23.大陸事変①
【グラドニア帝国東部国境線・鷲ノ巣砦】
その日、帝国の東部国境は、炎と魔法の光に包まれた。
「敵襲! 敵襲! 西の空より、アルテア連合王国の魔法騎士団が接近!」
「馬鹿な! なぜだ! 連合王国との間には、不可侵条約があるはず!」
砦の司令官が城壁の上で絶叫するのと、色とりどりの攻撃魔法が砦に着弾するのは、ほぼ同時だった。轟音と共に、堅牢なはずの城壁が紙細工のように砕け散る。
上空を舞う連合王国の騎士団長は、魔法で拡張された声で、高らかに宣言した。
「聞け、帝国の蛮族ども! 我らは、貴様らの非道なる行いに対し、正義の鉄槌を下す! 罪なきオークヘイブンの民を虐殺した罪、その身をもって償うがいい!」
「オークヘイブンだと!? なんだそれは!?」
司令官は必死に叫び返す。「我々は、そのような村は知らん! これは連合王国による、不当な侵略行為だ!」
「白々しい! 帝国の斥候が村を焼き払うのを、我らは確かに確認している! 言い逃れはさせん!」
両者の主張は、決して交わることのない平行線をたどる。
連合王国側は、辺境の村『オークヘイブン』が、帝国の侵略によって地図から消されたと確信していた。彼らが保護民として目をかけていた村であり、その報復は、彼らにとっての大義名分だった。
一方、帝国側にとっては、まさに青天の霹靂。オークヘイブン村など聞いたこともない。これは、連合王国が戦争を仕掛けるための、あまりにも悪辣な口実に違いなかった。
この報せは、瞬く間に帝都ヴァイスへと届く。
玉座の間で、皇帝ゲルハルトは、血が滲むほどに拳を握りしめていた。
「……連合王国のネズミどもめ。天空城の主に牽制された我らが、内政に集中しているこの機を狙って、濡れ衣を着せて攻め込むとは……! どこまでも卑劣な!」
もはや、対話の余地はない。
「全軍に通達! 全面戦争である! アルテア連合王国を、この地上から完全に消し去るまで、進軍を止めるな!」
皇帝の怒号が、大陸全土を覆う戦乱の狼煙となった。
【天空城アークノア 玉座の間】
その頃、地上で文明と文明がぶつかり合う、歴史的な大戦争が始まろうとしていることなど、俺は知る由もなかった。
俺は、玉座に座り、目の前に浮かぶ光のパネルに表示された成分表を、真剣な顔で睨みつけていた。
「……なあノア、このチョコレート、昨日よりもカカオポリフェノールの含有量が3%増えてるんだが」
《はい。管理人様の健康状態をスキャンした結果、軽度の運動不足とそれに伴う血行不良を検知しました。抗酸化作用を促進するため、成分を最適化しました》
「俺は医者にかかりたいんじゃない、甘いものを食べたいんだって、昨日も言ったよな!?」
俺は、もはや何度目になるかわからない文句を、つらつらと並べていた。
この城に来てからというもの、ノアの作る食事は、完璧に栄養バランスが取れている代わりに、俺の好みをことごとく無視してくる。特に、俺の心のオアシスであるはずの甘味は、日を追うごとに健康食品、いや、もはや良薬の域に達しつつあった。
「いいか? チョコレートってのはな、脳がとろけるような甘さと、ほんの少しの罪悪感でできてるんだ。苦くて健康に良いチョコなんて、もはやカカオ味の土だ!」
《『罪悪感』は、精神衛生上、不必要なストレス要因です。本城の食事は、ストレスフリーを保証します》
「その気遣いが、俺にとって最大のストレスなんだよ!」
俺とAIの、あまりにも平和で、あまりにも不毛なやり取り。
その様子を、少し離れた場所で、エラーラが呆れ果てた顔で眺めていた。
(……地上の人間は、今頃、血で血を洗う戦いの渦中にいるというのに。この男は、チョコレートの苦さで、世界の終わりよりも深刻な顔をしている……)
エラーラの心の声など知る由もなく、俺はついに最終手段に打って出る。
「だーっ! もういい! プリン作ってくれ! 卵と牛乳と砂糖だけでできてる、あの、子供が泣いて喜ぶような、甘いやつだ! 余計な栄養素は一切入れるなよ! 絶対だぞ!」
かくして、俺のささやかな操縦ミスが、大陸全土を巻き込む大戦争の引き金となったことを、世界でただ一人、管理人カインだけが、全く知らないままであった。
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