29.大陸事変 終
【天空城アークノア 玉座の間】
「……もう、いらない」
俺は、玉座にぐったりと寄りかかり、目の前に差し出されたチョコレートの皿を、力なく手で押しやった。
見た目は、宝石のように艶やかで美しいトリュフチョコレート。だが、俺は知っている。この黒い悪魔の塊が、俺の舌にどれほどの苦難をもたらすかを。
《管理人様の慢性的なビタミン不足を改善するため、カカオ分99%のチョコレートに、18種類の野菜と薬草のエキスを凝縮しました》
「拷問器具を作るな」
俺は、その皿を隣で虚無の表情を浮かべていたエラーラに押し付けた。
「エラーラ、これ、やるよ。栄養満点らしいぞ」
「……」
エラーラは、何も言わずに、まるで毒薬でも受け取るかのように、その一粒を摘み上げた。そして、ゆっくりと口に運ぶ。
彼女の眉が、ピクリとも動かなかったことに、俺は畏敬の念すら覚えた。メンタルケアの結果、味覚までおかしくなってしまったのだろうか。
「はぁ……。平和だなあ……」
俺は、天井を見上げながら、しみじみと呟いた。
国民は増えたし、変な外交官も来たし、物騒な剣聖も居着いてしまったが、まあ、概ね平和だ。
地上で、血と涙と勘違いが渦巻く、歴史的な大戦争が終結したことなど、俺は知る由もなかった。
【グラドニア帝国 帝都ヴァイス】
帝都は、戦勝ムード一色に染まっていた。
凱旋した兵士たちを讃えるパレードが目抜き通りを埋め尽くし、民衆は「帝国万歳!」「皇帝陛下万歳!」と熱狂的な歓声を上げている。
連合王国という長年の宿敵を打ち破った栄光は、先のワイバーン部隊の謎の壊滅や、ファルケン将軍の反乱といった帝国の傷を、一時的に忘れさせていた。
皇帝ゲルハルトは、王城のバルコニーに立ち、民衆の歓呼に手を振って応える。
その顔には覇王としての威厳が満ち溢れていたが、その瞳の奥には、一瞬だけ、遥か上空――誰もが見上げることのない、天の頂を見やるような、暗い影がよぎった。
「聞け! 我が帝国の民よ! この勝利を祝し、今日より七日間、祝祭を開くことを許可する!」
皇帝の宣言に、民衆はさらに沸き立つ。
祝祭の目玉として、普段は固く閉ざされている皇城の一部エリアが、一日だけ民衆に開放された。さらには、抽選で選ばれた市民が、皇帝陛下と直接対話できるという謁見会まで催された。
帝国は、その圧倒的な勝利と寛大さを、大陸全土に、そして、空に浮かぶ誰かに見せつけるかのように、史上最大の祝祭に酔いしれていた。
【??? 地下神殿】
地上の喧騒が、まるで嘘のような静寂。
蝋燭の光だけが揺らめく地下神殿で、フードを目深にかぶった謎の一団が、祭壇の水晶――天空城の存在を示す光に、静かに祈りを捧げていた。
「――全ては、御心のままに」
リーダー格の男が、恍惚とした表情で呟く。
「帝国と連合王国。愚かなる地上の二大勢力は、我らが蒔いた小さな『真実』の種によって、見事に潰し合ってくれた」
「ククク……。まさか、皇帝が本当に勝利するとは。予想外でしたが、結果は同じこと」
「そうだ。帝国は疲弊し、内乱の火種を抱えた。連合王国は滅び、大陸の均衡は崩れた。もはや、我らが神の降臨を阻むものは、何もない」
彼らは、アルトリウス王に手紙を届けた者たち。
この大陸動乱の影で、唯一、事の真相を知る者たち。
彼らの目的は、帝国でも、連合王国でもない。ただ一つ、天空城の管理人を、彼らが信じる真の『神』として、この地上に迎え入れること。そのためには、地上の秩序など、邪魔なだけでしかなかった。
リーダー格の男が、ゆっくりと顔を上げる。フードの奥で、その目が狂信的な光を放っていた。
「さあ、始めよう。主君をお迎えするための、最後の仕上げを」
地上が偽りの勝利に酔いしれる中、本当の勝者たちは、誰にも知られることなく、静かに笑っていた。
大陸事変は、終わったのではない。
それは、これから始まる、本当の混沌の、ほんの序章に過ぎなかった。
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これにて第1章は終わりとなります。ですがご安心くださいおそらく1時間もせずに第2章は投稿されますから
次回もお楽しみに!