64.久々な有能管理人
緑色の宝石に触れた瞬間、俺の世界は音と光の洪水に飲み込まれた。
目を開けているのか閉じているのかも分からない、真っ白な空間。鼓膜が破れそうなほどの、甲高い絶叫のようなノイズ。そして、全身を内側から引き裂くかのような、凄まじいエネルギーの奔流。
それは、エリスという少女の、暴走したコアの、魂の絶叫そのものだった。
(うわ……うるさ……っ!)
恐怖よりも先に、俺が感じたのは、純粋な不快感だった。
まるで、巨大なスピーカーの真ん前に縛り付けられ、意味不明な絶叫を延々と聞かされているかのようだ。
俺は、この混沌の中心で、ただ翻弄されることしかできなかった。
《管理人。聞こえますか》
その時、混沌の中に、一本の、冷静な糸が垂らされた。ノアの声だ。
《貴官は今、対象:エリスのエネルギーコアと、精神的なリンクを確立しています。そのコアは、制御を失い、パニック状態に陥っています》
「パニックって……これかよ! なんとかしろ!」
《できません。私には、外部から干渉する権限がない。ですが、管理人様は違う》
ノアの声が、はっきりと告げる。
《貴官は、この城の、そして、全ての『アニマ・コア』の、正当な管理者。貴官の『意志』は、絶対的な命令として、あのコアに届きます》
「意志って言われてもな……」
俺は、魔法使いでもなければ、精神操作の専門家でもない。ただの一般人だ。
だが、目の前の(あるいは、頭の中の)この状況は、明らかにヤバい。このままでは、本当に城ごと吹き飛ぶかもしれない。
それに、何よりも、この絶叫が、うるさくてかなわない。
俺は、どうすればいいのか分からず、ただ、一番シンプルに思ったことを、念じた。
まるで、癇癪を起こしている子供を、なだめるかのように。
(――大丈夫だ。落ち着け)
たった、それだけ。
俺の、あまりにも単純な『意志』。
その瞬間、世界を埋め尽くしていた絶叫が、ぴたり、と止んだ。
嵐のようなエネルギーの奔流が、凪いだ川のように、その流れを穏やかにしていく。
真っ白だった世界に、穏やかな緑色の光が灯り、まるで心地よいハミングのように、静かな振動だけが残った。
暴走は、完全に、収まっていた。
「……ん」
俺が、ゆっくりと目を開ける。
目の前には、心配そうに俺の顔を覗き込む、エラーラとシャルロッテ、そして、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている村長の姿があった。
「……管理人! ご無事か!」
「陛下! おお、おお……! 我らが神は、やはり、奇跡を……!」
どうやら、俺は気を失っていたらしい。手には、まだあの緑色の宝石を握りしめていた。だが、先ほどまでの激しい脈動はなく、今はただ、穏やかな光を、静かに放っているだけだ。
ベッドの上では、エリスが、苦しげだった表情を完全に消し去り、すやすやと、安らかな寝息を立てていた。
《コアの安定化を確認。対象:エリスは、正常な回復プロセスに移行しました》
ノアの、どこか安堵したような声が、頭に響く。
俺は、その場にへなへなと座り込んだ。
「……つっかれた……」
その、あまりにも間の抜けた俺の一言に、エラーラは、絶句していた。
(……馬鹿な。あれほどのエネルギーの奔流を、ただ、触れただけで、完全に鎮圧しただと……? この男は、一体、何者なのだ……)
彼女の、俺に対する認識が、畏怖へと変わった瞬間だった。
シャルロッテは、その銀縁の眼鏡の奥で、冷静に、しかし、猛烈な好奇心と共に、俺と、眠るエリスを分析していた。
(……管理人と、あの少女のコアが、完全に同期した……? あの宝石は、ただの接続ポートではない。管理人という『鍵』があって初めて機能する、制御装置そのもの……! これは、帝国が血眼になって求める、神の技術……!)
村長は、もはや五体投地で、俺を拝んでいた。
そんな三者三様の反応をよそに、俺は、ただ、一つのことだけを考えていた。
(……なんか、めちゃくちゃ疲れたな。今日のおやつ、もう一回もらえないかな……)
こうして、城を吹き飛ばしかねない大事件は、管理人である俺の、ただ一言の「落ち着け」という命令によって、あっさりと解決した。
だが、それは同時に、エリスという少女が、この城の根幹に関わる、あまりにも重要な存在であることを、俺たちに、そして、城の中に潜むスパイに、はっきりと知らしめる出来事でもあった。
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