62.揺り籃
天空城アークノア、医療区画。
そこは、俺が今まで見てきたどの部屋よりも、異質な空気に満ちていた。壁も、床も、天井も、全てが継ぎ目のない乳白色の素材でできており、柔らかな光を放っている。空気は、どこまでも清潔で、わずかに薬草のような、心が落ち着く香りがした。
その中央に置かれたベッドに、あの銀髪の少女は静かに眠っていた。
無数の、見たこともない医療装置が、彼女の体に触れることなく、その生命情報をスキャンし続けている。ベッドの脇には、彼女の胸で光っていた緑色の宝石が、今は静かに置かれていた。
「……それで、彼女、大丈夫なのか?」
俺は、隣に立つエラーラとシャルロッテ、そして、いつの間にかついてきていた村長と共に、その光景をガラス越しに見守っていた。
《生命維持活動は、安定しています。ですが、依然として極度の衰弱状態にあることに変わりはありません》
ノアの冷静な声が、俺の頭に響く。
《現在、ナノマシンによる細胞修復と、栄養素の直接投与を行っていますが……回復速度が、異常に遅い》
「異常に、か。そいつは、人間なのか? エルフのようにも見えるが」
エラーラの鋭い問いに、ノアは、珍しく、断定を避けた。
《……不明です。遺伝子情報は、既知のいかなる種族とも一致しません。人間でも、エルフでも、獣人でも、魔族でもない。全く新しい、未知の生命体です》
その言葉に、シャルロッテが、銀縁の眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「……興味深いですわ。彼女が乗ってきた、あの船もそうでしたが……この大陸とは全く異なる文明、あるいは、世界から来たとでも、いうのでしょうか」
「おお……! 天より舞い降りた、神の御使い……! なんと、なんと神々しい……!」
村長だけが、一人、感涙にむせんでいる。
俺は、そんな三者三様の反応をよそに、一番気になっていたことを、ノアに尋ねた。
「それより、さっき言ってた、あの子の体の中にあったっていう、エネルギー体の話だ。あれは、一体何なんだ? 城の動力炉に似てるって……」
その質問に、医療室の空気が、一瞬で張り詰めた。
ノアは、数秒間、沈黙した。まるで、言葉を選んでいるかのように。
《……肯定します。彼女の体内、心臓部に、本城の主動力炉『アニマ・コア』の構造と、極めて酷似した、超高密度のエネルギー体が確認されました》
俺の隣のモニターに、二つの映像が並べて表示される。
一つは、アークノアの心臓部で、今も脈動を続ける、巨大な球状の動力炉。
そしてもう一つは、少女の胸の中心で、同じように、しかし遥かに小さく輝く、緑色の光の核。
その構造、エネルギーの波形、何もかもが、双子のようにそっくりだった。
「……なんだよ、これ。まるで、城の心臓の、ミニチュア版じゃないか」
「……馬鹿な」
エラーラが、絶句した。
「この城を動かしているのは、神代の遺物、失われた技術のはず。それが、なぜ、生身の人間の体の中に……。あれは、もはや人間ではない。人の形をした、歩く戦略兵器だぞ」
シャルロッテもまた、その完璧な微笑みを忘れ、食い入るようにモニターを見つめていた。
(……これが、この城の力の源泉……! そして、それと同じものが、あの少女の中に……!)
彼女は、自分が、とんでもない秘密の入り口に立っていることを、確信していた。
ノアは、さらに衝撃的な事実を告げる。
《……彼女の回復が遅い原因も、このエネルギー体にあります。このコアが、外部からの干渉――我々の治療すらも、一種の『攻撃』と見なし、強力な防御フィールドを無意識に展開しているためです》
「なんだって? じゃあ、どうすれば……」
《現状、打つ手はありません。彼女自身の生命力が、コアの防御反応を上回るのを、待つしか……》
その、ノアの言葉が、途切れた。
医療室のベッドの上で、今まで静かに眠っていた少女の指が、ぴくり、と動いたのだ。
「……!」
全員が、固唾を飲んで、ベッドを見つめる。
ゆっくりと、少女の瞼が、震えながら持ち上がっていく。そして、その中から現れたのは、彼女の胸の宝石と同じ、深く、そして透き通るような、エメラルドグリーンの瞳だった。
虚ろだった瞳が、数秒間、焦点を求めて彷徨う。
そして、その視線は、ガラスの向こうに立つ、俺の姿を、まっすぐに捉えた。
瞬間、彼女の瞳が、大きく見開かれた。
驚愕、安堵、そして、まるで長い長い旅の果てに、ようやく目的地にたどり着いたかのような、深い深い、敬虔な光。
彼女は、まだか細い、しかし、凛とした声で、はっきりと、そう呟いた。
「――……管理人、様……」
その、あまりにも場違いで、あまりにも的確な呼び名に、俺は、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「……かんり、にん……? 誰のことだ?」
俺の間の抜けた呟きだけが、静かな医療室に、虚しく響いた。
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