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25.大陸事変③

 皇帝ゲルハルトが放った戦略級魔法【雷葬】。

 その一撃は、確かに旧オークヘイブン村跡地の戦いを帝国の勝利に導いた。だが、それは同時に、大陸全土を覆う巨大な嵐の、最初の稲妻に過ぎなかった。

【グラドニア帝国 帝都ヴァイス・軍議の間】

「――陛下、お待ちください!」

 勝利に沸く軍議の間で、ただ一人、苦渋の表情を浮かべた男が声を上げた。帝国軍の重鎮、”不動”の異名を持つファルケン将軍。皇帝の信任も厚い、歴戦の勇士である。

「先の勝利、確かに見事でした。しかし、その代償はあまりに大きい。我が軍の魔力資源の三割を消耗し、兵士たちの疲弊も隠せません。何より……アルテア連合王国は、我らが想定していた以上に、遥かに強靭です」

 ファルケン将軍の冷静な言葉に、他の将軍たちが「何を弱気な!」と色めき立つ。だが、皇帝ゲルハルトは、それを手で制した。

「……続けよ、ファルケン」

「はっ。このまま全面戦争を続ければ、たとえ勝利したとしても、帝国が払う犠牲は計り知れません。それに、我らにはまだ、あの『天空城』という計り知れない脅威が頭上に浮かんでおります。今、連合王国との戦いで国力を消耗するのは、あまりにも危険です。どうか、一時停戦の道を……」

「――臆したか、ファルケン」

 皇帝の静かな一言が、場の空気を凍りつかせた。

「貴様ほどの男が、連合王国のネズミどもに恐怖したと申すか。それとも……あの空に浮かぶ城の主に、魂でも売ったか?」

「陛下!滅相もございません! 私が憂いているのは、帝国の未来です!」

「帝国の未来は、この我が創る! 勝利によってのみ、未来は開かれるのだ! 我が覇道に疑念を抱く者は、すなわち帝国の敵よ!」

 皇帝の瞳には、猜疑心と、勝利への渇望だけが燃え盛っていた。

 ファルケンは、悟った。もはや、この皇帝に言葉は届かない。勝利という名の熱病に浮かされた独裁者に、帝国の舵取りを任せておけば、いずれ国そのものが沈む。

 彼は、ゆっくりと腰の剣に手をかけた。

「……陛下。貴方様は、お疲れのようだ」

「何……?」

「その狂気から帝国を救うのが、貴方様に長年仕えてきた、私の最後の忠義!」

 ファルケンは剣を抜き放つと、皇帝ではなく、側にいた近衛兵に斬りかかった。軍議の間は、一瞬にして怒号と剣戟の音に包まれる。

「反逆者めが! ファルケンを捕らえよ! 生かして捕らえるでない、八つ裂きにせよ!」

 皇帝の絶叫を背に、ファルケンは彼に同調した数人の兵と共に、血路を開いて帝都から脱出する。

 帝国は、外敵との戦争の最中に、最も信頼の厚い将軍の一人という、内なる敵をも抱え込むことになったのだ。

【アルテア連合王国 前線基地】

 一方、連合軍の陣営は、絶望的な空気に包まれていた。

 皇帝ゲルハルトの一撃は、彼らの士気を根こそぎ奪い去った。兵士たちは傷つき、魔法騎士たちの魔力も尽きかけている。

「もはや、これまでか……。一度、本国まで退却し、態勢を立て直すべきだ」

 司令官が、苦渋の決断を下そうとした、その時だった。

 陣営の空気が、ふ、と変わった。

 魔力の流れが乱れ、草木がざわめき、まるで世界そのものが息を呑んだかのような、濃密な静寂。

 次の瞬間、司令官の天幕の入り口に、一人の女が、音もなく立っていた。

 長く、編み込まれた銀髪。星空を閉じ込めたような、深淵の瞳。古びたローブをまとい、その手にはねじくれた樫の木の杖。どの国の人間とも違う、異質な存在感を放っていた。

「……何者だ!」

 護衛の騎士たちが剣を抜くが、女は気にも留めない。

「――騒がしい」

 女がただ一言呟くと、騎士たちの剣が、まるで意思を持ったかのように鞘へと吸い込まれていった。

「私は、モルガナ。人は、そう呼ぶ。あるいは、『西の魔女』と」

 その名に、誰もが息を呑んだ。数百年を生き、大陸の西の果てにある『迷いの森』から一歩も出ることなく、ただ世界の理を見つめ続けると言われる、伝説の大魔女。

「なぜ、あなたがここに……」

「あの愚かな皇帝が、あまりに下品な魔法を使ったからだ」

 モルガナは、心底うんざりしたように言った。

「自然の摂理を無視し、マナを無理やり束ねて放つだけの、野蛮な力。あれは、世界の調和を乱す雑音だ。私は、その雑音を消しに来た。……お前たちに手を貸すのは、癪だがな」

 彼女は、連合王国に味方するのではない。ただ、帝国のやり方が気に入らない、それだけだった。

 モルガナが杖を軽く地面に突くと、陣営の外で、大地が轟音と共に盛り上がり、巨大な茨の壁が天を突くように出現した。帝国の追撃を、いとも容易く防いでみせる。

 連合王国は、絶望の淵で、最も気まぐれで、最も強力な援軍を手に入れたのだ。

【再び、帝都ヴァイス】

 皇帝ゲルハルトの元に、二つの凶報が、ほぼ同時に届いた。

「報告! ファルケン将軍、西部の反皇帝派貴族をまとめ上げ、挙兵! 我が帝国は、内乱状態に突入しました!」

「報告! 連合軍の陣営に、伝説の『西の魔女』モルガナが出現! 帝国軍、進軍を阻まれ、戦線は完全に膠着状態に!」

 ゲルハルトは、玉座で天を仰いだ。

 たった一つの村を巡る小競り合いのはずが、いつの間にか、伝説の魔女と、帝国の英雄を敵に回す、泥沼の大戦争へと発展していた。

 側近の一人が、恐る恐る進言する。

「へ、陛下……。しかし、不幸中の幸いと申しますか……。この大混乱のおかげで、先日、天空城にワイバーン部隊が一方的に葬り去られた件は、もはや誰も話題にしておりません。あれは、この大戦の、ほんの序章に過ぎなかったのだと……」

 その言葉に、ゲルハルトは自嘲気味に鼻を鳴らした。

 確かに、一つの失態は、より大きな混乱によってかき消された。

 だが、問題の本質は何も解決していない。

 連合王国は、思ったよりも遥かに手強い。そして、あの空に浮かぶ、最大の脅威は、今も沈黙を保ったままだ。

 覇王は、初めて己の判断の誤りを、そして、戦況が己の想像を遥かに超えてしまったことを、静かに認めるしかなかった。

――ここまで読んでいただきありがとうございます!

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次回もお楽しみに!



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