5・新しい日常
間が空いてしまいました。
お待ちくださっていた方は、本当にありがとうございます。
「1、2、3、1、2、3、…………はい、お止めください!」
ダンスの講師である夫人の声に合わせて、エステラは動きを止める。もう、何度同じ部分を繰り返し踊っているのだろう。肩で息をし、ドレスの中で痛む足をそっと緩める。
「……エステラ様。ご記憶を失くされているとはいえ、このままでは、社交界入りは厳しゅうございます! もう少し、見栄え良くは踊れませんか?」
講師の叱責にぐっと言葉を詰まらせる。これではまるで、〝眠り姫〟ではなく〝人魚姫〟のようだ。声を失くし、足の痛みに悲鳴さえあげられない。
エステラは、素直に頭を下げる。
「……申し訳ありませ」
「そのすぐに謝る癖も早々に直されませ! 見苦しい! では、もう一度頭から。お相手をお願いできますか?」
言葉を被せられ、心の内にモヤモヤとしたものが広がる。レッスンの相手にと連れて来られた男性は、もはや苦笑いをしていた。エステラは、彼らの溜息を聞くだけでいたたまれない気持ちになる。
時は、約半月前に遡る……――。
◇◇◇
「従属……⁉ 何がどうなっておるのだ!」
ヴィオラスの言葉を受けて、父ラグナルは椅子の肘掛にドンっと拳を打ち付けた。大きな音と声に、エステラはビクッと肩を揺らす。おとぎ話にはありがちな展開だ。エステラの知っている『眠り姫』も――王女様は王子様と結婚して末永く幸せに暮らしました――と、締めくくられていた。けれど、現実となると実感は異なる。ヴィオラスは、神妙な面持ちのまま続けた。
「集めた情報によりますと、我らが眠りについた後、アルカディアは和平条約を意にも介さず攻め込んできたようです。眠る我らを生かす為、国を守る妖精達の力が弱まった瞬間を好機と捉えたのでしょう」
「……弟は! 我が跡目を継いだ弟はどうなった⁉」
「……帝国の、若き騎士に討ち取られ……王家の血筋で生き残ったのは、当時わずか九歳の王弟殿下のご子息のみだったようです……現セレスティア王国は、王弟殿下の血脈の者が王の務めを果たしているようです」
ヴィオラスは痛ましく顔を歪め、掠れた声で告げた。ラグナルは体を震わせ、低く唸る。
「ああ、何と言うことだ……。最悪のシナリオとなってしまったか。しかし、我らが目覚めた今、奴らの好きにはさせぬ! 直ちに兵を……」
「……何をおっしゃるのです! 百年の時が経っているのですよ⁉ この時代のこともわからずして、誰とどのように戦おうと言うのですか!」
母リュセルダが、声を上げてラグナルを制する。憤りから頬は赤く染まり、瞳に涙が浮かんでいた。物語だと思っていた世界が、現実の色を帯びる。エステラは、その緊迫感にただ震えることしかできない。場を纏めるように、ヴィオラスが片眼鏡を指で押し上げながら告げる。
「……僭越ながら、私も王妃様と同じ意見です。まずは情報の収集と、相手の出方を見ることにいたしましょう。その為には……」
菖蒲色の瞳が、エステラを向く。エステラは、戦々恐々としながらその視線を受け止めた。
「婚姻を望まれている現状は、都合が良いとも言えます。王女様にはご負担をお掛けしてしまいますが……交渉のカードになって頂きたく存じます」
◇◇◇
その後、日を開けずに帝国使節団と現王家の役人達が押し入るようにやってきた。彼らは、あくまでも旧王家、ひいてはエステラ自身の為にも復活を祝い、現代社交界へ参入する披露目の場が必要だと主張しエステラの帝国への移動を求めた。
しかし、真に披露目の場とするならこの旧セレスティア王城で宴を催すのが筋だとラグナルは跳ねつけ、エステラ自身が一切の記憶を失ってしまったことも理由にそれを先送りにした。
ただ、目覚めたばかりのセレスティア王城には物資の調達が必要なことも事実。しばらくは、現王家と旧王家との間で諸々のことをすり合わせていく方向で現在も話し合いが続けられている。
それから二週間。本物のエステラが蘇るということもなく、エステラの中身は変わらず美冬のままだった。〝記憶喪失〟を補填する為、急ピッチで最低限の知識とマナーを学んでいる。当初、講師はヴィオラスが務めてくれていたが、事情を把握した現王家が数名の貴族を派遣してきた。今後エステラの後ろ盾となってくれる者達ということだが――彼らの中でエステラと帝国第二皇子との婚姻は決定事項のようで、次期皇子妃として送り出す以上セレスティア王国の恥とならぬよう、その授業内容はとても厳しいものだった。
