72.大菓子博覧会①
帝都ヴァイスは、その底力を見せつけていた。
sの心臓部であった王城は、竜の死骸が突き刺さったまま、巨大な墓標のように無惨な姿を晒している。だが、それ以外の区画は、皇帝ゲルハルトの号令一下、帝国の総力を挙げて行われた復興作業により、驚異的な速度で往時の輝きを取り戻していた。
破壊された家々は真新しく建て直され、市場には活気が戻り、民衆の生活は、驚くべき速度で日常へと回帰していた。
そして、その日常の中に、一つの異様な光景が溶け込んでいる。
王城の崩壊跡地、その巨大な傷跡のすぐ隣で、常軌を逸した建造物の建設が、急ピッチで進められていたのだ。
巨大なビスケットの壁、チョコレートでコーティングされた屋根、そして、色とりどりの飴細工で飾られた尖塔。まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのような、『お菓子の城』。
当初、民衆は皇帝の狂気を疑った。
だが、その感情は、日を追うごとに、畏敬へと変わっていった。
「……見てみろ。王城の跡地の隣に、お菓子の城を建てておられる……」
「皇帝陛下は、我らに示しておられるのだ。我らは、竜ごときには屈しない。失われた象徴の隣に、新たな、甘く楽しい象徴を、一夜にして築き上げる力があるのだ、と!」
覇王の狂気は、いつしか、帝国の揺るぎない国力と、不屈の精神の象徴として、民の目に映り始めていた。王城の崩壊という絶望を、甘い祭典の熱狂で塗りつぶそうという、壮大なプロパガンダ。それは、見事に民の心を掴みつつあった。
【天空城アークノア 玉座の間】
俺の日常は、完璧な平和と、完璧な退屈のループだった。
シャルロッテが作る極上のスイーツに舌鼓を打ち、終われば昼寝。目覚めれば、巨大なモニターで地上の様子を、まるでテレビ番組でも見るかのように、ぼんやりと眺める。
「……なんか、最近、帝都が騒がしいな」
モニターには、例のお菓子の城が、日に日にその姿を完成させていく様子が映し出されていた。
「王城の隣で、何やってんだあいつら。趣味が悪いな」
俺が、味のないポップコーンを咀嚼しながら呟くと、完璧なタイミングで、シャルロッテが声をかけてきた。
「陛下。地上では、なにやら楽しげな催しが開かれるようですわ」
彼女の淹れてくれた紅茶は、今日も完璧な香りを放っている。
「帝国が、その威信をかけて開催する、『大菓子博覧会』。なんでも、大陸中のありとあらゆるお菓子が、そこに集うとか」
彼女は、帝国のスパイとして、この情報を俺の耳に入れるという、重要な任務を、完璧に遂行していた。
「……だい、かし、はくらんかい?」
その、夢のような単語の響きに、俺の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
「え! なにそれ!? 詳しく!」
俺が食いつくと、シャルロッテは、待っていましたとばかりに、モニターの映像を切り替えた。
そこに映し出されたのは、帝国が意図的にリークした、博覧会の完成予想イメージ図。
巨大なウェディングケーキを模した中央広場。ジンジャーブレッドマンが衛兵を務める城門。泉からは、三色のジュースが湧き出し、木々には、宝石のようなキャンディーが実っている。
それは、俺が子供の頃に夢見た、お菓子の国の光景、そのものだった。
「……」
俺は、言葉を失っていた。
そして、次の瞬間、俺は、玉座から飛び上がり、駄々をこねる子供のように、床を転げ回り始めた。
「行きたいッ!! 絶対に行きたいッッ!! やだやだやだ! 俺も、お菓子の川で泳ぎたい!」
「……みっともないぞ、管理人」
エラーラは、心底軽蔑した目で俺を見下ろす。シャルロッテは、困ったように微笑むだけだ。
俺の、あまりにも見苦しい絶叫に、ついに、天の声が響いた。
《管理人。再三にわたり通達しますが、管理人単独での城外への離脱は、権限レベル10にて許可されます。現在、貴官の権限レベルは4です》
「うるさい! 俺が行きたいって言ってるんだ! なんとかしろ! なんとかしないと、俺、もう昼寝しないからな!」
我ながら、あまりにも子供じみた脅迫だった。
俺の絶叫に、ノアは、数秒間、沈黙した。
まるで、管理人(という名の駄々っ子)のストレスレベルと、規約違反のリスクを、天秤にかけて計算しているかのような、長い長い沈黙。
やがて、ノアは、一つの妥協案を提示した。
《……承知しました。管理人様の精神衛生の維持を最優先とし、特例措置を提案します》
「……!」
俺は、ぴたりと駄々をこねるのをやめ、期待の眼差しを天に向ける。
《――管理人単独での外出は許可できません。ですが、特級護衛兵『セラフィム』30体による、常時・全方位の絶対護衛を条件とするならば、今回に限り、地上への一時的な降下を許可します》
「……30体?」
「……馬鹿な!」
俺が首を傾げるのと、エラーラが絶句したのは、ほぼ同時だった。
「セラフィムは、この城の最高戦力のはず! その総数の十分の三を、たかが管理人の菓子食いツアーのために、地上に降ろすというのか! 正気か、お前は!」
エラーラの怒声にも、ノアは動じない。
《これが、私の提示できる、最大限の譲歩です》
俺は、エラーラの怒りなど、全く気にしていなかった。
「……やる! やるぞ、ノア! その条件、飲んだ!」
地上の覇王が、神の食欲を釣るために仕掛けた、甘い甘い罠。
その罠に、天空の神様は、30体の最強の護衛を引き連れて、ピクニックにでも行くかのような気軽さで、食いつこうとしていた。
エラーラは、「貴様は、本当に、この世界を滅ぼす気か……!」と、頭を抱えてうずくまった。
シャルロッテは、完璧な微笑みの下に、帝国史上、最大の危機と、そして、最大の好機が、同時に迫っていることを、確信していた。
――ここまで読んでいただきありがとうございます!
面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!
次回もお楽しみに!