさ」

「南のあの怠け者は、どうした。来るんじゃなかったのか」

「さあな。『ちょっと昼寝してから行く』と連絡があったきりだ。いつものことさ。あいつが時間通りに来たことなんて、この三百年で一度もない」

 テラは、あっけらかんと笑った。

 その時だった。

 酒で赤ら顔になった、屈強な傭兵風の男たちが、ふらつきながら二人の前に立ちはだかった。

「よぉ、姐さんたち。見かけねえ顔だな。こんなところで二人きりとは、寂しいんじゃねえか? 俺たちと、もっと甘い菓子でも食いに行こうぜ」

 下卑た笑みを浮かべ、一人の男が、リディアの肩に、馴れ馴れしく手を伸ばす。

「……触るな、汚らわしい」

 リディアの、絶対零度の声。

「ああん? なんだと、このアマ……」

 男が、その手を掴もうとした、瞬間。

 その腕が、ぴたり、と凍りついたように動かなくなった。

「……な……?」

 男は、自分の腕に力が入らないことに、困惑する。

 いや、違う。よく見れば、男の腕には、びっしりと、美しい霜の結晶が張り付いていた。腕そのものが、内側から、完全に凍結していたのだ。

「ひっ……!?」

 仲間たちが、腰の剣に手をかける。

 だが、テラが、肉串の刺さっていた串を、こともなげに、地面に突き立てた。

 ドゴゴゴゴゴッ!

 男たちの足元の地面が、まるで粘土のように隆起し、巨大な土の腕となって、彼らの体を優しく、しかし抗いようのない力で拘束した。

「……さて。この者たちは、どうする?」

「放っておけ。そのうち、誰かが見つけるだろう」

 リディアは、興味を失ったように、再びフルーツ飴へと視線を戻した。

 魔女たちは、ただ、菓子巡りをしながら、時折、目に付いた不届き者たちを、こうして静かに懲らしめているだけだった。

【甘味の神殿・特別応接室】

 その頃、俺は、博覧会の中心地である、巨大なウェディングケーキを模した建物『甘味の神殿』の一室で、そわそわしながら、その時を待っていた。

「まだかなぁ……。伝説のタルト……」

 首を、キリンのように長くして、扉の方を何度も見やる。

 部屋には、甘く、香ばしい匂いが満ちており、俺の期待を極限まで高めていた。

「……少しは、落ち着け、管理人」

 部屋の隅で、エラーラが、壁に寄りかかりながら、鋭い視線で周囲を警戒していた。彼女だけは、この甘ったるい雰囲気に、全く呑まれていない。

「ここは、敵地のど真ん中だぞ。いつ、何が起きてもおかしくない」

「大丈夫だって。セラフィムたちがいるし」

 俺の周囲には、10体の白銀の騎士が、彫像のように微動だにせず、完璧な警護体制を敷いている。これほど安全な場所は、世界中どこを探してもないだろう。

「シャルロッテは、どうしたんだ?」

「『他の職人の方々の技術を、勉強してまいります』だと。まったく、あの女も、食い意地が張っているのか、あるいは……」

 エラーラは、何かを言いかけて、口をつぐんだ。彼女は、シャルロッテの本質に、まだ気づいてはいないが、その得体の知れなさを、本能的に警戒していた。

 俺が、テーブルの上に置かれていたクッキーに手を伸ばした、その時だった。

 俺のすぐ後ろに控えていたセラフィムの一体が、すっ、と、静かに右手を挙げたのだ。まるで、授業中に、先生に質問があります、とでも言うかのように。

「ん? どうした?」

 俺が、不思議に思って振り返る。

 だが、セラフィムは、何も答えない。ただ、そのスリット状のバイザーを、部屋の壁の一点に向けたまま、微動だにしない。

(なんだろう……?)

 俺が首を傾げていると、そのセラフィムは、挙げた右手で、まるで空中に浮かぶ何かを、ゆっくりと、しかし、確実に掴み取るような動作をした。

 そして、その握りしめた拳の中で、パキリ、と、何か硬いものが折れる、乾いた音が、微かに響いた。

【甘味の神殿・向かいの鐘楼】

 その頃。

 鐘楼の最上階で、一人の暗殺者が、絶望に目を見開いていた。

 彼は、帝国でも五指に入ると言われる、弓の暗殺者『静かなる死』。

 彼の得物は、古代ドワーフの技術で作られた、魔法の弓。そして、彼が今放った矢は、その中でも最高の傑作、『不可視の心臓抜き』。

 その矢は、魔力でできており、肉眼では捉えられない。たとえ高位の魔術師がその軌道を読んで掴み取ろうとしても、矢そのものが意思を持ってすり抜けるため、抑えることは不可能。そして、その硬度は、ドラゴンの鱗すら貫くと言われている。折るなど、神でもない限り、絶対に不可能。

 その、絶対の自信を持った一撃が。

 ターゲットの男に届く寸前、まるで、最初からそこに手があったかのように、いとも容易く、空中で掴み取られた。

 そして。

(……折られた……?)

 彼と矢との魔力的な繋がりが、ぷつり、と切れた。

 自分の最強の切り札が、まるで、乾いた小枝のように、あっさりと折られたのだ。

 暗殺者は、信じられないものを見たかのように、震える手で、再び矢をつがえようとした。

 だが、その必要はなかった。

 彼の目の前、数センチの空間に、先ほど折られたはずの矢の、鏃の部分が、音もなく、浮かんでいた。

 そして、それは、彼の眉間に、ゆっくりと、吸い込まれるように、突き刺さった。

「……タルト、まだかなー」

 特別応接室で、俺は、何も知らずに、呑気に呟く。

 ただ一人、エラーラだけが、先ほどのセラフィムの不可解な動きと、一瞬だけ感じた、殺気の残滓に、眉をひそめていた。

 甘い祭典の水面下で、見えざる死闘が、静かに繰り広げられていることを、まだ、誰も知らなかった。

――ここまで読んでいただきありがとうございます!

面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!

次回もお楽しみに!



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