ピンク髪令嬢は春色に笑う
「……承知致しました。どうぞお幸せに」
理不尽な婚約破棄を告げられた令嬢は、涙を流すこともなく、優雅なカーテシーを披露する。
しんと静まり返る会場。白粉を塗りたくった顔を凛と上げ、一歩を踏み出そうとしたその時────
カツン、カツン
緊張気味な足音と共に、白い礼服姿の、ややぽちゃっとした第二王子が登場した。
婚約破棄宣言をしたおバカ王子(王太子)と、その腕にしなだれかかるピンクブロンドのおバカ令嬢を指差し、たどたどしい口調で糾弾する。そして……
「ジョアンナ嬢。気高く美しい貴女のことを、以前からずっとお慕いしていました。どうか私の妃になっていただけませんでしょうか」
「はい、喜んで」
白ぽちゃ王子の愛の告白に、白粉令嬢は目を輝かせながら手を取る。
……毎回思うけど単純だなあ。
いくら元婚約者がおバカだとしても、ここまであっさり次の物件に乗り換えちゃうと共感出来ないんだってば。まあ、時代劇にとやかく言っても仕方ないけどね。
おっと、こんなことを考えている場合じゃない。
ピンクブロンドの出番だわ。
瞳にうるっと涙を溜め、ピンクのつむじから甲高いおバカ声を出す。
「私は何もしてません~! 王太子殿下に脅されて無理矢理……本当はソイ殿下のことをお慕いしておりましたのにぃ」
王太子の腕を振り払い、しなをつくりながら第二王子の元へ近寄るピンクブロンド。その途中でドレスの裾を踏み、わざと不格好に転んでみせる。脱げたピンクブロンドのピンクのパンプスは、仕込みにより、見事な放物線を描いておバカ王太子の額へ。
すると会場には笑いの渦が巻き起こり、白い二人……新郎新婦を祝福する声に包まれた。
ふう、今日もいい仕事をしたわ。
◇
「お疲れさま、イリス。今日も貴女達のお蔭で、良いお式になったわ。怪我してない?」
「はい、どこも。何百回もやれば、もうずっこけのプロですからね」
ピンクブロンドの私をいつも労ってくれるのは、憧れの上司リタ・シャノン次長。
顧客だけでなく、社員に対してもきめ細かなサポートをしてくれる彼女のお蔭で、肉体的にも精神的にもなかなかハードなこの仕事を、もう五年も続けることが出来ているのだ。
『ハローキューピッドアロー』
男女の恋愛から結婚までをサポートするこの会社。
五年前、新しく立ち上げたばかりの挙式課で、何か目玉になるサービスを……と考えられたのが、あの婚約破棄宣言からざまあまでの寸劇だ。その専属役者……おバカ令嬢役として、元劇団員の私は満場一致で採用された。
決め手はこのふわふわのピンクブロンド。
天然のものは非常に珍しく、ウィッグを検討していたところに私が登場したものだから、面接官達は沸いたらしい。
髪だけでなく、私は容姿もおバカ令嬢そのものだ。庇護欲をそそる華奢な体型に白い肌、大きすぎる青い瞳に長い睫毛、濃いピンク色のぷるんとした唇。
……そう、幼い頃からずっとコンプレックスだった。
『やーい、ピンク髪~!』
『おバカ令嬢~!』
『ざ・ま・あ♪ ざ・ま・あ♪』
何度そんな風にからかわれただろうか。
確かに曾祖母の時代では、公衆の面前での婚約破棄が主流だったらしいけど。おバカ王子やおバカ令嬢、ましてやおバカ令嬢=ピンク髪というのは、時代小説が植え付けた勝手なイメージにすぎないのに。
勉強は嫌いだったから、おバカはまだ許せても、性格悪いだの男たらしだのと言われるのは嫌だった。
観劇が好きだった私は、成人すると役者を目指して劇団に入った。だけど現実は厳しく……ピンク髪のイメージが悪すぎる為に、ウィッグを被らないと端役ですらもらえなかった。
自立した強い女性が人気の昨今。高身長の知的な美女をヒロインにした脚本が多く、それに相応しい女優が選ばれる。たまに少女がヒロインの舞台があっても、不自然なウィッグを被った女優より、天然の黒髪や茶髪の女優が好まれる。
必死にレッスンを受けて、どんなに演技を磨いても。入団したばかりの新人が、見た目だけで良い役を射止めることもある。そんな現実に、次第に心が折れていった。