「……失礼致します。お時間にございます」
迎えに来たリュネットの言葉で、ダンスの授業は一旦終いとなる。
エステラは、習いたてのカーテシーで講師を見送り、ダンスホールを後にした。
道すがら、リュネットに尋ねる。
「確か次は……」
「はい。エステラ様のお部屋にてドレスの採寸と、合わせてアクセサリーや靴の行商人が参ります。百年前のものは、もうお召しいただくことはできませんので……」
「そう……」
百年の時を経て、流行は大きく変わったらしい。エステラに至っては体のサイズも変わってしまっていた為、保護魔法で保管されていた母リュセルダの若かりし頃の服を着まわしている。
回廊を抜けて、本城の二階の吹き抜けに辿り着けば、城内の様子がよくわかる。
道行く人々がすれ違い、あちらこちらで意見をぶつけ合う声が聞こえてくる。一方は、百年の眠りを共に越え、古き良きセレスティア王城の伝統を守ろうとする者達。もう一方は、帝国の従属国として柔軟にその姿勢を変え、現代を生き抜く者達。官吏官、使用人、料理人、各種商人――今、王城内は新旧入り乱れる大賑わいだ。
その様子を眺めながら尋ねる。
「……今日は、お父様とお母様は、どうされているの?」
身分が下の者に敬語を使ってはならないという教えに従い、この言葉遣いにもようやく慣れて来た。リュネットは、柔らかい微笑みを浮かべて答えてくれる。
「はい。本日も現王家の方々と打ち合わせだと伺っております。ただ、本日は夕刻には終わる予定と言うことで、エステラ様さえ宜しければ夕餉をご一緒にと承っております」
「えっ……本当⁉」
その言葉だけで、沈んでいた気持ちが浮上する。
両親は、朝に晩にと僅かな時間を見つけては声を掛けに来てくれるけれど、食事を共に出来るほどの時間ははじめの数日以来取ることが出来ていなかったからだ。
彼らは、いつでも惜しみない愛情を向けてくれる。頑張っていることには謝辞を。困っていること、辛いことはないかと尋ね、優しく目を細めて頭を撫でてくれた。自分達も疲れているだろうにそんな様子は微塵も見せず、必ず温かい笑顔とユーモアで包んでくれる。
(中身はもうすっかり大人なのに……お二人を前にすると、子どもの頃に戻ったみたいに安心できる。きっと、今日の打ち合わせだって、私やみんなの為に頑張ってくださっているのよね)
以前の生では、母は自分が守るべき人で、その他の家族には冷たい目を向けられていた。その為か、守られているという安心感と共に、自分もまた彼らの力になりたいと、自然とそう思うようになっていた。エステラは、スカートの裾を摘まみ、急いで身を翻す。
「なら、ちゃっちゃと予定をこなしてしまわないと……――っ!」
突き刺すような痛みを感じ、思わず眉を顰める。
足元がふら付き手摺に手をつけば、リュネットが心配そうに駆け寄った。
「エステラ様……!」
「なんでもないの! ごめんなさい。ふふ。少し頑張って踊りすぎたみたい」
ダメねと微笑み、何事もなかったかのように真っ直ぐに立つ。
それでもリュネットは心配そうに眉を顰める。
「歩けますか? 誰か人を……」
「本当に大丈夫よ。それより、たくさん動いたから少し喉が渇いちゃった。お部屋に戻っているから、先に何か飲み物を持って来てもらっても良い?」
「それは、もちろんです。ですが、お一人では……」
「ふふ、心配症ね。すぐそこよ? ゆっくり戻っているわ」
念を押すように「ね?」と微笑めば、リュネットは「かしこまりました」と頷く。案ずるように何度も振り返りながら、それでも素早くその場を離れた。その背中が見えなくなった頃、エステラはひっそりと柱の陰に隠れてスカートの裾を持ち上げる。靴から足を離せば、痛みの元凶が目に入ってくる。
「……っ」
見た目の痛々しさに、顔を顰める。――酷使した足は、靴擦れでつま先まで血が滲んでしまっていた。
貴重なお時間頂戴し、誠にありがとうございます。
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素敵な一日になりますように。