27.大陸事変⑤
大英雄ジークフリートの胸を貫いていた『暴風の槍』は、主であるモルガナが吹き飛ばされたことで霧散した。
彼が作り出した偽りの夜空。その天頂で輝く満月が、慈愛に満ちた光を老いた英雄へと降り注ぐ。致命傷であったはずの傷は、常人には信じがたい速さで塞がり、失われた生命力が、再びその肉体に満ち溢れていく。
ジークフリートは、ゆっくりと立ち上がった。その瞳には、先ほどまでの死の影はなく、百年前と変わらぬ、伝説の闘志が燃え盛っていた。
だが、今の戦場の主役は、彼ではなかった。
「……面白い趣向だね、テラ」
体勢を立て直し、口元の血を拭った西の魔女モルガナが、愉快そうに喉を鳴らす。
「アンタも、この私と、力比べがしたいのかい?」
「戯れ言はそこまでにしろ、モルガナ」
東の魔女テラは、大地に根を張るように、一歩も動かずに答える。「アンタの気まぐれで、世界の均衡が崩れるのを、これ以上黙って見ているわけにはいかない」
二人の魔女は、それきり言葉を交わさなかった。
物理的には、一歩も動いていない。ただ、燃え盛る王都の中心で、静かに睨み合っているだけ。
だが、その周囲では、高位の魔術師でなければ視認すら叶わぬ、超次元の攻防が繰り広げられていた。
テラが念じると、地面から無数の岩の槍が突き出し、モルガナへと殺到する。しかし、それはモルガナの体に届く前に、見えない風の壁に阻まれて砂塵と化す。
大地そのものが意思を持ったかのように、巨大な腕となってモルガナを掴みにかかるが、それもまた、鋭い真空の刃によって容易く切り刻まれてしまう。
一見すれば、大地を具現化させて物理的な攻撃を仕掛けるテラに対し、それを軽くいなすモルガナが、圧倒的に優勢に見えた。
事実、モルガナの魔法は、テラを完全に捉えていた。テラの周囲には、無数の剃刀のような風の刃が渦を巻き、彼女を『暴風の檻』に閉じ込めている。テラが少しでも魔力の集中を解けば、その体は一瞬でミンチよりも細かく切り刻まれるだろう。
(……だが、それだけだ)
テラは、内心で冷静に分析する。
モルガナの風は、確かに強力だ。だが、それはテラの集中力が続く限り、決して彼女を傷つけることはできない。
一方、テラの本当の狙いは、別の場所にあった。
モルガナの白くしなやかな首。その周囲には、誰にも気づかれぬよう、極限まで圧縮された土の魔力が、まるで目に見えない首輪のように、ぴたりと纏わりついていた。
それは、死の首輪。テラが仕掛けた、断頭台の刃。
モルガナの魔力が尽きるか、あるいは、彼女の集中が一瞬でも途切れた瞬間、この首輪は起動し、大地そのものが、その首を噛み砕く。
どちらが先に根負けするか。魔女と魔女の戦いは、究極の我慢比べ、精神力の削り合いという、膠着状態に陥っていた。
そして、その膠着を破ったのは、モルガナが「終わった駒」として、完全に意識の外に置いていた存在だった。
「――侮り、そして油断。それが貴様の敗因だ、西の魔女よ」
声は、すぐ真横からした。
モルガナが驚愕に目を見開いた時には、もう遅い。
月の光を浴びて完全回復した大英雄ジークフリートが、その全闘気を込めた、純粋な『武』の一撃を、無防備なモルガナの脇腹に叩き込んでいた。それは、魔法ではない。ただひたすらに重く、ただひたすらに鋭い、英雄の鉄槌。
ゴッ!
鈍い衝撃音と共に、モルガナの体がくの字に折れ曲がる。
「が……はっ……!」
血反吐を吐き、美しい顔が苦痛に歪む。あまりの衝撃に、彼女の意識は一瞬、完全に飛んだ。
そして、その一瞬が、全てを決した。
モルガナの集中が途切れたことで、テラを囲んでいた『暴風の檻』が霧散する。
それと同時に。
「――終わりだ」
テラが、静かに呟いた。
モルガナの首元に纏わりついていた土の魔力が、一斉に牙を剥く。
それは、刃物で斬るような生易しいものではなかった。
ガリガリガリッ、と、まるで巨大な石臼が骨を砕くような、嫌な音。
大地の顎が、伝説の魔女の首を、容赦なくへし折った。
西の魔女モルガナの首が、胴体から離れて宙を舞う。
その瞳には、信じられないものを見たかのような、驚愕の色が浮かんだままだった。
伝説と伝説の激突は、あまりにもあっけない、しかしあまりにも残酷な形で、ここに決着した。
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