何気なく見た街中のショーウィンドウ。そこに映る自分の姿と向き合った時、途端に全てが虚しくなった。
何故何の罪もないピンクブロンドを、小さく束ね地味な帽子に押し込めているのか。何故似合わぬ肩パット入りの服を着て、何故痛みに耐えながらハイヒールを履いているのか。
自分を否定する自分。このままでいいのだろうかと。
そんな時にたまたま出会ったのが、『ハローキューピッドアロー』の専属役者募集の広告だった。
ここなら自分を活かせるかもしれない……
そんな思いから、三年間勤めた劇団を辞める決断をしたのだ。
「お疲れ」
歌うようなイケボでカップを差し出してくれるのは、おバカ王子役のエディ。柔らかな金髪に細マッチョな高身長、やや気難しそうな美貌という長所で採用された同期だ。彼は家庭の事情で劇団を辞め、給料の良いこの会社に就職したのだという。
「ありがとう。おでこは大丈夫?」
「ああ。“ 受け ” のプロだからね」
ふふっと笑い合いながら、温かなカップに口を付ける。疲れた身体に沁み渡る、甘いカフェオレ。ほうっと息を吐く私に、エディは明るく言った。
「明日から来る王子役、すごく珍しい髪色らしいよ」
「へえ、何色かしら」
「紫とか……ピンク?」
「やだあ! 私が霞んじゃう!」
「もしピンクなら、男同士でおバカカップルもアリだな。ゲストにウケそうだ」
「やだやだあ! そんなの面白すぎて、絶対勝てないぃ! おバカ令嬢役人気ランキング一位の座を奪われちゃう!」
エディはハハッと笑いながら、派手なリボンで盛った私のピンクブロンドをつまむ。
「ま、俺だって、どうせしなだれかかられるなら、男よりイリスの方がいいよ」
「んも~そんなこと言って! 若い女の子が入って来る度に、可愛い可愛いって騒いでるくせに」
「それはっ……! はあ、やっぱりピンク髪はおバカだな」
「何ですって? おバカ王子のくせに」
おバカ令嬢らしく頬をぷうっと膨らませ、綺麗な額をデコピンすれば、おバカ王子は「のわあっ!」と大げさに椅子から転げ落ちてみせる。
こんなやり取りも、苦労を共にしてきた同期の仲の良さあってこそだ。
「……いといいな」
「ん?」
「いや、何でもない」
額をポリポリと搔くエディの呟きは、この時の私には全く聞き取れなかった。
◇◇◇
「ヴェルデ・ロッセと申します。お客様の心に残る挙式となるよう、精一杯演じさせていただきます。よろしくお願い致します」
翌日やって来た新人は、高身長に細マッチョという王子の条件に加え、噂通り珍しい髪色のイケメンだった。生え際は濡れた土を思わせる焦茶色なのに、毛先に向かうにつれ鮮やかな緑に変わっていく。瞳も同じ。一見焦茶色なのに、よく見ると緑のクローバーが咲いている。
綺麗……まるで春の野原みたい。
不躾に眺めていたせいか、パチリと目が合ってしまうも、彼は嫌な顔をするどころか、にこりと笑ってくれた。
研修を兼ねた模擬挙式でおバカ王子を演じるヴェルデは、瞬く間に人気者になっていった。
見た目の珍しさもあったが、新人とは思えぬ程高いスキルで、下見客を惹き付けていたからだ。体を張るもの、コント風、高度な演技力を必要とするもの。どんなざまあプランも、難なくこなしていく。
彼の緑と私のピンク。華やかなおバカペアは、数ヶ月後の春の挙式にピッタリだと、予約がどんどん増えている。
あっという間にエディを追い抜いて、今月のおバカ王子役指名ランキング第一位に輝いてしまった。
ヴェルデが入社してから二ヶ月後、春の挙式フェアのピークを乗り切った挙式課は、彼の為に遅い歓迎会を開いた。
シャノン次長が予約してくれた、隠れ家風のレストラン。乾杯を終えしばらく経つと、私は隅っこでぐびぐびグラスを傾けるエディの隣へと移動した。
ぼやっとした彼の視線は、離れた席で女性社員に囲まれているヴェルデへ向けられている。
「王子、飲んでる?」
「……うん。あ、グラスワインのロゼを二つお願いしま~す」
