40.暁
絶望的な消耗戦だった。
帝国軍の精鋭、『白百合騎士団』。その名の通り、聖なる加護をその身に宿し、アンデッドや魔物に対して絶大な力を発揮するはずの部隊。だが、彼らの前に立つのは、ただのアンデッドではなかった。
かつての同胞、帝国最強と謳われた『黒薔薇騎士団』の亡霊たち。
「怯むな! 聖なる光で、彼らの魂を浄化するのだ!」
団長エレオノーラが叫び、騎士たちの剣が白銀の光を放つ。その光は、確かにアンデッドの動きを鈍らせ、その肉を焼き焦がす。
だが、相手はあまりにも強い。生前の技を記憶したままの黒薔薇騎士団の亡霊たちは、聖なる光をその卓越した剣技で受け流し、あるいは回避し、的確に白百合騎士団の陣形を切り崩していく。
「ぐあああっ!」
一人、また一人と、白百合の騎士が倒れていく。そして、倒れた仲間は、数分後には虚ろな瞳で立ち上がり、かつての戦友に刃を向ける。
終わりが見えない、地獄の連鎖。エレオノーラの心も、折れかけていた。
(……ここまで、か)
もはや、これまで。全滅を覚悟した、その時だった。
――天が、割れた。
曇天だったはずの空が、にわかに黄金色の光で満たされ、まるで天上の神々が地上を覗き込んだかのような、温かく、そしてあまりにも強大な光の奔流が、戦場全体に降り注いだのだ。
「……な……」
何が起きたのか、誰にもわからなかった。
光に包まれたアンデッドたちは、苦しむでもなく、ただ、その動きを止める。そして、まるで陽光に晒された霧のように、その体は足元から光の粒子となって、静かに消えていった。浄化。それも、あまりにも慈悲に満ちた、絶対的な浄化だった。
だが、奇跡はそれだけでは終わらない。
光が降り注いだ大地から、もぞもぞと、何かが這い出てくる。それは、この戦いで命を落とした白百合の騎士たち、あるいは、アンデッドにされ、浄化された黒薔薇の騎士たちの亡骸だった。
「……ここは……? 俺は、確か……」
死んだはずの者たちが、困惑した表情で次々と蘇生していく。それどころか、この渓谷に古くから埋葬されていたであろう、名も知らぬ死体までが、その5%ほど、土を押し上げて起き上がってきた。
神の奇跡は、聖なる混沌となって、戦場を支配した。
【グラドニア帝国 帝都ヴァイス】
皇帝ゲルハルトは、玉座の間で、届けられた報告書を、信じられないという顔で何度も読み返していた。
「……アンデッド軍団、完全消滅。死者の一部、蘇生……だと?」
何が起きたのか、理解できなかった。だが、理由など、どうでもよかった。
目の前にあるのは、紛れもない『勝利』という結果。それも、帝国が何一つ犠牲を払うことのない、奇跡的な勝利だ。
「……ククク……ハハハハハハ!」
皇帝は、天を仰いで高らかに笑った。
「見よ! 天は、この我に、帝国に味方した! 我が覇道こそが、正義であると、神々が証明してくださったのだ!」
なぜ奇跡が起きたのか。そんな些末なことを気にする必要はない。
「全軍に通達! この奇跡を『神の天啓』とし、帝都にて再び祝祭を開く! 我が帝国の栄光を、大陸全土に知らしめるのだ!」
覇王は、この都合の良い奇跡を、自らの権威を高めるための、最高の道具として利用することにした。
【反乱軍 隠し砦】
その頃、ファルケン将軍は、司令室の机に拳を叩きつけていた。
地図の上に置かれた駒が、全て、薙ぎ払われていた。たった一瞬の出来事で、彼の築き上げたアンデッド軍団は、完全に消滅したのだ。
「……なぜだ……なぜ、今……」
その、絶望と怒りに満ちた独り言に、背後から声がかけられた。
「――残念でしたな、将軍」
いつの間にか、あのフードの男が、音もなく立っていた。
「これで、貴方の『治療』とやらの手段は、全て失われた。……どうです? 今からでも、遅くはありません。我らと共に、真の『救済』を目指す気は?」
ファルケンは、ゆっくりと振り返る。その瞳には、もはや迷いはなかった。
「……断る」
彼は、力強く言い放った。
「たとえ、この身が滅びようとも、俺は、俺の信じるやり方で、この国を憂う。貴様らのような、正体不明の亡霊どもに、魂を売るつもりは毛頭ない」
「……そうですか。ならば、仕方ありませんな」
フードの男は、心底残念そうに、そう言った。
瞬間、ファルケンは、目の前のフードが、ぐるり、と高速で回転したように見えた。
(……速い!?)
神速の剣技。そう認識したファルケンの思考は、そこで途切れた。
いや、違う。フードは、回っていない。
回っているのは、世界だ。自分の、視界が。
彼は見た。剣を抜き放とうとしたままの姿勢で立つ、自分の体を。首から上を、失った、自分の体を。
それが、帝国を愛しすぎた男、”不動”の将軍ファルケンの、最期の光景だった。
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