52.雌雄を決す人と龍⑤
天に輝く偽りの月が、その全ての光を、一本の剣へと注ぎ込む。
大英雄ジークフリート。その老いた肉体に残された、最後の生命力と闘志。その全てを乗せた一撃が、地上でもがく隷属の竜に向かって、凄まじい速度で叩きつけられた。
それは、もはや剣技ではなかった。
天から落ちる、一筋の流星。
ズゥンッ!
大地を揺るがす鈍い音と共に、ジークフリートの大剣は、竜の眉間、最も硬いとされる鱗を貫き、その頭蓋骨に深々と突き刺さった。
やったか――。
地上で見守っていた帝都の民、そして皇帝ゲルハルトも、誰もが勝利を確信した。
だが、伝説の獣は、まだ死んでいなかった。
「――ギィィィィィィアアアアアア!!」
脳天に剣が突き刺さったまま、ドラゴンは、最後の力を振り絞るかのように、絶叫した。そして、その巨体を無理やり起こすと、翼もないまま、這うようにして逃亡しようとし始めたのだ。
「……なっ!?」
さすがのジークフリートも、その信じがたい生命力に、一瞬だけ、思考が追いつかなかった。
大剣は、竜の頭に突き刺さったまま。今の彼は、丸腰も同然。
(……だが、あの傷だ。もはや、長くはもつまい)
そう考えた英雄の心に、ほんのわずかな油断が生まれた。
その油断が、仇となった。
竜は、逃げるふりをしながら、その巨大な顎を、横薙ぎに振るったのだ。
「ぐっ!」
咄嗟に後方へ跳躍して回避するが、竜の牙が、ジークフリートの鎧の一部を食い千切る。
「……この、化け物が……!」
ジークフリートは、吐き捨てるように言った。
そして、彼は、およそ英雄らしからぬ、あまりにも荒々しい行動に出た。
逃げようとする竜の頭に飛び乗ると、そこに突き刺さっている自らの大剣の柄を、両の拳で、何度も、何度も、殴りつけ始めたのだ。
ゴッ! ゴッ! ゴッ!
骨と肉が砕ける、鈍い音が響き渡る。
「沈め!」「沈め!」「沈めぇぇぇぇぇ!!」
老いた英雄の絶叫と共に、大剣は、一撃ごとに、竜の頭蓋の奥深くへと沈んでいく。
そして、ついに。
メリメリ、と嫌な音を立てて、大剣の切っ先が、竜の下顎を完全に貫通した。
ドラゴンは、最期の断末魔を上げることもなく、その巨体を震わせ、そして、ぴたりと動きを止めた。
その瞳から、隷属の呪いと、生命の光が、同時に消え失せていた。
「……はあっ……はあっ……終わった……」
ジークフリートは、竜の頭の上で、膝をついた。
帝都に、割れんばかりの歓声が巻き起こる。
「うおおおおお!」「英雄様、万歳!」「帝国は、勝ったのだ!」
だが、その歓声が、絶望の悲鳴に変わるのに、時間はかからなかった。
生命活動を停止したドラゴンの巨体は、もはやその体を支えることができず、ゆっくりと、横に傾き始めたのだ。
その倒れ込む先は――先ほどのブレスで半壊し、かろうじて立っていた、王城だった。
ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……!
地響きと共に、ドラゴンの巨体が、王城の残骸に倒れ込む。
かろうじて形を保っていた北部分と南部分の塔が、巨大な質量によって、根元から粉々に砕け散っていく。
ブレスによる破壊を遥かに上回る、純粋な質量による、圧倒的な蹂躙。
勝利の歓声は、完全に沈黙した。
後に残ったのは、完全に崩壊し、巨大な竜の死骸が突き刺さった、見るも無惨な王城の瓦礫の山だけだった。
帝国は、勝利した。
だが、その代償として、自らの象徴を、完全に失ったのだった。
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