通り掛かった店員にそう言うと、まだ半分以上残っているグラスを一気に空にする。
何杯目だろう。あんまり強くないのに。
つるつる真っ白の王子フェイスは、茹でダコみたいに真っ赤っ赤だ。
……やっぱり、成績のことで落ち込んでるのかな。
「ほら、一緒に飲もうぜ」
届いたグラスを私の手に押し込むと、もう一つのグラスをまたもやハイペースで流し込んでいる。危うげなその姿に劇団員時代の自分が重なり、堪らず慰めの言葉を掛けた。
「大丈夫よ。貴方のおバカっぷりに敵う王子はいないわ。顧客満足度ランキングでは、変わらず一位じゃないの」
「……そんなん、春になったらすぐに逆転されるよ。緑とピンク、バカみたいにお似合いだ」
「春が終われば落ち着くわよ」
「どうだか。新緑に若葉に青葉。夏もしつこいぐらい緑だろ? お前だってアイツに見惚れてたくせに」
「ええ。だって綺麗じゃない」
野原色の瞳がこちらの視線に気付き、にこやかに手を振ってくれる。
ほんと、愛想も良くて可愛い子なのよね。
にこにこと手を振り返していると、隣から微かな舌打ちが……あらら、これは相当ね。
「はい、お水。ちょっと休憩したら?」
「……いらない」
ぷんとそっぽを向きながら、ワインを呷り続けるエディ。こりゃダメだと諦め、私も一緒に付き合うことにした。
「エディはほんとにロゼワインが好きね」
「……うん、好きだよ。赤と白のいいとこどりで。優しいのに強くて、強いのに甘くて……性格も、色も、イリスによく似ている」
アルコールで潤んだ彼の瞳。とろんとしているのに、その中心は私をしっかりと捉えている。長い指をすっと伸ばされ、ピンク髪をくるくると弄ばれれば、何の前兆もなく心臓が跳ね、頬が熱くなってしまう。
動悸にほてり。この間実家で母がぼやいていた症状と同じだわ。……まさか、もう更年期? まだ25歳なのに!
ドクドクドクドク
細マッチョな肩を叩いてあげることも、背中を撫でてあげることも出来ずに。
私は謎の症状をやり過ごしていた。
◇◇◇
歓迎会の数日後、事件は起きてしまった。
その日の挙式は、断罪が見所の本格的な時代劇という演出。何でも新郎のお祖母様が、大の時代劇好きとかで。
新郎(孫)がカッコよく断罪を言い渡し、おバカ王子と令嬢が怯むシーンを楽しみにされているとあれば、こちらも気合いが入る。高い演技力を必要とする為、王子役のエディと入念に打ち合わせを行った。
入社五年目のベテラン同士、いつも通りにやれば何も問題はないはずだった……が。
「国を導き民の手本となるべき王族が、愚かな愛人に騙され、長年寄り添った婚約者に無実の罪を着せた罪は重い! よって、この場を以て、私は王太子の廃位と王位継承権の剥奪、ならびに男爵令嬢の修道院送りを要求する!」
第二王子の立派な演技に沸く会場。
チラリと親族席を見れば、新郎のお祖母様らしき人が目元をハンカチで拭っている。
よしよし、いい感じ。後は私達にお任せください。
私は大きすぎる青目から、大粒の涙をボロッと流し、悲痛な声を振り絞る。
「そんなっ……誤解です! 私は王太子殿下に無理矢理関係を迫られただけで……身体も丈夫でないのに、修道院送りなんてあんまりです!」
するとおバカ王太子が、最高に嫌な顔でおバカ男爵令嬢を睨みながら、次の言葉を吐き捨てる。
「はっ! 男爵令嬢ごときが……地位欲しさにすり寄ってきたのはお前の方だろう。教養もない、容姿だけが取り柄の下品なお前など誰が…………だれっ……が……」
『誰が愛するというんだ』でしょ?
どうしちゃったのよエディ。まさか、台詞を忘れちゃったの?
呆然と立ち尽くす王太子に、ゲスト達はざわつき始める。なんとか取り繕わないとと口を開きかけた時、思わぬ言葉が飛び込んできた。
「……好きだ」
へ?
「おバカで、ピンクで、綿菓子みたいに可愛いくせに。芯は男前で、つよつよで、でも優しいお前なんか……。好きだ、大好きだ。緑男よりも誰よりも、俺がいっっっちばん大好きなんだ!!」
ちょっ、何変なアドリブかましてるのよ!!
