【コミカライズ化】姉のやらかしの尻拭いをさせられる第三王女は、強制的に姉の元婚約者と婚約させられる
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リンデル王国の第一王女であり、次期女王予定でもあるチェルシーが、男爵子息リーフとの真実の愛に目覚めたらしい。
目覚めるのは勝手だが、問題は、彼女には既にフィリップという名の婚約者がいたことだ。ローズデン公爵家の子息である彼は極めて優秀で、しかもローズデン家は貴族たちを取りまとめられるほどに力を持つ。
少々頭の足りないチェルシーの後ろ盾となり、そして彼女を補佐する王配として彼ほどの適任者はいないと、王家から願い出て整えられた婚約だった。
にもかかわらずチェルシーは、フィリップは美姫と称される自分と並ぶにはあまりにも冴えない容貌で、その上真面目過ぎて面白みがないからと、彼を捨てて、代わりに華やかな外見のリーフと結婚したいと考えた。
そしてその小さな脳みそを絞り、フィリップが公爵家という立場を利用して、リーフに激しい嫌がらせや、刺客を送り込んで彼を亡き者にしようとしたと虚偽の事実をでっち上げ、多くの貴族が参加する夜会の場で、フィリップの有責で婚約を破棄しようとした。
しかし、チェルシーがフィリップを蔑ろにし、リーフを傍に置くという不実な振る舞いは貴族たちの間でも有名であり、しかも証拠がないばかりかあったのはリーフの証言のみで、誰もがフィリップには非がないと彼を擁護した。
当然彼女の計画は失敗に終わり、その場に居合わせていたものの寝耳に水であった国王陛下と王妃殿下はすぐさま夜会を中止し、責任を取らせる形でチェルシーの王族としての身分を剥奪して修道院に生涯幽閉することを決めた。
またリーフの生家である男爵家は貴族籍を剥奪されて平民になり、リーフ自身は辺境にある鉱石場で死ぬまで労働させられることとなった。
しかしここで問題が生じる。
一体誰がリンデル王国を継ぐのか、ということである。
国王と王妃の間に子供は全部で三人。その全てが女児であった。
リンデル王国は女性でも王となることは可能なため、性別に関して問題はない。
その為、頭脳明晰で国民の人気も高い第二王女のリリアンヌを新たに次期女王陛下に任命しようとしたのだが、ここで予想外の事態に陥る。
なんと、チェルシーが婚約破棄騒動を起こした夜会に参加していた大陸一の大国であるダマル帝国の皇子が、リリアンヌに一目惚れをし、彼の国から彼女を次期皇妃として迎え入れたいと打診があったのだ。
断りたいところだが、相手はリンデル王国の何倍も国土が広く、圧倒的な軍事力を誇っている。断ればどうなるか、と暗に侵略をほのめかすようなことを言われ、リンデル王国はそれに従う他なかった。
王国としても、ダマル帝国と懇意になることは悪いことではないと無理やり言い聞かせて。
という訳で、王位継承権を持つもののスペアとしてのびのびと育てられてきた第三王女のアリシアが次期女王となることが決定し、他国へ留学していたアリシアはすぐさま祖国へ戻るよう命じられた——。
「あー、もう、面倒なことになった」
そんなスペア王女である私、アリシアは、事の顛末を聞かされ、急いで国へ戻る馬車の中で吐き捨てるようにぼやく。
チェルシー姉様がぼんくらだってのは分かっていたけど、年功序列を重んじ、ついでにチェルシー姉様を馬鹿みたいに可愛がっていた両親は、リリアンヌ姉様に王位継承権を譲ることを認めず、だからこそ私は少しでも国の為にできることをしようと外交政策に力を入れるべく、ここ数年様々な国を回って人脈作りに励んでいた。
なのに、なんでこんなことになるのか。
いつか何かやらかすかもと思っていたけど、まさかここまで阿呆だったとは。
しかもこのタイミングで女王候補大本命のリリアンヌ姉様が他国へ嫁ぐことになるなんて。
もともと姉様には婚約者がいたのだが、その彼が市井の娘と駆け落ちして見つからないことから婚約解消となり、ちょうど相手がいない状態だったからますます断れなかったようだ。
まあ、私を呼び戻す馬車と共に運ばれてきた姉様からの手紙によると、ものすごく愛されていて幸せだって書いてあったから、その点は良かった。
