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73.大菓子博覧会②

 その日、帝都ヴァイスは、生まれ変わった。

 竜によって穿たれた巨大な傷跡、崩壊した王城の瓦礫の山。その絶望を覆い隠すかのように、帝都の中央には、甘い狂気の祭典が出現していた。

 『大菓子博覧会』。

 砂糖の雪がひらひらと舞い、温かいチョコレートの川が運河を流れ、道端の街灯はねじれたキャンディーケインで作られている。衛兵の代わりに立つのは、等身大のジンジャーブレッドマン。空気は、焼きたてのクッキーと、カラメルの香ばしさ、そして果物の甘酸っぱい匂いで満たされていた。

 復興の象徴として、そして、皇帝の狂気がかった指導力の証として、民衆は、この非現実的な光景に熱狂していた。日々の苦しみや不安を、一時の甘い夢で忘れようとするかのように。

【仮設王城 最高司令室】

 皇帝ゲルハルトは、巨大な魔水晶に映し出された博覧会の様子を、玉座から静かに見つめていた。その隣には、老練な外交官ギュンターが、微動だにせず控えている。

「……見事なものだな、ギュンター。まるで、夢のようだ」

「はっ。大陸中の富と技術を、この一点に集約いたしました。これほどの餌を前にして、食いつかぬ魚はおりますまい」

「魚、か。天を泳ぐ、神のつもりでいる、愚かな魚よな」

 ゲルハルトの瞳には、祭典を楽しむ民衆の姿は映っていなかった。彼の視線は、常に、雲の上。あの忌々しい城だけを見据えていた。

 罠は、幾重にも張り巡らされている。

 会場の警備兵には、帝国最強の近衛騎士団が紛れ込んでいる。屋根の上、鐘楼の陰には、帝国魔術師団の精鋭が、いつでも魔法を放てるよう待機している。

 そして、最大の切り札。

「ムッシュ・ピエールは、どうだ」

「はっ。博覧会の中心、ウェディングケーキを模した『甘味の神殿』にて、準備万端、整えております。彼が作り出す最高傑作、『生命の樹(エץ・ハイム)のタルト』。その香りは、風に乗り、やがて天上の主の鼻腔をもくすぐりましょう」

 ムッシュ・ピエール。白髪に豊かな髭をたくわえた、小柄な老人。その正体は、半世紀以上前に引退したはずの、伝説の宮廷パティシエ。彼が作る菓子は、「食べた者に、人生で最も幸福な幻を見せる」とまで言われた、魔法の領域の芸術品だ。

 皇帝は、その伝説の腕を、切り札として呼び戻したのだ。

(まずは、あの男の興味を、『菓子』だけに集中させる。警戒心を完全に解き、無防備になったその瞬間こそ、我らが好機……!)

 覇王の仕掛けた、甘く、そして容赦のない罠。その発動の時を、彼は静かに待っていた。

【帝都ヴァイス 街角】

 同じ頃、博覧会の喧騒に紛れ、もう一つの勢力が、静かに牙を研いでいた。

 純白の法衣に身を包んだ、聖王国からの巡礼者の一団。その中心にいるのは、枢機卿ヴァレリウス。

「……下品な催しですな。神の御業を模倣したかのような、人の驕りを感じさせます」

 部下である聖騎士の言葉に、ヴァレリウスは、柔和な笑みを浮かべたまま答える。

「ですが、この催しが、我らに好機を与えてくれたのも事実。異端の主に、女神の裁きを下す、絶好の舞台です」

 彼の懐には、手のひらサイズの、古びた銀の円盤が隠されている。聖王国の至宝の一つ、『真実の聖盤』。神聖ならざる者がその前に立てば、その者の本性――魔性や偽りを、暴き出すという聖遺物。

「よいですか。我らの目的は、まず、見極めること。あの男が、本当にただの人間なのか、あるいは、悪魔の化身なのか。もし、後者であった場合は――」

 ヴァレリウスの瞳から、一瞬だけ、笑みが消えた。

「――その場で、浄化します。いかなる犠牲を払ってでも、です」

 彼らの正義は、絶対であり、そして、一切の妥協を許さない。

【天空城アークノア】

 そして、ついに、その時は来た。

《――管理人。降下準備、完了しました》

 ノアの冷静な声が、俺の興奮に満ちた心に響く。

「よし! 行くぞ!」

 俺と、心底うんざりした顔のエラーラ、そして、完璧な微笑みを浮かべた案内役のシャルロッテ。俺たちの周囲には、白銀の装甲に身を包んだ特級護衛兵『セラフィム』が、10体、完璧な陣形で控えている。

《半径5km以内の生命反応を全てスキャン。敵意判定……0.12%未満。安全な降下ポイントへ、小型転移ゲートを開きます》

 メインポートの床に、水面のように揺らめく光の円が出現した。

「うおー、すげえ! ワープだ!」

「貴様は、本当にピクニックにでも行くつもりか……」

 エラーラの呆れ声を背に、俺は、子供のようにはしゃぎながら、光の中へと飛び込んだ。

 ふわりとした浮遊感の後、俺の足は、確かな地面の感触を捉えた。

 鼻腔をくすぐる、土の匂い、草いきれ、そして、遥か遠くから風に乗って運ばれてくる、甘い、甘い、砂糖の香り。

「うわー……! 久しぶりの、地上だ……!」

 俺たちが降り立ったのは、帝都から少し離れた、静かな森の中だった。

 周囲には、残りの20体のセラフィムたちが、音もなく、しかし完璧な警戒態勢で、木々の上や茂みの影に展開している。

「陛下、あちらが帝都のようですわ」

 シャルロッテが指差す方角を見ると、城壁と、その向こうに、お菓子の城の尖塔が見えた。

 俺は、もう、我慢できなかった。

「よっしゃああ! 待ってろよ、俺のケーキ! 俺のプリン! 俺のチョコレート!」

 俺は、全速力で、甘い香りがする方へと駆け出した。

「あ、おい、待て! 馬鹿者! 隊列を乱すな!」

 エラーラの怒声が、背後から追いかけてくる。

 やがて、俺たちは、博覧会の巨大な門――巨大なウェハースで作られた門の前へとたどり着いた。

 目の前に広がる、夢のような光景。

「うおおおお! 天国だ! ここは、天国だったのか!」

 俺は、歓喜の涙を流さんばかりの勢いで、叫んだ。

 その、あまりにも無防備で、あまりにも無邪気な獲物の姿を。

 帝国の監視網が、聖国の密偵が、そして、群衆の影に潜む、フードの集団が。

 それぞれの思惑を持って、静かに、そして、冷徹に、見つめていた。

 甘き香りに満ちた、巨大な狩り場。

 その主役は、今、ついに、その舞台へと足を踏み入れたのだった。

――ここまで読んでいただきありがとうございます!

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次回もお楽しみに!



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