35.旋回
帝国の誇る『黒薔薇騎士団』の壊滅。
その報せは、ただの一つの精鋭部隊を失ったという以上の、絶望的な意味を持っていた。
彼らは死してなお、帝国の軍服を纏ったまま、反逆者ファルケン将軍のアンデッド軍団に組み込まれた。生前の武勇と忠誠心を、かつての祖国へと向ける、最悪の亡霊となって。
ファルケンの軍勢は、もはや無視できぬ脅威となった。
帝都ヴァイスの玉座の間は、連日、重苦しい軍議が続けられている。
「北部への増援はまだか!」
「ファルケンめ、まるでこちらの動きを読んでいやがる! 我が軍の進軍ルート上に、ことごとく伏兵を……!」
生前のファルケンの知略と、アンデッドの不死の肉体。その二つが組み合わさった反乱軍は、帝国軍を翻弄し、その勢力を日に日に拡大させていた。
「――もはや、我が国の騎士や魔術師だけでは限界だ」
連日の激務に、疲労の色を隠せない皇帝ゲルハルトが、苦渋の決断を下す。
「西方の『聖王国アークライト』へ、緊急の救援要請を送れ」
その言葉に、大臣たちが息を呑んだ。
聖王国アークライト。それは、帝国とは長年、政治的にも宗教的にも距離を置いてきた、中立の宗教国家。
「しかし陛下、彼らが我々の要請に応じるとは……」
「アンデッドには、神官。相場が決まっておるだろう」
皇帝は、吐き捨てるように言った。
「聖王国の枢機卿どもは、口を開けば『聖なる秩序』だの『穢れの浄化』だのと宣う。自らの教義の根幹を揺るがす死者の軍団を、奴らが放置できるはずがない。……多額の寄進は、覚悟せねばなるまいがな」
覇王が、初めて他国に頭を下げる。それは、帝国にとって、これ以上ない屈辱だった。
だが、もはや、プライドよりも国家の存亡が優先される。帝国は、最後の望みを、聖なる光の奇跡に託すしかなかった。
【旧アルテア連合王国 王都アヴァロン】
その頃、帝国に占領された旧連合王国の王都アヴァロンでは、帝国軍による統治が始まっていた。
街には、帝国の黒い旗が掲げられ、兵士たちが厳しく巡回している。連合王国の民たちは、征服者たちの下で、息を潜めるように暮らしていた。
そんな、沈んだ街の空気が、一変したのは、ある日の昼下がりのことだった。
「……なんだ、あの影は……?」
一人の市民が、空を見上げて呟いた。
見れば、太陽を覆い隠すほどの、巨大な影が、ゆっくりと街に近づいてくる。
それは、もはや伝説ですらない、現実の恐怖。天空城アークノア。
「な、なぜ、アヴァロンに……!?」
駐留していた帝国軍の司令官が、城壁の上で絶叫する。
「全魔導砲、撃ち方用意! 総員、戦闘態勢!」
だが、その命令が完遂されることはなかった。
巨大な城は、アヴァロンの上空で、ゆっくりと、しかし確実に、その巨体を傾け始めたのだ。
まるで、巨人が、興味本位で足元の蟻の巣を、靴の裏でグリ、と潰すかのように。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
地響きと共に、アヴァロンの美しい街並みが、歴史ある建造物が、そして、そこにいた帝国兵も、連合王国の民も、区別なく、巨大な城の底面に飲み込まれ、押し潰されていく。
悲鳴を上げる時間すらなかった。
数分後、城が再び水平に戻った時、そこには、もはや王都の姿はなかった。
ただ、巨大な円形のクレーターだけが、ぽっかりと口を開けているだけだった。
【天空城アークノア 玉座の間】
「うおおおお! すごいすごい! 曲がる! この城、ちゃんと曲がるぞ!」
俺は、玉座に設置された操縦桿を握りしめ、子供のようにはしゃいでいた。
最近のマイブームは、この城の操縦だ。レベル3になってからというもの、俺は毎日、この巨大な乗り物で、空の散歩を楽しんでいた。
「よし、今度はこっちだ! 急旋回!」
俺が操縦桿をぐりっと傾けると、城全体が大きく傾き、ゆっくりとカーブを描く。
眼下に広がる地上の景色が、ぐるりと回転していく。
さっきまで見えていた、なんだか綺麗な街並みが、いつの間にかただのデカい穴ぼこに変わっていたが、まあ、気のせいだろう。
愚かな管理人は、ただ、新しいおもちゃの運転に夢中だった。
その無邪気な旋回が、地上に新たな悲劇と、計り知れない混乱をもたらしたことなど、全く、これっぽっちも、知る由もなかった。
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