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55.招待状②

 帝国の威信をかけて結成された外交使節団は、巨大な飛空艇に乗り、雲を突き抜け、ついに目的地である天空城アークノアへとたどり着いた。

 彼らを率いるのは、老練な外交官、ギュンター・フォン・クラウゼヴィッツ。皇帝が帝国の未来を託した、最後の切り札ともいえる男である。


「……これが、天空城か」

 飛空艇の窓から、雲海に浮かぶ巨大な城を見上げ、ギュンターは静かに呟いた。その威容は、人の手によるものとは到底思えなかった。

 やがて、飛空艇は城のメインポートへと誘導され、着陸する。扉が開くと、そこにはメイド姿の小型機械たちが整然と並び、深々とお辞儀をしていた。あまりにも静かで、あまりにも完璧な出迎え。だが、それが逆に、不気味なほどの威圧感を放っていた。


「参るぞ。決して、気を抜くな」

 ギュンターは、同行する数人の文官にそう告げると、意を決して城内へと足を踏み入れた。

 案内された先は、玉座の間。そのあまりの荘厳さに、歴戦の外交官であるギュンターですら、一瞬、息を呑んだ。

 そして、その玉座には、一人の男が、気だるそうに頬杖をついて座っていた。

 あれが、この城の主、カイン。


 ギュンターは、玉座の前まで進み出ると、完璧な作法で、深く、そして敬意を込めて頭を垂れた。

「お初にお目にかかります、天空城の主君。私、グラドニア帝国皇帝ゲルハルト陛下の全権大使を拝命いたしました、ギュンター・フォン・クラウゼヴィッツと申します。この度の謁見、心より感謝申し上げます」


 完璧な挨拶。だが、玉座の主からの返事は、ギュンターの予想を、遥か斜め上から打ち砕くものだった。


「やあ、どうも。それで、菓子職人は誰?」


「…………は?」

 さすがのギュンターも、一瞬、思考が停止した。

 玉座に座るカインは、心底興味津々といった顔で、ギュンターの後ろに控える文官たちを一人一人、じろじろと見回している。

「あれ? いないの? 今回は、腕のいいお菓子職人を招待したつもりだったんだけど」


(……菓子職人?)

 ギュンターの脳内で、高速の情報処理が始まる。

 あの招待状は、そういう意味だったのか? いや、違う。これは、こちらの本質を見抜くための、揺さぶりだ。『お前たちの本当の目的は何だ? 小手先の外交儀礼など、この私には通用しないぞ』という、高度な牽制。

 さすがは、皇帝陛下に二度も物理的ダメージを与えた男。一筋縄ではいかない。


「……失礼いたしました。主君の真意を測りかねておりました。我々が本日持参いたしましたのは、菓子ではなく、我が帝国からの、心ばかりの『誠意』でございます」

 ギュンターは、冷静さを取り戻し、完璧な切り返しで応じた。

 だが、カインは、心底がっかりしたように、玉座に深く沈み込んだ。

「なんだ、違うのか……。じゃあ、まあ、いいや。どうぞ」

「……は?」

「話があるんだろ? 手短にお願いな。そろそろ昼寝の時間だから」


 昼寝。その、あまりにも緊張感のない言葉に、ギュンターの背筋を、再び冷たい汗が伝う。

(読めぬ……! この男の真意が、全く読めぬ……!)

 彼は、カインの奇行の全てを、「何か深遠な意図があるはずだ」というフィルターを通して解釈し、勝手に、自滅的な深読みの迷宮へと迷い込んでいた。


「……では、本題に入らせていただきます」

 ギュンターは、気を取り直し、最初の議題を切り出した。

「まず、貴殿の庇護下にある、旧オークヘイブン村、および、旧王都アヴァロンの住民たちの処遇について、お伺いしたい。彼らは、法的には、我が帝国の国民、あるいは占領地の民でございます。彼らを、どうされるおつもりか?」

 これは、この城の人道的側面と、拉致した人間をどう扱うかという、行動原理を探るための重要な質問だった。


 それに対し、カインは、面倒くさそうに頭を掻きながら答えた。

「ああ、あの人たち? みんな、元気にやってるよ。ほら」

 カインがそう言うと、彼の隣の空間に、巨大なモニターが出現した。そこに映し出されたのは、居住区画の様子。

 そこは、驚くほど平和で、そして、驚くほどに統制が取れていた。

 広大な広場で、数万人の人々が、まるで一つの生き物であるかのように、一糸乱れぬ動きで、奇妙な体操――『神体操』を行っていた。その動きは、どこか間の抜けた、しかし完璧にシンクロした、異様な光景だった。