が、しかしだ。
「王族としての教育は一通り受けてるからいいんだけど、評判のいいリリアンヌ姉様をすっ飛ばして、やらかした馬鹿姉の尻拭いで後を継ぐなんて、プレッシャーが半端ないんだけど」
馬車の中には私と、ずっと身の回りの世話をしてくれている侍女のエリーしかいないので、私は気兼ねなく愚痴を言いまくる。
「勿論分かってるわよ? 王家に生まれたからには、何かあったら国を継ぐ責務があるっていうのは。それでもさすがにこれは予想外すぎる。はぁ。帰ったら色々やらないといけないことが山積みだよね」
「さようでございます」
「やっぱり国を出る時に、二人を真剣に説得しとくべきだったな。あの性格最悪で人望もない姉様にその辺の顔の良い貴族でもあてがって降嫁させて、リリアンヌ姉様を後継者に指名した方がいい、って」
親としては別に嫌いじゃないし、国を率いる者としても能力に関してさしたる問題はないけど、こと子供のことになると二人の精度は急激に落ちる。それも一番上の姉に対してだけ。
チェルシー姉様が母様に瓜二つの容姿なので、自分大好きな母様と、そんな母様の顔が大好きな父様が溺愛しないわけがない。
だからこそ、美人よりも可愛いが似合う愛嬌のあるリリアンヌ姉様と、そこから可愛さ成分を薄めた三女の私への対応は、あまり良くはなかった。
「今更後悔しても後の祭りだけどね。どっちにしろ私の話なんて、あの二人がまともに取り合うわけないのに」
「……ですが、私はこうなってよかったとも思っております。いくら王配が優れていようとも、肝心の女王陛下があのような者では、国としての求心力は将来、確実に下がるでしょう」
この場には彼女の発言を不敬だと咎める者もいない。勿論私もそんなことを言うつもりはない。エリーの言葉はもっともなことだ。
「それも見越しての、チェルシー姉様の婚約者だったんだけどね」
彼のことは私もよく知っている。
フィリップ・ローズデン。
貴族の中で最も力を持ち、現在の当主が宰相も務めるローズデン家の次男。王立学園を首席で卒業した、間違いなく王国一の天才児。
確かに見た目は、分かりやすい派手な美貌に目を奪われるチェルシー姉様の好みではなかっただろう
けれど、かといって劣っているという訳でもない。
王国で最も多い色である茶色の髪と同系色の瞳を持ち、顔のパーツは整っている。ただ、柔らかいふわふわな髪の毛と、どちらかというと垂れ目がちな瞳、控えめながらも人当たりが良いことも相まって、目を見張るほどのイケメン、というより、無害そうな優しいみんなのお兄ちゃん、という雰囲気が強い。
しかし私は知っている。
いや、リリアンヌ姉様も薄々気付いていた。
無害そうな羊の皮を被ったあの男が、実際は見た目通りではないことを。
彼があの雰囲気を纏っているのは、他人の緊張を解して簡単に相手の懐に入れるから。そうなれば欲しい情報を引き出すのも、相手を自分の意のままに操ることも簡単になる。
それに気付いたのはたまたまで、姉の婚約者だと引き合わされた時に、彼の笑顔がなんだか嘘臭くて、小さい声だけどついうっかりそのことを口に出してしまったのだ。
当然すぐに口を押さえたけど、フィリップ様の耳にはばっちり聞こえていたらしく、それから私はなぜか彼に絡まれるようになった。
別に好んで会いに行ったわけじゃない。
面白みのない婚約者との面会に付き合えとチェルシー姉様に脅され、お茶会が始まったもののすぐにどこかへ行ってしまう姉の尻ぬぐいのため、仕方なくその後彼を接待するのが日課となっていた。
ちなみにリリアンヌ姉様はいち早く危険を察知し、いつもお茶会勧誘の場にはいなかったので、私だけが害を被った。
で、どこをどうしたらもっと自然に見えるかの練習に付き合わされ、普段は丁寧な口調なくせに私の前では取り繕うことをやめたのか、周囲に控えるメイド達にぎりぎり聞こえない声量で、軽口を叩く。
そのうちに、私が甘いもの好きだと見抜いた彼は、相手をしてもらっている礼にという名目で、国内外から取り寄せた様々なお菓子を手土産に持ってきてくれるようになった。
その全てが私の好みど真ん中で、美味しいお菓子に罪はないからと遠慮なくお腹に収めていた。
予定外とはいえあまりにも一緒にいる時間が増えた私は、彼と過ごす時間が心地よくなりつつあった。
