2・目覚めた眠り姫
貴重なお時間の中で、お読み頂き本当にありがとうございます。
〝エステラ〟が茫然と座り込んでいると、バタバタと足音が聞こえてくる。扉が勢いよく開かれ、先程のお仕着せの女性と共に、上質な藍色のガウンに身を包む壮年の男性と女性が、飛び込むように部屋に入ってきた。彼らは、エステラの姿を見るや駆け寄って、両手を広げてその体を目一杯抱きしめる。
「……む、んっ……!」
頭を抱えられ、エステラの口からくぐもった音が漏れる。与えられた温もりに戸惑い、頬を赤らめ硬直していると頭上から涙交じりの声が聞こえてきた。
「エステラ、もう二度と目覚めないのではないかと……本当に良かった……!」
「祝福が成されたのだな! ああ、〝善き友〟よ……」
ギュウッと、抱きしめる腕にさらに力が籠る。誰かに抱きしめられるなんて、いつ以来だろう。エステラは、振り払うことも出来ず、されるがまま身を固くする。内心で激しく動揺していると、ノックの音と共に扉の外から声が聞こえてきた。
『……陛下、こちらにいらっしゃるでしょうか?』
エステラを抱きしめていた男性が、その腕を解き立ち上がる。解放されたエステラがほっと息を吐けば、お仕着せの女性が肩にガウンを掛けてくれた。促されるままそれを身に着け立ち上がり、ふらふらとした足取りでソファーに移動する。
その様子を後ろ目に確認した男性が、低く力強い声で外に向かって呼びかけた。
「ヴィオラス。入れ」
扉が開き、外から一人の男性が入ってくる。菫色の長い髪を裾で編み、菖蒲色の瞳に丸い片眼鏡を掛けていた。白く長いローブとその柔和な顔立ちが、彼の神秘性をより高めているようだった。彼は、胸に手を当て恭しく頭を下げた。
「両陛下、ならびに王女殿下にご挨拶申し上げます」
「ヴィオラス……、ただ眠っていただけだと言うに、不思議と久しく感じるものだな」
男性が感慨深そうに声を掛けると、ヴィオラスと呼ばれた男性はふっと相好を緩め、嬉しそうに瞳を揺らしてその言葉に頷いた。
「陛下……、再びお会い出来て、嬉しゅうございます。城内外の様子を確認して参りました。皆様、お体にご不調などはございませんか?」
ヴィオラスが全員の顔を見回し、それぞれがそれぞれと視線を交わし合う中、エステラは緊張に背筋を伸ばす。エステラの隣に腰掛け、その肩を支えていた壮年の女性が不思議そうに首を傾げ、落ち着いた声で尋ねた。
「……エステラ? 先程からあなたの可愛い声を聴いていませんが、お具合でも?」
全員の視線がこちらを向き、エステラはビクッと肩を震わせる。混乱の中、何と説明すれば良いのか思考を巡らせて、やっとの思いで言葉を紡いだ。
「あ、の……ごめんなさい。私、何もわからなくって……。自分が誰で、ここがどこなのか……。だから、その……」
しどろもどろに説明すると、それぞれが困惑の表情を見せる。
(どうしよう……、伝わらない……)
元々、喋るのがあまり得意ではなかった。以前の生で、父に『愚図だ』と言われたこともある。三十も半ばになると言うのに、自分の情けなさに涙が出そうだ。かぁと頬を赤らめて俯いていると、エステラの様子を伺うように、ヴィオラスが落ち着いた口調で尋ねた。
「王女様……もしや、ご記憶がなくなってしまわれているのですか?」
「なにっ! それは誠か⁉」
「そんなっ……! 母のことも、お母様のことも忘れてしまわれたのですか?」
隣に座る女性が、痛ましい表情でエステラの手を握った。
エステラは、しまったと息を飲む。言い方を間違えてしまった。自分は〝エステラ〟ではないのだと、言わなければいけなかったのに。
どうしたらと視線を彷徨わせると、ふと手元が視界に入る。自分の手を握る白く柔らかい手が微かに震えていた。顔を上げれば、不安に揺れる瞳と目が合う。もし今、彼らの愛する〝エステラ〟は、ここにいないのだと伝えてしまったらどうなるだろう。記憶をなくしてしまったと言うだけで、こんなにも悲しんでいるのに。エステラは心が痛み――思わずコクンと、首を縦に振ってしまった。
エステラ以外の面々が、落胆や困惑の溜息を零す。その中で、隣に座る女性が再びぎゅっと力強くエステラの体を抱きしめた。鼻を啜りながら、頭を撫で、少し低めの優しい声で告げる。
「……怖かったわね、エステラ。大丈夫よ。お母様も、お父様も、ついていますからね」
それが、〝自分〟に向けられた言葉ではないと言うことはわかっている。けれど、事故から一転。見知らぬ場所に辿り着き、心は震え続けていた。エステラは、嘘を吐いてしまったという罪悪感をそっと伏せて、自分を抱きしめる温かい腕をぎゅっと抱きしめ返し、もう一度コクンと頷いた。
エステラの心細い気持ちが伝わると良いのですが……。
今日も皆様に素敵な事がありますように。
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