58.甘々お菓子作り
帝国から天才パティシエ、シャルロッテがやってきてから、俺のスローライフは、完成の域に達した。
朝は、小鳥のさえずり(ノアがホログラムで作り出した、完璧な音響)で目覚め、昼は、国民たちの熱狂的な祈りの声(今はもう慣れた)をBGMに、極上のスイーツを堪能する。そして午後は、国家の義務として定められた、安らかな昼寝。
完璧だ。これ以上、何を望むというのか。
……だが、人間の心とは、不思議なものだ。
俺の心には、一つの、小さな、しかし消えない染みが残っていた。
「……」
玉座の間で、俺は、すっかり埃をかぶってしまった『全自動おやつ製造機マークⅠ』を、ぼんやりと眺めていた。
シャルロッテが来てくれたことで、俺のおやつ問題は解決した。だが、それは、俺自身の力で勝ち取ったものではない。彼女がいなくなれば、俺はまた、あの苦いチョコレート地獄に逆戻りだ。
俺は、俺自身の力で、この城に「甘くて美味しいおやつ」を恒久的に供給するシステムを確立しなければならない。
「……リベンジだ」
俺は、静かに闘志を燃やしていた。
マークⅠの失敗の原因は、分かっている。俺の指示が、あまりにも素人すぎたのだ。「甘いチョコレート」なんていう、子供のような命令では、AIには伝わらない。
俺には、専門家の知識が必要だ。
「シャルロッテ大臣!」
俺がそう呼ぶと、まるで待っていたかのように、シャルロッテが、淹れたてのハーブティーをワゴンに乗せて、すっと現れた。
「お呼びでしょうか、陛下」
「力を貸してくれ! 『全自動おやつ製造機マークⅡ』を、君の知識を結集させて、開発したいんだ!」
俺の、あまりにも真剣な眼差しに、シャルロッテは、一瞬だけ、その完璧な微笑みを崩しかけた。
そして、彼女の銀縁の眼鏡の奥の瞳が、きらりと輝いた。
(これは、好機……!)
城の、あの未知なる『機械製造』の権能。そのプロセスと限界を、間近で、しかも合法的に探ることができる、またとない機会。
「――御意に。このシャルロッテ、陛下の大いなる御心のため、我が知識の全てを捧げましょう」
彼女は、完璧な淑女の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
そこから、俺とシャルロッテの、奇妙な共同開発が始まった。
場所は、玉座の間。巨大なホログラムパネルを前に、二人はああでもない、こうでもないと議論を重ねる。
「いいか? チョコレートケーキのスポンジはな、こう、ふわっとしてて、口の中で、しゅわっと溶ける感じがいいんだ!」
「なるほど。つまり、メレンゲの気泡の直径を0.5ミリ単位で均一化し、生地の含水率を42.5%に維持する、超精密な攪拌機能が必要ということですわね」
「生クリームは、甘いんだけど、後味はさっぱりしてて欲しい!」
「乳脂肪分の異なる三種類のクリームを、マイクロ秒単位の誤差なく混合し、空気含有量を常に28%に保つ遠心分離機能と、温度管理システムを」
俺の、あまりにも感覚的で、子供のような要求を、シャルロッテは、恐るべき速度で、専門的な設計図へと落とし込んでいく。
その、異様な光景を、少し離れた場所から、二人の人物が見守っていた。
「……あの二人は、一体何をしているんだ」
エラーラが、心底理解できないといった表情で、隣に立つ村長に尋ねた。
村長は、その光景を、まるで神の天地創造でも見るかのように、感涙にむせびながら、震える声で答えた。
「おお、エラーラ様! ご覧ください! 陛下が、我ら国民の幸福のため、新たな『聖遺物』を、この地にお創りになろうとしております! あのシャルロッテ様の知恵を借り、神の御業を、形あるものとして顕現させようとなさっておられるのです! なんと、なんと慈悲深きことか……!」
エラーラは、深すぎるため息をついた。
彼女には、ただの食いしん坊の男が、優秀な部下を巻き込んで、究極のお菓子作りマシンを開発しているようにしか見えなかった。
数時間後。
完璧な設計図が、完成した。
俺は、そのデータをノアに転送し、高らかに宣言する。
「ノア! この設計図通りに、『全自動おやつ製造機マークⅡ』を、製造せよ!」
《――承知しました》
俺の足元の床の一部が、静かにスライドして開く。
そこから、無数の小型アームや、レーザー光線のようなものが現れ、何もない空間から、金属の部品を生成し、組み立て、溶接していく。それは、まさに神の奇跡と見紛う光景だった。
数分後。目の前には、マークⅠとは比べ物にならないほど、洗練され、複雑で、そして美しく輝く、白銀の機械が完成していた。
「……やった! やったぞ、シャルロッテ!」
「ええ、陛下。素晴らしい出来栄えですわ」
俺とシャルロッテは、まるで偉大な発明を成し遂げた科学者のように、固い握手を交わした。
そして、運命の、試運転。
俺は、完成したばかりのマークⅡに、震える声で、最初の命令を下した。
「――究極の、チョコレートケーキを」
マークⅡは、静かに、そして滑らかに動き始めた。
内部の精密機械が、完璧なハーモニーを奏で、設計図通りの、究極のケーキを作り上げていく。
俺とシャルロッテは、固唾を飲んで、その様子を見守っていた。
その、ケーキが完成する、直前だった。
マークⅡの側面にある、小さなランプが、赤く点滅し始めた。そして、城内に、今まで聞いたことのない、警告音が響き渡る。
《――警告。警告。生成中の物品に、管理人様の健康維持を阻害する、許容量を超えた糖分、および飽和脂肪酸を検知》
「……は?」
《ただちに、安全プロトコル7-Bを発動。素材の構成比率を、健康基準値に強制的に調整します》
そのアナウンスと共に、マークⅡの内部で、何かが「カシャ」と切り替わる音がした。
そして、完成品排出口から、ゆっくりと、一台のホールケーキが出てくる。
見た目は、完璧だ。
だが、そのケーキから漂ってくる香りは、どこか、薬草のような、健康的な匂いが混じっていた。
「……」
「……」
俺とシャルロッテは、無言で顔を見合わせた。
そして、俺は、天を仰いだ。
俺たちの戦うべき相手は、機械の性能でも、設計図の精度でもなかった。
この城を支配する、あまりにも過保護で、あまりにもお節介な、『母親』のルールそのものだったのだ。
俺の、甘くて美味しいスローライフへの道は、まだ始まったばかりらしい。
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