6. 大きな声
仕事が終わった帰り道、ぼんやりと電動バイクを走らせる。
フルフェイスのヘルメットを被ると耳が僅かに塞がれるため、信号待ちをすると否応なしに空腹や満腹を訴える声があちらこちらから聞こえてくるのがうんざりだ。
〈おなかすいた〉
〈お腹いっぱいだよ〉
〈はらへりー〉
〈おなか……いっぱい〉
人や動物、植物、乗り物、電子機器などで溢れる街中は特に騒がしい。
あー、うるさい。黙れよ。聞こえたところで俺になんてどうせ何もできないんだ。ただ聞こえるだけなんだから。
そう思うのに否応なしに耳に飛び込んでくる様々な声。
『ゼンくん、ここに根を張る木を雷から逃がすことは不可能だ。この木はこういう運命だったんだよ。だからあまり自分を責めるな』
シバさんの言いたいことはわかる。でも雷が来るってわかってるだけで何もできないってこんなにも悔しいものなんだなって、キツいんだなって思い知った。
……何のためにこんな能力があるんだよ。使えねーのに。いらねーのに。やっぱり平坦な毎日の方が楽でいいな。
それからは仕事へのモチベーションが下がって、流されるままにただ仕事をこなす日々が続いていった。
1週間後。その日も仕事を終えてぼんやりとバイクを走らせていると、街中の交差点で信号に引っかかって止まる。そして否応なしに相変わらず多くの声が聞こえてくる。
……うるさいな。左耳だけ開放的なヘルメットって世の中にないのかな。野球用じゃバイク乗れないし、そもそもそんなの俺ぐらいしか需要ないか、なんて嘲笑っていると、不意にほかの声を押しのけるように大きな声が耳に入った。
〈おなか……いっぱい〉
……ん? この声、前にも聞いたことがあるような気がする。気のせいかな。
信号が青に変わってバイクを再び走らせて通り過ぎると、だんだん声は小さくなっていった。
それからはそこで信号待ちをするたびに聞こえるその声に自然と耳が行くようになった。というより、そもそもうるさくて無視なんてできないんだ。しかもだんだん声がデカくなってないか? 何の声だよ。
何となく胸の奥がゾワゾワするような気持ち悪さを感じていた。
数日後、仕事帰りにトシと待ち合わせをして飲食店に入った。
……それにしても何の声だ? 同じ場所でいつも聞こえる。
考え込んでいるとトシが首を傾げた。
「どうかしたのか?」
「ん? あー……最近通勤途中の街中の道で、何かわからないけどデカい声が聞こえるんだよ。うるさくてたまらないんだ」
「なに、空腹すぎて死にそうなやつでもいる?」
そう言ってトシは呑気に笑う。
「違う。どっちかっていうと満腹の方」
満腹側に聞こえる声は、調子が悪かったり落雷の時だったりしたからあまりいいイメージがない。しかもそれが大きい声となるとなおさらだ。
「ふぅん……じゃあさ、それ、何か確かめに行く?」
「え?」
「気になってるんだろう?」
「それは……まぁゼロじゃないけど……」
「じゃあ行こうぜ。だって、もしもその声が誘拐された子供のものだったらどうするんだよ。助け出したら俺たち英雄で表彰モノだぜ」
キラリと白い歯を見せて笑うトシの目は輝いている。
……こいつ本当に呑気な上に不謹慎なやつだな。まぁでも、気になってるのは確かだから表彰モノかどうかは別として、確かめてみてもいいのかもしれない。
「一応行ってみるか……」
どうせ何ができるわけでもないけど、と思いつつ、それぞれバイクに跨り、いつも声が聞こえる街中の交差点へ向かった。
「ゼン、この辺か?」
「あぁ」
午後7時で外は暗いが人も車も多い。そして今も――
〈おなか……いっぱいぃぃ……おなか……いっぱいだぁぁ〉
やっぱりこの場所に来ると同じ声が聞こえる。低くてゆったりした大きな声。しかも段々と大きくなってるのは気のせいではないと確信する。
「ゼン、聞こえる?」
「うん、うるせーくらい」
「どこから?」
「それがわかんないんだよ。なんかもう、デカすぎて頭痛い」
耐えられなくなってヘルメットを脱いだ。
「どんな声なの?」
「んー、低くてゆっくりでドスドス来る感じ」
「ドスドス? 地鳴りみたいな?」
「うん、そう。地鳴り……みたい……な」
地鳴り? そう言われてハッとした俺は、慌てて地面に這いつくばった。
「ゼン!? 何してんだよ」
わかってる。こんな人通りの多いところで何やってんだって話だ。でも俺にとっては大事なことなんだ。
左耳を塞いで地面に耳を澄ますと、ビリビリと脳みそを震わせるようなけたたましい声が耳に入った。
うぉっ、クラクラする……。
「ウッ……」
ちょっと吐きそうになって四つん這いになりながら声を聞くのをやめると、トシが心配そうに俺を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「いや……ヤバいかも」
「え?」
「地面からデカい叫び声が聞こえるんだ。しかも雷の時より相当デカい」
「地面……? えっ、それってまさか……」
雷より相当大きくて、地面から聞こえる叫び声。
ハッとした瞬間、トシと目が合った。
「「地震!?」」
図らずも恐ろしい言葉で二人の声はハモった。