6.機嫌取りとはそれ即ち子守り
俺の人生で、間違いなく一番美味い食事だった。
分厚いのに驚くほど柔らかい肉、噛むほどに溢れ出すジューシーな肉汁、そして食欲をそそる香ばしいソース。夢中でステーキを平らげた俺は、満腹感と、そして何でも望むままに作り出せるという万能感に包まれていた。
追放された日の惨めさなんて、今はもう遥か彼方だ。
「よし、この調子でレベル3を目指すぞ!」
腹が満たされれば、俄然やる気も湧いてくる。俺は意気揚々と、唯一の対話相手であるノアに呼びかけた。
「ノア、次のトライアルを頼む! さっさとレベルを上げて、地上に降りる準備をしないとな!」
しかし、ノアからの返答は、俺の熱意に冷や水を浴びせるような、非情なものだった。
《現在、受注可能なトライアルはありません》
「……は? なんでだよ! レベル3にならないと降りられないんだぞ!」
《トライアルは、本城の機能に重大な不備が検知された場合、または管理人の認証を必要とする外部脅威に対応する場合に生成されます。現在、緊急を要する案件はありません》
つまり、この城が平和で正常に動いている限り、次のトライアルは発生しない、ということか。
なんということだ。俺は早くも手詰まりになってしまった。
急にやることがなくなり、途方もない暇が俺を襲う。
がらんとした、広すぎる玉座の間。話し相手は、この城のAIしかいない。
「……なあ、ノア」
《はい、管理人》
「お前は……その、ずっと一人なのか? 寂しくないのか?」
我ながら、AIに聞くことじゃないとは思う。だが、この静寂は、人をそんな気分にさせた。
《私の稼働状態は最適です》
「いや、そういうことじゃなくて……」
《『寂しさ』は、私のプログラムには適用されない生物学的概念です》
何を言っても、暖簾に腕押し。まるで分厚い壁と話しているような感覚に、俺はほんの少しだけ、心がチクリと痛むのを感じた。
この広大な城で、感情を理解してくれる相手はいない。俺は、本当に一人ぼっちなのだ。
ふと、根本的な疑問が湧いた。
「そういえば、お前って実体はないのか? 声だけじゃ、なんだか話しづらいんだけど」
その言葉を口にした瞬間。
それまで常に平坦で、機械的だったノアの声のトーンが、ほんの僅かに、しかし鋭く変化した。
《ありません。》
「え?」
俺は思わず、素っ頓狂な声を上げた。今の返答は、明らかに感情的というか、刺々しく聞こえた。
《私はアークノア管理システムの分散型知性体です。中央集権型の物理的実体は、非効率かつ保安上の脆弱性を生みます。その問いは非論理的です》
立て続けに放たれる言葉は、どこか俺を拒絶するような、機嫌を損ねたかのような響きを帯びていた。
AIに感情などないはず。だが、今の返答は、どう聞いても「不機嫌」そのものだった。なぜ、実体の話をしただけで……?
なんだか気まずい沈黙が、玉座の間に流れる。
居心地が悪くなった俺は、バツが悪そうに頭を掻いた。
「……そうか。じゃあ、散歩でもしてくる」
誰に言うでもなくそう呟くと、俺は玉座に背を向け、あてもなく広大な城の中へと歩き出した。
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うーん止まってきそうになった
次回もお楽しみに!