目で突っ込もうとしてギョッとする。だって、私を真っ直ぐに見つめる瞳は、おバカ王子ではなく素の繊細なエディのものだったから。
これ……もしかしてもしかしたら台詞じゃなくて……
ざわめきを通り越して、微妙な空気に包まれる会場。
ここがどこだか、今自分が何をしているのかを思い出した私は、咄嗟に頭を役者モードに切り替える。おバカ令嬢を憑依させると、か弱そうな腕を振り上げ、エディの頬を思いきり平手打ちした。
『受け』の体勢も何も取っていない彼は、突然の衝撃によろめき、赤い絨毯の上に派手な尻もちを付いた。
「はん! 地位も信用も失くしたあんたなんか、愛せる訳ないでしょう! ああ、王位継承権剥奪だけじゃ生ぬるいわ。私が修道院送りなら、あんたも鉱山送りよ!」
頬を押さえ、ぽかんとこちらを見上げるエディに、私は必死に圧と念を送る。
演じろ……演じるんだエディ! 頼む!
無事に受け取ってくれたのか、役者オーラが戻ったエディに、おバカ王子が憑依する。
大きな身体を子供みたいに縮こまらせ、ぷるぷると震えながら口を開いた。
「僕……ボク、生まれてから一度も叩かれたことなんてないのに……。うわあぁん! 怖いよう! お母様ぁ!」
迫真のおバカ演技に、先ほどまでの微妙な空気は一転、どっと笑いが沸き起こる。この機を逃すまいと、私は更なる燃料を投下する。
「うるさいっ! 鉱山でお尻ペンペンしてもらえ!」
尻を威嚇するおバカ令嬢と、怯えるおバカ王子に、更に盛り上がる会場。
新郎新婦もお祖母様も、腹を抱えながら笑ってくれている。
ふう、何とかなった……のか?
◇
「ごめん」と謝り続けながら、項垂れるエディ。
腫れた頬を氷嚢で冷やしてあげながら、私も叩いた詫びと慰めの言葉を繰り返している。
「大丈夫よ。新郎新婦も、お祖母様も喜んでくださったんだから。楽しかった、心に残る式になったってお礼を言われたでしょう?」
「うん、だけど……イリスのフォローがなかったら、式を台無しにしていたところだった」
「終わりよければ全てよしよ。体張り、コント、本格時代劇。全部盛り込んだ演出なんて、お得よねえ。あははっ」
明るく慰めてみるも、何も返ってこない。
頬も心もなかなか回復しないエディに寄り添っていると、控え室のドアが開きマックレン部長が顔を覗かせた。
細マッチョ高身長のイケオジ。もう少し若ければ、きっと王子役にスカウトされていただろう彼は、有能かつ厳しい指導で恐れられている上司だ。
「エディ、ちょっと来い」
「…………はい」
深刻な顔で手招きされ、エディは力なく立ち上がる。まるで国外追放される王子みたいに、とぼとぼと部屋を出て行った。
どうか、あんまり怒られませんように。
『緑男よりも誰よりも、俺がいっっっちばん大好きなんだ!!』
一人になった途端、さっきの言葉がぐるぐると回り出す。
もしあれが台詞でなかったのなら……愛の告白?
