26.大陸事変④
内乱、そして西の魔女の介入。
皇帝ゲルハルトは、玉座の間で地図を睨みつけながら、己の治世で最大の窮地に立たされていることを痛感していた。もはや、覇道どころか、帝国の存続すら危うい。
「……ここまでか」
覇王の口から、初めて弱音が漏れた、その時だった。
「――まだ終わってはおらぬぞ、若き皇帝よ」
どこからともなく響いた、古いが、力強い声。
ゲルハルトが顔を上げると、そこには三人の人影が、いつの間にか立っていた。
一人は、白銀の鎧に身を包んだ、白髪白髭の老騎士。その佇まいは、老いてなお、そこにあるだけで伝説を感じさせる。百年前に魔王を討伐したとされる、大陸の『大英雄』ジークフリート。
そして、その両脇には、対照的な二人の女。
一人は、大地の力強さを感じさせる、褐色の肌を持つ『東の魔女』テラ。
もう一人は、絶対零度の空気をまとわせる、青白い肌の『北の魔女』リディア。
「ジークフリート殿……それに、東と北の魔女殿まで。なぜ、ここに?」
ゲルハルトの問いに、大英雄が重々しく答える。
「西の魔女モルガナの気まぐれは、世界の均衡を乱す。あの女の好きにはさせん。皇帝よ、貴様のやり方は気に入らんが、世界の秩序を守るため、一時、力を貸そう」
「我らも同意見だ。あの女狐に、これ以上好き勝手させるわけにはいかないからね」
東の魔女テラが、不敵に笑う。
大陸最強の援軍。それは、絶望の淵にいた皇帝にとって、まさに天啓だった。
ゲルハルトの瞳に、再び覇王の光が宿る。
「――クハハハハ! 神は、まだこの我を見捨ててはいなかったか! 聞け、全軍! もはや小細工は不要! アルテア連合王国の王都アヴァロンを、ただちに蹂躙せよ!」
皇帝の号令一下、帝国軍は怒涛の進軍を開始した。
大英雄の武威が兵士たちの士気を極限まで高め、二人の魔女が作り出した地割れと氷壁が、連合軍の防衛線を赤子の手をひねるように打ち砕いていく。
そして、ついに連合王国の王都アヴァロンは、帝国の軍門に下った。
炎上する王城の中央広場。勝利に沸く帝国軍の前に、西の魔女モルガナが、ただ一人、音もなく舞い降りた。
「下品な花火だこと。人間のやることは、いつの世も変わらないね」
「そこまでだ、魔女よ」
モルガナの前に、大英雄ジークフリートが進み出る。
「貴様の気まぐれが、どれだけの血を流させたか、その目で見るがいい」
「あら、英雄様。まだ生きていたのかい。その年でしゃしゃり出てくるとは、死に場所を探しているのかね?」
両者の間に、凄まじい魔力と闘気が火花を散らす。
「今は昼……太陽が最も高き時。貴様のような闇の存在には、分が悪いであろうな」
ジークフリートが、背負っていた大剣を静かに構える。
「――だが、我が剣の前では、星辰すら道を譲る!」
大英雄がそう宣言した瞬間、世界が一変した。
燃え盛る王都の空から太陽の光が消え失せ、まるで天の幕が下りたかのように、深い夜の闇と、満天の星々が姿を現したのだ。そして、天頂には、妖しいまでに美しい満月が輝いていた。
「馬鹿の一つ覚えだねえ。その茶番、百年前に見たよ」
モルガナが嘲笑う。だが、ジークフリートは動じない。
「奥義――【月光斬】ッ!!」
満月の光が、ジークフリートの大剣に収束し、凝縮され、そして、絶対的な破壊力を持つ銀色の斬撃となって放たれた。空間そのものを切り裂きながら、モルガナに迫る。
モルガナは、杖を軽く一振りした。彼女の前に、風が渦を巻いて巨大な障壁を形成する。
斬撃は風の壁に阻まれ、その軌道を大きく逸らされた。だが、完全には防ぎきれない。軌道を逸れた斬撃の余波が、モルガナの額を掠め、一筋の鮮血が流れた。
「……あらら」
モルガナは、額から流れる血を指で拭い、それを見て妖艶に微笑む。
「やっちゃったね、英雄さん」
「戯言を!」
ジークフリートは勝利を確信し、追撃のために踏み込もうとした。
その瞬間、彼の胸に、信じられないほどの激痛が走った。
見下ろすと、自身の胸の中心を、巨大な風の渦でできた槍――『暴風の槍』が、鎧ごと貫いていた。
「……な……ぜ……」
「風は、防いでも消えないのさ。逸らされた風は、ちゃんとアンタの背中に回り込んでいたんだよ」
いつの間に。斬撃を放つ、その瞬間に、既にカウンターは成立していたのだ。
ジークフリートの膝が、がくりと落ちる。
「終わりだね、老いぼれ」
モルガナが、とどめの一撃を放つべく、杖を振り上げた。
だが、その一撃が放たれることはなかった。
ゴッ!
凄まじい轟音と共に、地面から巨大な岩の拳が突き出し、無防備なモルガナの顎を完璧なアッパーで殴り飛ばしたのだ。
「――させんよ!」
大地を震わせながら、東の魔女テラが、倒れたジークフリートの前に立ちはだかる。
「アンタの相手は、この私だ。モルガナ」
吹き飛ばされたモルガナが、空中で体勢を立て直し、口元の血を拭いながら、愉快でたまらないといった表情で笑う。
「……ああ、愉しい。実に、愉しいじゃないか!」
伝説と伝説の激突は、今、魔女と魔女の死闘という、新たな局面を迎えようとしていた。
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