1・異世界転移していました
臨場感たっぷりに書きたくて、少し進度が遅く感じるかもしれません。
今後、また腕を磨き改善していく所存です。
目を覚ますと、天蓋が見えた。
幾重にも重なるレースが、寝台の主を外部の視線から守るように周囲を囲っている。美冬は、ぼんやりとする頭でただその景色を眺めていた。
(……私、何をしていたんだっけ?)
腕の力で支えながらその身を起こすと、体の節々に痛みを感じる。どれ程の期間、体を動かしていなかったというのだろう。視線を上げれば、ふと、様々な違和感に気が付く。
一人で眠るには、あまりにも広いベッド。滑らかで清潔な真白いシーツは、まるで高級なホテルにでも来たかのようだ。そして何より、細く、透けるほどに白い腕。その長さも、手の平や指の形も、慣れ親しんだものとはまるで違う。それなのに、確認するように動かせば、全てが自分の意思通りに動く。
戸惑いと恐怖が背筋を伝い、居ても立ってもいられず身を翻して天蓋の外に飛び出した。けれど、足に上手く力が入らず縺れて転んでしまう。床には毛足の長い絨毯が引かれていたので痛みを感じることはなかったが、部屋全体を見渡してもやはり見覚えはない。
(ここは……どこ?)
動揺しながらも、視線は部屋の隅にある姿見を捉える。よろよろと立ち上がり鏡に寄り、中を見て美冬は息を飲んだ。
光に当たると虹色に輝く、長く滑らかな銀色の髪。淡藤色の不思議な光彩の美しく大きな瞳。明らかに異国の血を感じさせる造形の小さな顔に、思わず吸い寄せられそうな愛らしい唇。白いネグリジェに身を包む、すらりとしていながらも女性らしい婉曲のある体。年頃は、二十歳前後だろうか。
(…………誰?)
鏡の中の女性が、訝し気に眉を寄せる。あまりの事態に思わず意味もなく顔や首筋に手の平を這わすが、美冬がそうするのに合わせて鏡の中の女性も同じ動きをする。まるで、〝これが自分なのだ〟と訴え掛けるように。
――コンコン、と控えめなノックの音が響く。
美冬は肩を跳ねさせ、「……っ、はい!」と反射的に声を出した。
声に合わせて扉が勢いよく開かれ、白と黒のお仕着せを着た年若い女性が飛び込んでくる。驚きの眼差しで美冬を捉えると、素早く目の前にやって来て両手を掴み、感涙の声を上げた。
「……王女様! エステラ様! やはり……やはり、お目覚めになられたのですね!」
「あっ……」
握られた両手から伝わってくる熱が、これは夢ではないのだと告げる。自分を見つめる裏葉色の瞳が涙で潤み、美冬は狼狽え言葉を失う。けれどそれも束の間。女性は、長いスカートの裾を摘まみすぐに踵を返した。
「城内の様子を見て参ります! どうかお待ちくださいませ!」
「あ、まっ……て……」
嵐のように走り去る彼女に声は届かず、美冬はなす術もなくゆるゆるとその場にへたり込んだ。再度、鏡に視線を向ける。何度も見ていると、ゲシュタルト崩壊を起こしたかのように、かつての自分の顔が滲みわからなくなってきた。その情けない表情は、間違いなく〝自分〟のものだ。
「……エステラ?」
鏡の中の女性にひっそりと語り掛けるように聞いたばかりの名を呟けば、若々しく甘い声が耳に届く。再び一人になったところで、落ち着いて自分の中に残る最後の記憶を探った。
(私は……そうだわ。車に轢かれて……)
その瞬間を思い出すと、体の芯がゾクッと冷え、あまりの恐怖にぶるっと身震いする。それでも、顔を上げて再度鏡を見れば、不安げに瞳を揺らす〝自分〟と目が合う。
(私は……〝エステラ〟?)
異世界転生。その言葉が、脳裏をかすめた。緊張か、高揚か……――ドク、ドクと、鼓動が響く胸に手を当て、瞳を閉じて大きく深呼吸する。すると、窓の外で雲が動き、サァッと柔らかい光が室内を包み込んだ。耳を澄ませば、カラーン、カラーンと、響き渡る鐘の音が聞こえてくる。
(……暖かい。私、生きてる……)
ここがどこで、季節はいつで、自分が何者なのかもわからない。けれど、感じた全ての温もりが、〝ここに居ても良いのだ〟と――この世界が囁き掛けてくれているようで、美冬はぎゅっと自分を抱きしめた。
◇◇◇
鐘の音は、王国中を駆け巡った。
活気あふれる城下街では、人々は歓喜に騒めく。
子供達は顔を見合わせ駆け出し、酒場では調子の良い者達がここぞとばかりに声を上げていた。
「旧王城の目覚めの鐘だ! すごい! 『眠り姫』様を見られるかな?」
「誰が茨の結界を破ったんだ? やっぱり帝国の皇子様か?」
「いやぁ、あたしゃ、あの人ならやり遂げるって思っていたよ」
「お前『あんな子供に何が出来るんだ』って言ってたじゃねえか! まあ、良い。めでてえことに変わりはねえ! 酒を持て! 祭りを始めるぞ!」
常と異なるその街の様子を、黒いフードを目深に被る少年が、飴色の丸い瞳をさらに丸くして眺める。親のいない彼に、この騒めきの理由を語って聞かせる者はこれまでいなかった。後ろを振り返り、今や親代わりとなる人に声を掛ける。
「マイスター……何だか騒がしい。街の様子が変だ」
少年の後ろを、少年と揃いのマントを身に纏う青年が歩いていた。隙間から覗く髪は雪のように白く、端正な顔には丸い眼鏡が掛けられている。氷壁のような水色の瞳が、鐘の音が鳴る方向へと向けられた。薄い唇から、言葉が零れる。
「……そうか、百年。もうそんなに時が流れたのか……」
その呟きが届いてか否か――少年は、伺うように首を傾げた。
「……マイスター?」
青年は、ふっと微笑み少年の頭を撫でる。
「……工房に戻ったらお話しします。さあ、急いで資材を調達して、早めに森に帰りましょう」
少年は、青年に促されるまま移動を再開する。二人にとっては、平素と何ら変わらぬ時間――けれど、湧き立つ街が、何かが始まる予感を胸の奥に抱かせた。
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