まっさかあ! だってエディは若い女の子が好きだし、今までそんな素振りなんて一度も……と笑おうとしたが、先日の歓迎会での妙な雰囲気を思い出す。
まさかともしかしての狭間で混乱している間に、エディはさっさと戻って来てしまった。さぞかし落ち込んでいるかと思いきや、その表情は、何故か出て行った時よりもスッキリしている。
軽やかな動きで薬缶を火に掛けると、くるりとこちらを向く。
「イリス、明日の休み、何か用事ある?」
「ううん、何もないけど」
「だったら、少し付き合ってくれないか? 一緒に行きたい所があるんだ」
元気になってくれるなら……と、行き先も目的も訊かず頷いてしまう。
エディはホッとしたように笑うと、カップを二つ用意し、慣れた手つきでいつものカフェオレを入れてくれた。
◇◇◇
翌日、私はショーウィンドウに映る自分をチラチラと見ながら、エディとの待ち合わせ場所へ向かう。
……うん、なかなかいいじゃない。
あれこれと悩んだ末に決めたのは、ふわっと膨らんだ空色のワンピースと、ショート丈の白いボアコート。ピンク髪はサイドを垂らした緩めのポニーテールにし、空色のレース飾りとパールの付いたバレッタで留めている。
こういう甘めの服が似合ってしまう自分が、昔は嫌で堪らなかったけれど。最近では個性だと認め、好みを取り入れつつ、素直に良さを出せるようになった。
劇団員時代にいい役をもらえなかったのは、見た目のせいだけじゃない。自分を否定していたせいで、輝いていなかったからなのかも。
今ではそんな風に思う。
歩きやすいローヒールのブーツですいすいと歩き、約束よりも大分早く到着した広場の噴水前。そこには既に、青いコートの爽やかな王子が立っていた。
白い頬にはまだ手形が残っているにもかかわらず、通りすがる女性達は彼に熱い視線を送ったり、「あの人カッコいい!」と囁き合っている。それを見て、なんとなく面白くない気持ちになった。
ふんだ、私はピンク髪のせいでオンでもオフでもおバカに見えるけど、エディは演技しなければただのイケメンだもんね。そりゃモテるでしょうよ。
ふて腐れる私に気付き、「イリス!」と嬉しそうに手を振る彼。陽にキラキラ光る空色の瞳を見た瞬間、またあの謎の症状に襲われ、胸をうっと押さえた。
ダメだ……やっぱり今度、病院で診てもらおう。
こうしてエディと二人きりで外出するのは初めて。そう思うとそわそわして落ち着かない。
そんな私の肩をスマートに抱き寄せ、馬車や人から守ってくれたり、少しの段差でも手を差し伸べてくれる。改めて見る彼は、おバカなモブ王子なんかじゃなく、ヒーロー級の王子様だった。
恋人はいないってずっと言い続けているけど……よっぽど理想が高いのね。
うんうんと勝手に納得していると、エディはある建物の前でピタリと足を止めた。どうやら目的地に着いたらしい。
屋根に風見鶏が乗った可愛らしい建物の中からは、子供達の元気な声が聞こえてくる。
「ここって……託児所?」
「うん」
貴族制度の崩壊と共に、女性の社会進出が一気に進んだここ十数年。結婚してからも働く女性達の為に、幼い子供を預かる託児所があちこちに建てられるようになった。
恋愛も結婚も、もちろん出産など当分ないと思っていた自分が訪れることになるとは……何の用かは分からないけど。
はっ、まさかエディ、隠し子がいるとか!?
じとっと見上げ説明を待つが、「お楽しみ」と言われてしまう。
何も訊けないまま中へ入れば、廊下に出ていた子供達が笑顔で駆け寄って来た。
「あっ! 王子様だ!」
「お話の王子様、いらっしゃい!」
「今日は何のお話?」
わらわらと集まる子供達を器用に受け止めながら、エディは優しく語り掛ける。
「今日はターニャ姫が、空でお菓子パーティーをするお話だよ」
「わあっ、面白そう!」
ようやく落ち着いてきた子供達が、私の存在に気付き「あっ!」と声を上げる。
子供は正直だから、きっとおバカ令嬢とか、ざまあ令嬢とか言われるんだろうな。よし、ここは大人の対応をしなきゃと身構える。だけど私に浴びせられたのは、意外な歓迎だった。
「ターニャ姫だ!」
「ターニャちゃん可愛い~!」
「すごい! ほんとにピンクだ!」
一番小さな女の子なんか、私のスカートに抱きつき、可愛いほっぺをすりすりと寄せてくる。
……一体どうなっているの?
