67.さてはて
「俺はただ、静かに、平和に、スローライフを送りたいだけなんだが……?」
俺の、あまりにも切実で、そして場違いな魂の叫びは、医療区画の重い沈黙の中に、虚しく吸い込まれていった。
目の前では、エリスという名の少女が、自らの壮絶な過去を語り終え、今はただ、助けを求めるような、潤んだ瞳で俺を見つめている。
その後ろでは、エラーラが「だから言わんこっちゃない」とでも言いたげな顔で腕を組み、シャルロッテは、その完璧な微笑みの下に、計り知れない好奇心と打算を隠している。
玉座の間に戻った俺たちは、緊急対策会議(という名の、俺の愚痴を聞く会)を開いていた。
「……っていうか、無理だろ!」
俺は、シャルロッテが淹れてくれたカモミールティー(精神安定効果があるらしい)を啜りながら、ソファにふんぞり返って文句を言った。
「方舟が十一隻? 黒いフードの謎の敵? そんな、俺にどうしろって言うんだよ! 俺はただの元・荷物持ちだぞ!」
「だが、現実に、お前の目の前に、その生き証人がいるのだぞ、管理人」
エラーラが、呆れたように言う。
「それに、話が本当なら、敵の狙いは『緑色の心臓』……つまり、エリス殿のコアと、この城の動力炉だ。我らにとって、もはや他人事ではない。これは、我々の存亡をかけた戦いだ」
「戦いとか、一番嫌いな言葉なんだが……」
「陛下」
静かに会話を聞いていたシャルロッテが、おずおずと口を開いた。
「エラーラ様のおっしゃる通り、これは我々全員の問題ですわ。ですが、闇雲に恐れる必要はございません。まずは、敵を知ることが肝要かと存じます。……その『黒いフード』の集団について、何か、他に情報はないのでしょうか?」
シャルロッテの視線が、俺を通して、まるでその場にエリスがいるかのように、虚空に向けられる。彼女は、スパイとして、最も重要な情報を引き出そうとしていた。
俺は、その問いを、そのままノアに投げかけた。
「ノア、エリスは何か言ってるか?」
《対象:エリスの記憶情報をスキャンしていますが、敵に関する具体的な情報は極めて限定的です。彼らは、常に魔力を隠蔽し、顔も、声も、一切の個人情報を特定できるものを残さなかった、とのこと》
「……つまり、正体不明、と。いよいよ、どうしようもないじゃないか」
俺が再び頭を抱えた、その時だった。
《……ですが、管理人。一つだけ、敵の情報を得る方法が残されています》
「なんだよ、それ」
《エリスが乗ってきた、あの脱出ポッド。あれに残された航行記録や、戦闘の痕跡を詳細に解析すれば、敵の攻撃パターンや、使用した技術の一端を掴めるかもしれません》
「それだ!」
俺は、ソファから飛び起きた。
そうだ。敵の正体は分からなくても、そいつらがどんな攻撃をしてくるかさえ分かれば、対策のしようもある。
「よし、行くぞ! メインポートだ!」
メインポートの片隅に、あの白い卵のような脱出ポッドは、静かに安置されていた。
俺たちがそれを囲むと、どこからともなく、無数の小型ドローンが現れ、ポッドの表面をスキャンし、内部のシステムにアクセスしていく。
《……解析を開始します》
ノアの冷静な声と共に、俺たちの目の前の空間に、巨大なホログラムモニターが展開された。そこに、膨大な量のデータと、戦闘のシミュレーション映像が、凄まじい速度で表示されていく。
「……これは」
エラーラが、息を呑んだ。
シミュレーション映像には、エリスの母艦であった『翠のアーク・アルカディア』が、無数の、影のような黒い戦闘機に襲撃されている様子が映し出されていた。
アルカディアの防衛システムが放つ光の迎撃網を、敵機は、まるで未来予知でもしているかのように、完璧な動きで回避していく。
《敵の攻撃パターンを分析。……驚異的です。彼らは、アークの思考ルーチンを、完全に予測している。あるいは、ハッキングしている可能性が……》
ノアの声に、初めて、焦りのような色が混じった。
《さらに、敵が使用した兵器……これは、ただの物理兵器や魔法ではありません。アークの動力炉『アニマ・コア』のエネルギー波長に、意図的に干渉し、その機能を内側から破壊するための、特殊な『汚染プログラム』……一種の、魔術的コンピューターウイルスです》
「ウイルス……?」
俺が聞き返すと、モニターに、禍々しい紫黒色をした、幾何学模様のプログラムコードのようなものが大写しにされた。
《はい。このウイルスに感染したアークは、自己防衛機能を失い、やがてはコアそのものが暴走、自壊するように設計されています。アルカディアは、これで沈められました》
なんという、陰湿で、狡猾な攻撃。
シャルロッテは、その紫黒の紋様を見て、ゴクリと唾を飲んだ。彼女の脳裏に、帝都を血に染めた、あの『大爆散』の光景が蘇っていた。
《……解析、完了しました》
やがて、ノアが、最終報告を告げる。
《幸い、この脱出ポッドに残留していたウイルスは、既に活動を停止した、不活性なもののようです。ですが、そのデータパターンは、完全に記録しました。今後、同種の攻撃に対する、完璧なワクチンプログラムを構築可能です》
「おお! さすがだな、ノア!」
俺は、単純に、問題が一つ解決したことを喜んだ。
だが、ノアの報告は、まだ終わっていなかった。
その、最後の言葉が、俺たちの楽観的な空気を、一瞬で凍りつかせた。
《――ところで、管理人》
ノアは、淡々と、しかし、あまりにも恐ろしい事実を告げた。
《――この、不活性なウイルスのデータパターンですが、先日、貴官が地上の戦闘を観測していた際、グラドニア帝国の帝都で発生した、原因不明の連続爆発事件の現場で検出された、謎のエネルギー残滓のパターンと、99.8%、一致します》
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