46.開花⑥
西の魔女モルガナとの死闘を終え、北の魔女リディアの分身体は、玉座の間で待機していた皇帝ゲルハルトに事の顛末を簡潔に報告した。
「脅威は去った。だが、まだ火種は燻っている。せいぜい、うまくやるんだな、皇帝」
そう言い残し、彼女は用済みとばかりに、その場から姿を消した。
次に向かった先は、帝都から遥か東、戦乱の傷跡が生々しく残る、旧連合王国の森の中。
そこでは、東の魔女テラが、戦で荒れた大地を癒すように、静かに魔力を巡らせていた。
リディアは、音もなくテラの背後に立つと、怒りを滲ませた声で問い詰めた。
「――テラ。貴様、私に何か、隠していることはないか?」
「……リディアか。何のようだ」
「とぼけるな。西の魔女モルガナは、生きていた。貴様が、ジークフリートと共に討ったはずのあの女が、だ。……あれは、一体どういうことだ?」
リディアの鋭い追及に、テラは、大地を癒していた手を止め、ゆっくりと振り返った。
その顔には、悪びれるでもなく、驚くでもなく、ただ、諦めに似た疲労の色が浮かんでいた。
「……ああ、やはり、生きていたか」
「……は?」
予想外の反応に、今度はリディアの方が呆気に取られた。
「何を言っている。貴様が仕留め損ねたのではないのか?」
「無理だ」
テラは、はっきりと断言した。
「あの女の『死』は、あまりにも完璧すぎた。魔力の残滓も、魂の痕跡も、何一つ残さずに消え去った。……あれは、もとより『本体』ではなかったのだ。我らは、あの女が用意した、完璧な抜け殻を相手に、踊らされていただけだ」
テラは、最初から気づいていた。いや、気づいていたというよりは、諦めていた。
モルガナという魔女の、底知れない狡猾さを考えれば、あの場で素直に討たれるはずがない、と。
「いずれ、またひょっこり顔を出すとは思っていたが……。まさか、お前の前に現れるとはな」
その言葉に、嘘を言っている気配はなかった。リディアは、こめかみを押さえる。どうやら、本当にテラは何も知らなかったらしい。
となると、自分の怒りの矛先は、完全に宙ぶらりんだ。
「……まあ、いい。モルガナは、今度こそ、私が完全に消し去った」
リディアがそう告げると、今度はテラが、何かを思い出したように、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「そういえば、リディア。お前、モルガナの奴に、分身の一体をやられたそうじゃないか。聞くところによると、娼館にでも放り込んでおけ、などと言われていたそうだが……。その分身は、どうした?」
「……」
今度は、リディアが沈黙する番だった。
彼女は、すっかり、完全に、そのことを忘れていた。
(……まずい)
リディアは、内心で冷や汗をかく。
分身体は、意識を失ったまま、あのフードの男に担がれて、どこかへ運ばれていったはず。もし、本当に娼館なんぞに売り飛ばされ、辱めでも受けていたとしたら……。
それは、伝説の魔女として、致命的な汚点となる。
「……」
リディアは、何も言わずに、指をパチン、と鳴らした。
遥か遠く、帝都のどこかで、意識を失っていたはずのリディアの分身体が、その場で青白い光の粒子となり、崩壊する。いわば、強制的なデータ消去だ。
「……何の、ことかな?」
リディアは、完璧なポーカーフェイスで、そう答えた。
「私は、ここにおりますが?」
その、あまりにも分かりやすい誤魔化しに、テラは腹を抱えて笑った。
こうして、北の魔女リディアの尊厳は、ギリギリのところで守られた。
【帝都ヴァイス・とある高級娼館】
その頃。
娼館の主人は、頭を抱えていた。
つい先ほど、フードを被った怪しい男が、「こいつを預かってくれ」と、気絶した絶世の美女を置いていった。
これは大儲けできると、部屋に運び込んだ、その瞬間。
女の体が、突然、青白い光の粒子となって、跡形もなく消えてしまったのだ。
「……代金だけ受け取って、肝心の商品が消えるとは……! あのフード男め、詐欺師か!」
後に残ったのは、謎の失踪事件と、娼館の主人からの、フードの男に対する、筋違いなクレームだけだった。
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