お菓子に釣られたからではない。
いや勿論それも理由の一つには挙がるけど、それだけじゃない、断じて。
取り繕わないフィリップ様との会話は不思議と弾み、楽しかった。私の方が年下だけど、婚約者の妹でまだまだ子供だという扱いではなく、対等に接してくれた。
まあ、私の方が王女で立場が上だからその表現が正しいかはともかくだ。
ただ、心を許してはいけないと無意識に警戒はしていたように思う。
時間を共にしながら感じたのは、やはりこの男は恐ろしいということだった。
今はいい。本心から国に忠誠を誓っていることが分かるから。
けれど、王家が不義理な行いをしたり、悪政を敷くことがあれば、赤子の手をひねるように私たちは彼に蹂躙されるだろう。
かといって、彼を止めるほどの力を私は持っていない。
天才でも秀才でも美人でもなく、ただ生まれが王族だっただけで中身は他の令嬢と変わらない王女だ。
対処できるとしたらリリアンヌ姉様くらいだろうけど、前にそのことを話したら、「私にあれを飼い慣らすのは無理」と一蹴された。
仕方がないので無駄だと分かっていながら、チェルシー姉様に、もっとフィリップ様を大事にしてほしい——意訳すると怒らせるとめっちゃ怖い気がするからせめておとなしくしとけ——と再三口にしていたら、私を疎ましく思った姉様が両親に頼み、お前は将来チェルシーを支えるため対外政策に力を入れてほしいと、留学という体で国外へ放り出された。
やばいなぁと思ったけど、とりあえずはリリアンヌ姉様がいるし両親の言うことも一理あったので、一度も王国に帰ることなく数年が経過して——。
そして今に至る。
「私さ、今回の件で、正直公爵家が理不尽な婚約破棄騒動を理由に、王家に反旗を翻して……って可能性も考えたんだけど、あちらの対応はそういう感じではないのよね?」
「はい。公爵家の中にはそのような血気盛んな者もいたらしいですが、他ならぬフィリップがそれを抑えたようです」
彼の名前を呼び捨てにするエリー。
それもそのはず、彼女はローズデン公爵家の出身で、フィリップは彼女の甥に当たる。彼女は名だたる貴族たちの侍女として渡り歩き、ここ数年は私専属になっている。
「にしても、あの人にしてはどうも腑に落ちない展開に持っていったと思うのだけど。彼が本気を出せば、それなりにチェルシー姉様の興味を自分の方に引きつけつつ、姉様の浮気も外にばれないように根回ししてってことくらいはできるはずなのに。それともやっぱり、規格外に姉様がお馬鹿だったから無理だったとか?」
なぜか彼は、自分がチェルシー姉様に蔑ろにされているという状況を周囲に見せ続け、婚約破棄されることとなった。上手に姉をコントロールしていたら、そのまま国を乗っ取れたというのに。
「わざわざこんな茶番を挟まなくても、結果は一緒だったのに。だって彼は結局、私に婚約者が代わったってだけで、王配となって国を牛耳る未来に変わりはないじゃない?」
するとこの答えに、エリーは何とも微妙な表情で私から視線を外す。
あからさまなこの反応に、嫌な予感がした私は彼女に詰め寄る。
「エリー? なぜそんな顔をするの?」
「アリシア様、甥であるあの子も大事ですが、どちらかというと、私はアリシア様の方を大切に思っております。今回逃げることはできませんでしたが、せめてあなた様がこの先幸せであればと願っておりますので」
「逃げるって何!? ちょっと、いきなり意味不明で不吉なこと言わないでくれる?」
突然放たれた謎の言葉に大いに私の心は揺らいだが、
「アリシア様でしたら王国に戻ればすぐに分かるかと思います」
と死んだ魚のような目で呟かれた言葉を最後に、これ以上エリーが何かを口にすることはなかった。
そしてその意味を、私は帰還してすぐに理解することになる。
「アリシア王女殿下、お帰りなさいませ」
王城に到着し、母国の空気を思いっきり吸い込みながら馬車から出ると、柔らかな土の色を帯びた髪と瞳をした柔和な表情の青年が、私を出迎えた。
即日留学させられたので別れの挨拶もできず、数年ぶりの再会となったが、彼の笑顔はどの角度から見ても一切の偽りが見えず、自然であった。
「お久しぶりです、フィリップ様」
