65.大厄災
玉座の間に戻った俺は、ソファに体を投げ出し、ぐったりと天井を仰いでいた。
精神的な疲労、というやつだろうか。エリスのコアを鎮めたあの数分間は、まるでフルマラソンを走りきったかのような、凄まじい消耗感があった。
「……疲れた……」
俺がそう呟くと、まるでその言葉を待っていたかのように、シャルロッテがワゴンを押して現れた。
「お疲れ様でございます、陛下」
彼女が差し出したのは、黄金色に輝く蜂蜜がたっぷりとかけられた、温かいミルクプリンだった。
「精神を安定させ、消耗した生命力を補う効果のある、聖樹の花の蜜をふんだんに使用いたしました。どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」
その完璧なタイミングと、完璧な気遣い。俺は、もはや彼女なしでは生きていけないかもしれない。プリンを一口食べると、優しい甘さと温かさが、疲れた体にじんわりと染み渡っていった。
その様子を、少し離れた柱の陰から、エラーラが複雑な表情で見つめていた。
以前のような、俺を侮るような視線ではない。かといって、敬意とも違う。まるで、理解不能な自然現象でも観察するかのような、畏怖と、戸惑いが入り混じった視線だった。
村長は、玉座の間の入り口で、まだ五体投地を続けている。もう放っておこう。
俺がプリンを半分ほど食べ終えた、その時だった。
《管理人。対象:エリスの意識が、完全に覚醒しました》
ノアからの報告。
《バイタルは安定していますが、依然として衰弱状態です。長時間の対話は、対象に負担をかける可能性があります》
「……わかった。行ってみるか」
面倒だ、という気持ちが半分。そして、彼女の正体を知らなければならない、という責任感が半分。俺は、重い腰を上げた。
「二人とも、来てくれるか?」
俺が声をかけると、エラーラとシャルロッテは、無言で頷き、俺の後に続いた。
再び訪れた医療区画。
エリスは、ベッドの上で、きちんと体を起こしていた。その顔色は、まだ青白いものの、瞳には、しっかりとした理性の光が宿っている。
俺たちの姿を認めると、彼女は、ベッドから降りようと身じろぎした。
「管理人様……! この度は、私の命を……」
「いい、いい。寝てろ」
俺は慌ててそれを制し、ベッドの脇に椅子を持ってきて腰掛けた。
「様付けもいらない。俺は、カインだ。君は?」
「……エリス、です」
「よし、エリス。単刀直入に聞く。君は、一体、何者なんだ? なぜ、この城を目指してきた?」
俺の問いに、エリスは、一度、ぎゅっと唇を結んだ。そして、覚悟を決めたように、ゆっくりと、その驚くべき素性を語り始めた。
「私は……この天空城アークノアと、同じ場所で生まれた者です」
「……どういうことだ?」
「かつて、この世界に存在した、超古代文明。彼らは、来るべき『大災厄』に備え、自らの知識と、生命の種を未来へと運ぶため、十二隻の『方舟』を建造しました。このアークノアは、その最初に作られた、最も強力なプロトタイプ……一番艦です」
「……方舟が、十二隻も?」
エラーラが、息を呑む。俺は、話のスケールのでかさに、早くもついていけなくなりそうだった。
エリスは、続ける。
「そして、私は、その方舟の一隻……十一番艦『翠のアーク・アルカディア』の、管理システムそのものと融合した、生体管理ユニット……言うなれば、方舟の巫女、のような存在です」
「巫女……」
「はい。私と、私の心臓にあるコアは、アルカディアそのものでした。ですが……」
エリスの表情が、悔しさと、悲しみと、そして恐怖に歪む。
「……アルカディアは、破壊されました。何者かの、襲撃によって」
「襲撃!?」
「はい。彼らは……黒いフードを被り、こちらの呼びかけにも一切応じず、ただ、アルカディアのコア……私の心臓を、『緑色の心臓』と呼び、それを奪うことだけを目的に、攻撃を仕掛けてきました。アルカディアの防衛システムでは、彼らの力に、全く歯が立たなかったのです」
黒いフード。その言葉に、シャルロッテの肩が、ほんのわずかに、しかし確かに、こわばったのを、俺は見逃さなかった。
「私は、最後の力を振り絞り、コアユニットである私自身を、緊急脱出ポッドで射出しました。そして、助けを求めるために……同胞である、他のアーク。その中でも、最も強力な戦闘能力を持つ、一番艦アークノアの、新たなる管理人様を探し、目指してきたのです」
長い、長い告白だった。
話が終わると、医療室は、重い沈黙に包まれた。
俺は、その壮大すぎる物語を、頭の中で必死に整理し、そして、俺なりに、最大限分かりやすく要約した。
「……つまり、だ。俺の城の兄弟みたいなのが、あと十一隻あって、そのうちの一つが、なんかヤバいフードの奴らに壊されたから、一番強い兄ちゃんである俺に、助けを求めに来た。……ってことで、合ってるか?」
「……はい。その、通りです」
俺の、あまりにも単純な要約に、エリスは、少しだけ困ったような顔をしながらも、真剣な瞳で、こくりと頷いた。
「…………」
俺は、天を仰いだ。
そして、心の底から、思った。
「俺はただ、静かに、平和に、スローライフを送りたいだけなんだが……?」
俺の、あまりにもささやかな願いは、どうやら、大陸規模どころか、古代文明レベルの、とんでもない厄介事に巻き込まれてしまったらしい。
その様子を、シャルロッテは、冷静な瞳で見つめていた。
(……方舟。翠のアーク。そして、『緑色の心臓』……! 我らが求めるものと、完全に一致する……!)
彼女の脳裏では、帝国でも、この城の主でもない、第三の主への、新たな報告が組み立てられ始めていた。
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