戸惑う私を見て、エディはにいっと悪戯っぽく笑った。
「────ターニャ姫は虹を細く伸ばすと、小さく切って子供達に配りました。こねたり丸めたり。みんなそれぞれ、好きな形を創っています。そのうち空には、甘い香りが漂い始めました」
エディの読み聞かせに、夢中で耳を傾ける子供達。
その真剣な眼差しに、私の胸はほっこりとする。
『休日は託児所や孤児院を回って、読み聞かせをするボランティアをしているんだよ』
あの後エディは、そう教えてくれた。
それだけではない。なんと本業の傍ら舞台の脚本や童話を書いていて、今読んでいる本『ターニャ姫シリーズ』も、彼が書いたものなのだと。
魔法が使える、ピンク髪に青目の元気なお姫様が主人公のこの童話は、男女問わず子供達に大人気だという。
『この子達が大人になった頃には、ピンク髪への偏見なんてなくなっているんじゃないかな』と、笑顔で話してくれた。
子供と一緒におやつを食べ、沢山遊んで託児所を出た頃には、もう日は沈みかけていた。
沢山触られたせいで、綺麗に結わいたポニーテールはぐちゃぐちゃになってしまったけれど。温かくて、幸せな気持ちだった。
この余韻を消したくなくて……
寂しい黄昏に手を伸ばせば、エディはしっかりと繋いでくれた。馬車や人や段差が危ないからとかじゃなく、ただ繋いでくれているのだと思う。
歩き出す二人。石畳に揺れるでこぼこの影を見ながら、私は呟く。
「……ありがとう、素敵なお話を書いてくれて。今日は人生で一番、自分のことが好きになれた一日だったわ」
「好きなものを好きに書いただけだよ。イリスのピンクブロンドは、俺にとっては世界で一番綺麗な色だから」
エディはそう言うと、足を止め、手を繋いだまま私に向き合った。
「イリス、君を愛している。緑の新人に君を奪われそうになって……焦って、悩んで、おかしくなって、仕事中にバカな告白をしてしまうほど、君を愛しているんだ」
今度こそ確かな愛の告白に、私はふふっと笑う。
「私も、多分貴方を愛しているんだわ。こんなに熱いのも、ドキドキするのも、更年期なんかじゃなくて、貴方を愛しているからなんだと思うわ」
思いの丈を素直に口にしたというのに、何故かエディは呆れた顔をする。そして不満げにこう言った。
「そこはさ、“ 多分 ” とか “ 思う ” とかじゃなくて、断定してくれないかな。はあ、なんか萎えた」
「だって……だってよく分からないんだから仕方ないじゃない! ピンク髪のせいで全っ然モテなくて、25になっても恋愛経験ゼロなんだから!」
「どうだか。おバカだから気付かなかっただけなんじゃないか? 緑男だって……まあいいや」
「よくない! あんただって若い女の子が大好きなおバカのくせに!」
「別に好きな訳じゃない! お前を妬かせたかっただけだ!」
「もうとっくに妬いてるわよ! さっきだって女の人達が…………もういい」
振りほどこうとした手を、逆にギュッと握られ……そのまま広い胸に引き寄せられてしまった。
ドクドクドクドク
激しい動悸の中、読み聞かせの時とは全然違う、妖しいイケボが降ってくる。
「……この後どうする?」
「お腹が空いたわ。ご飯食べたい」
「ふっ、色気ないな。じゃあレストランに行って……その後は?」
「その後は…………」
夕闇に消えようとしている二つの影。黒い石畳に溶ける寸前で、ピタリと重なり一つになった。
◇◇◇
それからたった三ヶ月後、おバカ王子とおバカ令嬢は、慣れ親しんだ勤め先で結婚式を挙げることになった。春のフェアはとっくに終了していたが、キャンセルが出た枠に、社員特権と社員割りで急遽滑り込んだのだ。
自分達以上のおバカカップルなどいないのだから、ざまあな演出はしない。代わりにおバカ王子は、おバカ令嬢へ向けて、自作の詩を朗読した。
君の色は 君だけのもの
桃色でも桜色でも、ピンクでもない
君だけが知る 君だけの色
だけど
僕の空だけに映る 君の色もある
可憐で 強くて 優しい
春のどんな花より綺麗な色
世界中で一番 眩しい色
◇
幸せそうに笑う新婦に向けられているのは、恋に破れた野原色の双眸。
はあとため息を吐くヴェルデの肩を、誰かがポンと叩く。振り向くとそこには、ハンカチを手においおいと泣く、部長のマックレンが立っていた。
「すまん……部下には平等にと思っているのに……今回だけはエディに加勢させてもらった」
「……どうしてですか?」
「昔、俺も社内恋愛で破れた経験があるからだ。もたもたしている内に、ぽっと出の狼男に、ずっと好きだった部下を拐われてな。鈍感な女にはストレートすぎるほどストレートに伝えないと、後悔する羽目になるぞと、発破を掛けてやったんだ」
「狼男……! 部長が好きだったのって、もしかしてリタ・シャノンじちょ」
マックレンはヴェルデの口を手で塞ぎ、ギロリと睨む。
「詳細は酒を飲みながら聞かせてやる。……俺の奢りでな」
「……はいっ!」
ベストカップルの裏で、今回も一つの恋が幕を閉じようとしていた。
ありがとうございました。
リタとマックレン、狼男の三角関係はこちらへ。
『『婚約破棄代行係』の令嬢は、結婚なんてしたくない』
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