現在二十四歳のフィリップ様は、それはそれは見事な好青年へと成長されていた。
どこからどう見ても誠実でありながら理知さも兼ね備えていて、昔はそれらが隙がなさ過ぎて逆に怪しいと思えたけど、その隙というものも今の彼は会得したらしい。
フィリップ様は温和な笑みを崩さないまま目を細め、その場に跪くと私の許可を取ってから手を取り、そっと口付ける。
「長旅でお疲れかと思いましたが、私の我儘で一刻も早くアリシア様のお顔を見たいと陛下に願い出て、こちらでの出迎えの許可をいただきました」
「エリーから聞きました。あなたが私の負担を少しでも減らそうと、無理のない日程を組んでくれたことを。おかげでそこまでの疲れはありません。それより、姉のことであなたには申し訳ないことをしました」
立ち上がった彼に謝罪をすると、フィリップ様はいいえと答え首を振る。そして悲しげに目元を陰らせると、
「チェルシー様のお心を繋ぎ止めることのできなかった私にも非はあります。ですが全てはもう終わったことです。この度、私は新たにアリシア様の婚約者となりました。この国の為、精いっぱい王配としての役目を務めさせていただきますので、末永くよろしくお願いいたします」
そして、彼は頭を垂れた。
これだけ見ると、あんなことがあったにも関わらず王家に忠誠を誓う、健気で誠実な忠臣そのものだ。
周囲の人間も、温かい目でこちらを見ているのを感じる。
なんだけど。
ちらりと視線を上げたフィリップ様は、私にしか見えない角度で一瞬動きを止めると、まるで物語の黒幕のごとくにやりと笑った。
しかもどこか切なさと甘さを兼ね備えていて。
気のせい……ではない。
あの黒いオーラも、彼が私を見る目も覚えがある。
過去に散々見てきた彼の姿に、思わず背筋がぞくりとなる。
と同時に、この前のエリーの妙な反応、そして私自身が感じていた疑問の答えを見つけてしまった気がした。
「っ!」
マジか、もしかしてもしかしなくとも、そういうことなのか、と動揺のあまり声にならない悲鳴を上げそうになって、何とか堪える。
けれど私の唇から零れたわずかな空気の振動すらも彼は漏らさず捉え、私をエスコートするため自然に近付いた隙に、耳元で一言囁いた。
「逃がさない」
普段からは想像もつかない色気を纏った低い声に、別の意味でぞくりとなった私は、しかしこの程度でやられるものかと踏ん張ると、優雅に微笑んで彼のエスコートに身を任せる。
そんな私の様子に、フィリップ様は驚いたようにわずかに目を開いたけど、すぐに元に戻り、二人で王座のある大広間ヘと向かう。
久しぶりに会う両親は、誰この人たち……と思えるほどにやつれていた。
「おお、戻ったか」
三十歳くらい顔が老けた父様は、覇気のない声のまま、私をねぎらうこともなく、一年後に私達の結婚式を行い、終わり次第速やかに王位を譲ると言った。
簡潔にそれだけ述べると、疲れているだろうからもう退出してもいいと母様が口にして、特に両親と話したいこともなかった私はお言葉に甘えてその場から退散する。
正直このままフィリップ様と別れたかったけど、生憎このお方はそれを許してはくれなさそうだった。
「お疲れではない、とのことでしたので、少し私と話をしませんか」
しまった、さっき疲れすぎて死にそうだから、とか返事しておけばよかった。断りたいけど有無を言わせない笑顔の圧に、私は頷くしかなかった。
それまでの私たちの関係は、姉の婚約者とその妹、というものだったので、必ず近くに人の目があった。
しかし今は婚約者。
二人きりで部屋に閉じこもっても、非難されるどころか、フィリップ様以上の逸材がいないからなんとしても彼を繋ぎ止めろと言わんばかりに、積極的に部屋に押し込められた。
お茶とお菓子の用意をテーブルにセットし、エリーがこっそり同情の視線を私に飛ばしながら、数人のメイドを引き連れて部屋を出る。
その途端、目の前の青年の空気が豹変する。
まるで穏やかな空気を纏う春から、吹雪で荒れ狂う冬のように。けれどその奥には、氷すらも一瞬で溶かすほどの強烈な炎が燃えている。
危険だと体中の細胞が悲鳴を上げているが、いったい『これ』からどう逃れろというのか。
フィリップ様はもはや狂喜を隠そうともせず、満面の笑みで私の元へ大股でやってくると、ソファに座る私をその場で押し倒す。
