100.アホ共
天空城アークノアが、長距離宇宙航行モードへと移行してから、数日が過ぎた。
俺の生活環境は、一変した。
窓の外は、もはや美しい雲海ではない。ただの、無機質な金属の壁。太陽の光すら届かない、薄暗い部屋。俺の愛した散歩コース、エデンと温室は、分厚い装甲の向こう側。
俺は、巨大な、ハイテクな、そして、絶対に安全な『缶詰』の中に、閉じ込められたのだ。
「……暇だ」
玉座の間で、俺は、何度目になるかわからない、深いため息をついた。
唯一の楽しみは、食事の時間。だが、それすらも、今の俺にとっては、苦行と化していた。
「――っっっ!!!」
俺は、口に含んだチョコレートを、危うく吹き出しそうになった。
なんだ、この味は。
苦い。いつもの、あの健康志向の苦さではない。もっと、凝縮された、悪意すら感じるほどの、純粋な苦味の暴力。
「の、ノア……! これ、なんだよ……! いつもの、50倍は苦いぞ……!」
俺が、涙目で抗議すると、ノアは、淡々と、しかし、どこか誇らしげに答えた。
《はい。管理人様の宇宙航行における、未知のストレス環境を考慮し、精神安定効果、及び、免疫力向上作用を持つ、480種類の薬草エキスを追加で配合しました。名付けて、『深淵なる叡智』です》
「ただの毒薬じゃないか!」
俺は、その『叡智』の塊を、テーブルの隅へと押しやった。
もはや、おやつタイムすら、俺の心を癒してはくれない。
盤上遊戯『天空創世記』も、さすがにやりすぎて、エラーラが「もう貴様のポテト男爵は見飽きた」と、対戦を拒否するようになってしまった。
話し相手は、決まったメンバーだけ。
不機嫌なエラーラ、常に敬語で何を考えているかわからないエリス、そして、もはや俺の最大の敵となりつつある、過保護AIノア。
俺は、猛烈に、人恋しくなっていた。
「……そうだ」
俺は、一つの可能性に思い至った。
「居住区画は、どうなってるんだ?」
そういえば、宇宙航行モードに移行してから、一度も、彼らの様子を見ていなかった。
モニターに映し出された居住区画は、以前と変わらず、活気に満ち溢れていた。いや、以前よりも、さらに、異様な熱気に包まれている。
広場では、『星渡りの儀』と名付けられた祭りが、昼夜を問わず繰り広げられ、人々は、奇妙な歌と踊りに興じている。
工房では、神の技術を再現しようと、ドワーフたちが寝る間も惜しんで、槌を振るっている。
訓練場では、エラーラがいなくても、元騎士団長が、自警団に地獄の特訓を課していた。
「……なんか、俺がいなくても、すごい楽しそうだな……」
少しだけ、疎外感を感じる。
だが、彼らは、俺の国民だ。俺が、この城に連れてきた(不可抗力だが)人々だ。
彼らに会いに行く権利は、俺にあるはずだ。
「よし、決めた。居住区画に、遊びに行くぞ」
俺が、そう宣言すると、エラーラが、珍しく、反対しなかった。
「……ふん。たまには、貴様も、自分の『民』の顔でも見てくるがいい。自分が、どれだけ、とんでもないものを背負っているのか、その目で確かめてこい」
どうやら、俺の退屈しのぎに付き合わされるよりは、マシだと思っているらしい。
俺が、居住区画へと足を踏み入れた、その瞬間。
祭りの喧騒が、ぴたり、と止んだ。
全ての視線が、一斉に、俺へと注がれる。
広場を埋め尽くした、約8万人の、熱狂的な、崇拝の眼差し。
「…………」
俺は、その、あまりの圧に、一瞬、たじろいだ。
だが、次の瞬間、その沈黙は、爆発的な歓声によって、打ち破られた。
「おおおおおおおおおおおおお!」
「陛下だ!」「我らが神、カイン様が、我らの元へ、降臨なされたぞ!」
「かみいいいぃぃぃぃぃ!」
地鳴りのような歓声。
俺は、もみくちゃにされ、担ぎ上げられ、あっという間に、祭りの中心、俺の巨大な彫像の前に、祭り上げられてしまった。
「陛下! どうか、我らに、新たなる福音を!」
「我らの進むべき道を、お示しください!」
村長や、元貴族たちが、俺の足元で、涙ながらに訴えかけてくる。
(いや、俺、ただ、遊びに来ただけなんだけど……)
俺の、そんな心の声が、彼らに届くはずもなかった。
俺は、気づいてしまった。
この城の中で、唯一、俺が、のんびりと、平和に、スローライフを送れる場所。
それは、もはや、あの、静かすぎる玉座の間だけなのかもしれない、と。
熱狂的な国民たちに囲まれながら、俺は、心の底から、思った。
「……なんか、もっと、普通の友達が欲しい……」
缶詰の中の神様の、あまりにも切実で、あまりにも俗っぽい願いは、誰の耳に届くこともなく、熱狂の渦の中に、虚しく消えていった。
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100話になりました!やったね!!!!!!
次回もお楽しみに!