31.デッドリーチョコレート
「……」
俺は言葉を失っていた。
目の前にあるのは、一見すれば高級そうな、漆黒のチョコレート。だが、その表面には、何やら緑色の粉末が、明らかに健康に悪そうなオーラを放ちながら振りかけられている。
「なあ、ノア……これは、なんだ?」
《究極の健康チョコレートです》
ノアは、どこか誇らしげに答えた。
《カカオ含有率100%。甘味料は一切使用せず、管理人様の体質改善に最適と判断された32種類の薬膳漢方のみで風味を調整しました。名付けて『生命の恵み(ギフト・オブ・ライフ)』です》
「地獄の間違いだろ!」
俺は絶叫した。意を決して、そのひとかけらを口に放り込む。
舌に広がるのは、もはや苦味という概念を超越した『無』。そして、遅れてやってくる漢方の複雑怪奇な風味が、脳を直接殴りつけてくるような衝撃をもたらした。
「まずい! まずすぎるぞ! もはや食べ物じゃない!」
《ご安心ください。栄養素は完璧です。一日一枚の摂取で、管理人様は今後100年間、病気知らずの健康体でいられるでしょう》
「その前に、食事がストレスで死ぬわ!」
俺とノアの、いつもの不毛な口論。
だが、今日の俺は一人ではなかった。玉座の間の入り口で、エラーラと村長の老人が、何やら神妙な顔でこちらを見ている。
「陛下……」村長が、おずおずと口を開いた。「居住区画の整備が、一段落いたしました。つきましては、一度、ご高覧いただきたく……」
「ああ、うん。わかった」
地獄のチョコレートから逃げられるなら、何でもよかった。
俺が居住区画に足を踏み入れて、まず目に飛び込んできたのは、広場の中央に建設されつつある、巨大な城だった。
俺の彫像を取り囲むように、真っ白な石材で組み上げられた、立派な城壁と天守閣。村人たちが、せっせと資材を運び、壁を積み上げている。
「……おい、これ、どうしたんだ? 資材はどこから?」
俺が驚いて尋ねると、村長は誇らしげに胸を張った。
「この『神域』には、不思議なことに、掘ればいくらでも清浄な石材や木材が湧き出てくるのです。これも全て、カイン様が我らのためにご用意くださった恵み……!」
(いや、俺も今知ったんだが……)
どうやら、この亜空間でできた居住区画は、それ自体が資源を生み出す、至れり尽くせりの環境らしい。
村人たちは、俺が住む玉座の間とは別に、俺を王として戴くための、彼ら自身の城を、自分たちの手で作り始めていたのだ。
その時だった。広場に設置された鐘が、高く鳴り響く。
「おお! 『神体操』の時間ですな!」
村長の言葉に、作業をしていた村人たちが、一斉に手を止めて広場に集まり始めた。そして、俺の彫像に向き直ると、奇妙な音楽と共に、謎の体操を始める。
両手を天に突き上げ、大きくあくびをするようなポーズ。
玉座に寝そべり、だらりと手足を伸ばすようなポーズ。
テーブルの上のポテトチップスに、気だるそうに手を伸ばすポーズ。
「…………」
俺は、気づいてしまった。
あれは、俺が玉座の間で、普段やっている行動そのものだ。どうやら、俺の日常は、監視カメラを通して、彼らの「神の御業」として中継されているらしい。
「この体操を行うことで、我らもカイン様の御心に、一歩近づくことができるのです!」
村長が、感涙にむせびながら解説してくれる。
その光景を、俺の隣で、エラーラが死んだ魚のような目で見つめていた。
(……なぜ、私は、こんな所に……)
彼女は、心の底から後悔していた。
帝国最強の『紅蓮の剣聖』と呼ばれた自分が、今や、間の抜けた男のぐうたらな日常を模倣した奇祭を、ただ無言で眺めている。
もはや、ここから逃げ出す気力すら、彼女には残っていなかった。
狂信的な村人たちと、それを引いた目で見つめる元・剣聖。
そして、その元凶である俺は、ただひたすらに、今日の昼食が、せめて普通の味であることを祈るばかりだった。
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