 そして、体操が終わると、街中に設置された鐘が鳴り響き、人々は、まるでそれが世界の法則であるかのように、一斉にその場に寝転がり、あるいは家に戻り、穏やかな表情で昼寝を始めたのだ。


「……な……」

 ギュンターと、彼の後ろに控える文官たちは、その光景に絶句した。

 拉致された被害者たちの、絶望した姿を想像していた。だが、そこにいたのは、以前よりも遥かに健康的で、幸福そうな、しかし、完全に管理された、理想郷の住民たちだった。

 独自の文化(神体操)と、独自の法(昼寝の義務)によって、彼らは、完璧な共同体を形成している。

 これは、単なる監禁や支配ではない。古き国家を解体し、全く新しい概念の国家を、この城の中に『再創生』しているのだ。


「……彼らは、幸せ、なのですかな?」

 一人の文官が、震える声で尋ねた。

「さあ? でも、毎日楽しそうだよ。最近は、俺の城まで勝手に建て始めてるし。まあ、静かにしてくれるなら、何でもいいんだけど」

「……」

 カインの、あまりにも無関心な返答が、逆に、ギュンターたちの恐怖を煽った。

 この男は、神の視点から、人間という蟻が、勝手に社会を形成していく様子を、ただ観察しているだけなのだ。

 もはや、理解の範疇を超えていた。


「……よく、わかりました」

 ギュンターは、額の汗を拭うと、最後の、そして最大の議題を切り出した。

「主君。我が帝国は、貴殿と、この天空城アークノアとの間に、不可侵条約を締結することを、ここに正式に提案いたします」


 彼は、懐から分厚い羊皮紙の巻物を取り出し、それを広げた。

「第一条。グラドニア帝国は、天空城アークノアを、独立した主権国家として承認し、その領空、領土、および国民の安全を、未来永劫、侵犯しないことを誓う」

「第二条。天空城アークノアは、グラドニア帝国、およびその支配領域に対し、いかなる武力行使、および内政干渉も行わないことを誓う」

「第三条。両国の友好の証として、帝国は、貴殿が望むあらゆる物資、および人材を、定期的に献上……いえ、提供することをお約束する」

「第四条。両国のさらなる相互理解のため、帝国より、選抜された技術者、学者、および文化人を、『交換留学生』として、貴城に派遣させていただきたい」


 それこそが、ギュンターの、そして帝国の真の狙いだった。

 不可侵条約を結び、まずは帝国の安全を確保する。そして、スパイも同然の『留学生』を送り込み、この城の、計り知れない超技術を、少しずつでも吸収していく。

 今、帝国ができる、唯一にして、最善の一手。


 ギュンターは、固唾を飲んで、カインの返答を待った。

 カインは、難しい話にすっかりうんざりした顔で、大きなあくびを一つした。

 そして、全ての外交努力を、根底から覆すような、純粋な質問を、ギュンターに投げかけた。


「……ふーん。で、その『留学生』の中に、お菓子職人は、いるの?」


「…………」

 一瞬の沈黙。

 そして、ギュンターは、この交渉で初めて、心からの、そして最高の笑みを浮かべた。

「――はい。お任せください。帝国最高、大陸一と謳われる、最高の菓子職人を、必ずや、お連れいたしましょう」


「……マジで?」

 カインの目が、キラリと輝いた。

「じゃあ、いいよ。その条約、結んでやる」


 こうして、帝国の未来を賭けた、あまりにも壮大な外交交渉は、一人の男の、お菓子への飽くなき探究心によって、あっさりと、そして誰もが予想しえなかった形で、幕を閉じた。

 ギュンターは、目的を達成しながらも、カインという男の、そしてこの城の、底知れない不気味さに、背筋が凍るのを感じながら、帰路についた。

 一方、カインは、もうすぐ食べられるであろう、最高のスイーツに思いを馳せ、心からの幸福感に包まれていた。

 その隣で、エラーラだけが、これから始まる、さらなる混沌を予感し、深すぎるため息をついていた。

――ここまで読んでいただきありがとうございます!

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次回もお楽しみに!



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