5. 嵐
翌日、天気は快晴。カンファーツリーの様子を見に行くと昨日よりもさらに元気な声が聞こえてきた。
〈おなかすいた、おなかすいたよ〉
うるせー、と文句を言いつつ顔はニヤける。
「待ってろよ。美味いものをもってきてやるからな」
活力剤もいいけど、栄養剤でもいいかな。
「シバさん、今日は何か栄養をやりましょう」
「よし、わかった」
シバさんと相談して特製栄養剤を用意し、カンファーツリーに向かった。
「もっと元気になれ。長生きしろよ」
栄養剤を与えながらそう声をかけると、シバさんがフッと笑う。
「何だかゼンくんが羨ましいよ。そうやって植物と会話ができるんだから」
しまった……シバさんの前でも普通に話しかけちゃったよ。
「会話っていうか、俺が聞くだけ聞いて一方的に話してるだけですよ?」
「いやぁ、きっと植物たちにはゼンくんの優しさが伝わってるさ」
「そうですかね」
ははは、と恥ずかしくなって笑った。そうだと嬉しいな。
□■□■□■□
その日の夕方。急な雨が降り注ぐ。ゲリラ豪雨だ。
「酷い雨だね。お客さん、みんな帰っちゃったよ。……せっかく調子を取り戻してきたのに、カンファーツリーは大丈夫かな」
シバさんにそう言われて途端に不安が募った。
「俺、アイツの様子見てきます」
俺は慌てて外に出た。
『植物が相手なら責任とか軽くて良さそう』なんていう軽い気持ちで始めた仕事に、責任感を持ち始めていた。
「調子はどうだ? 無事か?」
カンファーツリーの幹に触れながらそう声をかける。根元に立つ俺は幹や葉に守られて平気だが、空は真っ黒な雲に覆われ、突風吹き荒ぶ土砂降り。時折周囲の空にはヒビが入るかのような閃光が走り抜け、轟音が辺りを包む。
心配しつつカンファーツリーに耳を澄ますと、〈おなかすいた〉と相変わらず元気な声が聞こえてきた。よかった、無事そうだ。
「ゼンくん、様子はどうだ?」
シバさんも気になってきてくれたらしい。
「今のところ大丈夫そうです」
「そうか。じきにやむだろうから頑張ってくれよ」
そう言ってシバさんはカンファーツリーの幹をトンッと叩いた。
「きっとシバさんの優しさもコイツには伝わってますね」
「そうか? そうだといいな」
あっはっは、とシバさんは嬉しそうだ。
頼むから元気で乗り越えてくれ。そういう祈るような気持ちでもう一度カンファーツリーの声を聞こうとして左耳を塞ぐ。すると――
〈おなかいっぱぁぁい〉
どこからか頭中に響き渡るような低くて大きな声が聞こえてきた。
……何だこれ、カンファーツリーの声じゃない。何の声だ?
その声は何度も何度も聞こえ、徐々に大きくなってくる。そしてその声はどんどん激しさを増し、次第に叫び声へと変わっていった。
〈おなかいっぱいだよぉぉぅ〉
頭痛がするほどの大声が頭に響く。
「うわっ……」
耐えられなくなって、俺は左耳を塞ぐ手を離した。
「ゼンくん、どうした? 大丈夫か?」
「はい……なんか真上から凄くデカい声が聞こえて……」
「真上?」
するとシバさんは空を見上げて顔色を変える。
「ゼンくん、今すぐここから離れよう。建物の中に走るんだ」
「えっ?」
「真上に真っ黒な雲がある」
「それって……じゃあこの声ってまさか……!」
「早く。急ぐんだ」
とにかくカンファーツリーから離れようと、シバさんと一緒に猛ダッシュで建物の中に入る。
するとその数秒後――
「ウワッ!」
驚いて思わず声を上げ、肩を竦めながら目を瞑る。窓ガラスの向こうがパッと眩しいほどの光に包まれると同時に、腹に響くほどの地響きと爆音が炸裂したのだ。
そして恐る恐る目を開けると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
「あっ……!」
何だこれ、嘘だろ……。
カンファーツリーは真っ赤な炎に包まれていた。
何もできないまま、シバさんと一緒にその場に暫く立ち竦む。
大雨のおかげで炎は間もなく消えたが、辺りには白い煙がモクモクと漂い、焦げたような臭いが充満する。そしてカンファーツリーの枝は燃え落ち、幹は真っ二つに裂けていた。
その後荒天が嘘のように空は晴れたが、木の幹からは煙が上がり続けていた。
「シバさん……俺、アイツの声、聞いてきます」
「あっ、ゼンくん!」
そばに近づくと幹はまだ熱を持っていて、靴越しに感じる根本さえも熱さを感じる。俺は左耳を塞いで恐る恐るカンファーツリーの声に耳を澄ます。
少し前まであんなにも元気に聞こえた声が……今は物凄く静かだ。
「シバさん、どうしよう……っ、何も聞こえない」
「ゼンくん……」
「ついさっきまで騒がしく腹空かしてたんですよ。コイツは元気になったんです」
「そうだよな。……本当に残念だ」
シバさんは俺の肩をトンッと叩いた。
残念だ――その言葉は、まるで心にズシンと鉛が乗るかのように重く響いた。
その後カンファーツリーの幹に何度耳を澄ましても声は聞こえてこなかった。そしてそのままにしておくと倒れる危険性があるからと、木は伐採されることが決まった。
「少なくとも君の力は、僕と君の命を救ったんだよ。君はよくやったよ」
そう言って励ましてくれたシバさん。
でも違う。「ここから離れよう」って言ってくれたシバさんのおかげだ。
そしてカンファーツリーは救えなかった。せっかく元気になったのに。
どうして俺の力は雷を防ぐ力じゃなかったんだろう。どうしてすぐに火を消せる力じゃなかったんだろう。
ほんと俺って使えねぇな。何が『守ってやりたい』だ。何が『元気にしてやる』だ。思い上がってんじゃねーよ。
自分の無能さと不甲斐なさを思い知り、視界がジワッと滲んだ。