22.愚鈍な天才
【グラドニア帝国 帝都ヴァイス】
玉座の間に、重い沈黙が垂れ込めていた。
外務卿リヒャルト・フォン・アードラーは、額に脂汗を滲ませ、震える声で報告を終えた。その顔には、死線を越えてきた者だけが浮かべる憔悴と、未知なる力への純粋な恐怖が刻まれている。
皇帝ゲルハルトは、玉座に深く身を沈め、指を組んだまま微動だにしない。だが、その眉間に刻まれた深い皺が、彼の内心の嵐を物語っていた。
「……つまり、こうか」
やがて、ゲルハルトは低い声で呟いた。
「城の主は、赤子同然の無能。政治も軍事も知らぬ、ただの幸運なだけの道化。だが、その道化には、城そのものという、神にも等しい守護者がついている。道化に指一本でも触れようとすれば、我らはその神の怒りに触れる、と」
「は……はい。我が身に起きたことが、何よりの証左にございます。あれは、人の領域にある力ではございません。警告の一矢ですら、我が帝国の誇る宮廷魔術師団が束になっても防ぐことは能わぬでしょう……」
リヒャルトの言葉に、居並ぶ将軍や大臣たちがざわめく。
「馬鹿な! 城主が飾りなら、その飾りを排除すれば済むこと!」
「そうだ! 帝国最強の暗殺者を送り込めば……!」
「――黙れ、愚か者どもが」
ゲルハルトの静かな、しかし威厳に満ちた一言が、全ての雑音を黙らせた。
「貴様らには、まだ分からぬか。リヒャルトが言わんとしていることの本質を。あれは、城の主を守る『番犬』だ。そして、その番犬は、主の命令を待たず、独自の判断で動く。我らが暗殺者を送ればどうなる? 影に触れる前に、影ごと消し飛ばされるのが関の山よ」
皇帝は、玉座からゆっくりと立ち上がると、謁見の間を歩き始めた。その一歩一歩が、まるで大陸の行く末を占うかのように重い。
「ただの馬鹿ならば、御し易い。脅し、すかし、甘い蜜を与えれば、いくらでもこちらの意のままに利用できる。赤子の手をひねるよりも容易いことだ」
ゲルハルトは、巨大な窓の外に広がる帝都の景色を見下ろしながら、苦々しく続けた。
「だが、『絶対に手出しのできない神域に守られた馬鹿』は、話が別だ。これほど厄介な存在はない」
それは、大陸最強の帝国が、初めて直面する未知の脅威だった。
こちらから、手出しは一切できない。いかなる攻撃も、謀略も、城の主に届く前に、計り知れない力によって迎撃されるだろう。
しかし、向こうは違う。あの無能な城主が、気まぐれに、あるいは子供のおもちゃのように、あの城を動かすことができる。操縦ミスで、帝都に突っ込んでくるかもしれん。あるいは、我らを敵と見なし、あのワイバーン部隊を消し去った紫の閃光を、この帝都に放ってくるかもしれん。
「我らは、予測不能な天災の隣で暮らすことを強いられたのだ。しかも、その天災の引き金を、物事の道理も知らぬ赤子が握っている……」
外交は、通じない。武力も、通用しない。
ゲルハルトは、皇帝となって以来、初めて感じる完全な「手詰まり感」に、奥歯をギリ、と噛み締めた。
「……どうすれば、あの『聖域の道化』をコントロールできるのだ……」
覇王の苦悩は、あまりにも深く、そして暗かった。
【天空城アークノア 玉座の間】
その頃、大陸の覇王が国運をかけて頭を悩ませている元凶である俺は、玉座に寝そべりながら、巨大なホログラムモニターを眺めていた。
外交という名の超絶面倒なイベントから解放された俺は、すっかりリラックスモードだ。
モニターに映し出されているのは、例の村人たちが暮らす居住区画の様子。ノアに頼んで、監視カメラの映像をリアルタイムで映してもらっているのだ。
建国祭の熱狂も終わり、彼らの日常が始まったようだった。
だが、その日常は、俺の想像していたものとは、少し、いや、かなり違っていた。
広場の中央には、いつの間にか、俺の彫像がでかでかと建てられていた。しかも、実物の俺より三割増しくらいで美化されている。その彫像の前で、村人たちが老若男女問わず、熱心に祈りを捧げていた。
モニターの視点を、一人の子供にズームさせる。
子供が、走っていて石につまずき、派手に転んだ。膝から、少しだけ血が滲んでいる。
その瞬間、どこからともなく、小型の医療ドローンが「ピポッ」という電子音と共に飛来し、子供の膝に治癒光線を照射した。傷は、一瞬で跡形もなく消え去る。
それを見ていた子供の母親が、天を仰ぎ、両手を広げて、感極まったように泣き叫んだ。
「おお……! カイン様の御業……! 我らが子の小さな痛みすら、お見逃しにはならぬのですね! その慈悲、その御心……かみいいいぃぃぃぃぃ!」
母親の絶叫を皮切りに、周囲の村人たちも次々と連鎖反応を起こす。
「見てみろ、今日もノア様(いつの間にかAIまで様付けだ)の恵みの食事が……ありがたやぁ!」
「この暖かいシャワーも、全てはカイン様のおかげ……うおおおおお!」
「我らが王! 我らが神! カイン様、万歳ィィィィ!」
泣き叫ぶ者、ひれ伏す者、天に向かって感謝の祈りを捧げる者。
その光景は、もはや熱狂的な信仰を通り越して、一種の集団ヒステリーのようだった。平和な日常というよりは、カルト宗教の集会。感謝と涙が入り混じった、混沌の阿鼻叫喚がそこにはあった。
「……うわぁ……」
俺は、ドン引きしていた。完全に、引いていた。
「慣れるしかないぞ、管理人」
ふと、隣から声がした。いつの間にか、メンタルケアを終えたエラーラが、俺の隣に立っていた。すっかり正気は取り戻しているようだが、その瞳には、全てを諦めたかのような、虚無の色が浮かんでいる。
「この城も、あのAIも、そしてお前に心酔するあの者たちも、何もかもが、根本的に狂っているのだ」
「……ぐうの音も出ねえ」
エラーラの達観した言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。
地上の皇帝が、俺という存在に頭を抱え、国家レベルで対策を練っているなど、知る由もない。
俺は今、自分の熱狂的すぎる信者たちの扱いに、本気で頭を悩ませていた。
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