「ようやく、ようやくだ。あの女と添い遂げる気はなかったとはいえ、婚約者として公の場で隣に立つのがどんだけ苦痛だったか」
これのどこが人畜無害の誠実で温和な青年だ。前に会っていた時よりも、彼の黒さは加速している。
獲物を目にした猛禽類の様にぎらついた瞳も、愉悦で歪む笑みも、これほど凄みは帯びていなかった。
このままでは喰らい尽くされてしまいそうだ。
物理的にも乙女的にも。
同じ部屋にはベッドもあるし、そういうことも予測しているんだろう。最終的には結婚するんだし遅かれ早かれそうなるにしても、それは今じゃない。
いや、厳密には今は嫌だ。
喰われる方に覚悟ができていない。
その時リリアンヌ姉様の言葉が頭を駆け巡る。
「自分にはこの男を飼い慣らせない」
だけど姉様はその後、こうも言っていた。
アリシア、あなたなら手なずけられるわ、と。
その時は意味が分からなかったけど、今なら分かる。
「どこまでがあなたの仕業なんですか」
今にも噛みつかんばかりに近付けられた唇を手で防ぐと、まっすぐに彼を見据える。
「何が?」
「チェルシー姉様のことは私も分かりました。でもリリアンヌ姉様の婚約者がいなくなったり、帝国皇子との結婚の件は? あ、でもそうしないとあなたはリリアンヌ姉様と結婚することになってしまうから、やっぱりそっちにもあなたが一枚嚙んでないとおかしいですね」
その言葉に、彼はくくっ、と小さく笑うと、体を起こす。
とりあえず、一瞬だろうけど危機は回避された。
フィリップ様は私の身体もついでに引いて起こすと、まだ温かさの残る紅茶を手に取り、優雅に足を組みながら飲む。
「悪かったな。少し、いや、大分だな。歯止めがきかなかった。第一お前が別れの挨拶もなく留学したのが悪い。あの頃は絶望のあまり国を滅ぼしてやろうかと思った」
思いとどまってくれてよかった。本気を出せば国家転覆可能、と知ってはいたけど、実際にされるとやっぱり嫌ではある。
「あれは私の意志じゃないって、あなたなら分かりますよね?」
「だから破壊衝動を堪えたんだろうが」
私も同じく喉を潤しながら、ついでに小菓子に手を伸ばす。
もごもごと懐かしの故郷の味に舌鼓を打っていると、まだまだ真っ黒だけど少しだけオーラを和らげたフィリップ様が、ふっと息を吐いて私の唇の端についたクッキーの欠片を指で拭い、自身の口の中に入れる。
「でかくなっても、相変わらずこういうとこは変わらねぇな。リスみたいですっげぇ可愛い」
「それで、まだ私の質問に答えてもらっていないんですけど」
淫靡な空気を纏わせつつあるフィリップ様に気付いて、私は即座に話を切り替える。
油断も隙もあったもんじゃない。
妙な緊張感に肌がひりつくけど、そんなのはおくびにも出さないよう気を付けながら冷静な口調で問えば、フィリップ様は肩をすくめて軽く両手をあげた。
「お前の言う通り、まずチェルシー元王女の方は、俺がそうなるように持っていった。都合よく外見が良くて頭が空っぽな男を見繕ってあの女の前にあてがったら、想像通りに喰いついた。後は勝手に自滅していったぞ。まあ、調べたらリーフの家も色々真っ黒だったし? ついでに家ごと消えてもらったがな」
なぜそんなことを、とは聞かなかった。私はその理由に見当がついているから。
なので黙って続きを促す。
「で、リリアンヌに関しても、元婚約者が消えた原因も俺が作った。けどそれに関しちゃ感謝してほしいくらいだ。リリアンヌも、能力もないくせに態度だけはやたらデカいあの男のことを嫌ってたしな。その後の帝国皇子とのきっかけも俺だ。皇子の側近に近付いて、そっからあの皇子と友人関係を築き、婚約破棄されると分かっていた例のパーティーの招待状を渡した。あの男の好みは聞いてたし、特徴もリリアンヌと合致してたからいけると踏んでた。後は二人を引き合わせりゃ、自ずとああいう結果になるよな。ただ」
ここで言葉を区切ったフィリップ様は、何かを思い出すかのようにどこか遠くに視線を向けると、乾いた笑いを浮かべる。
「まさかリリアンヌが本気で帝国の皇子と恋に落ちるとは思ってなかった。それでもあいつはこの国のため、最後まで残ると訴えてたがな。だが、当然こちらに拒否権はない。最後までお前のことを心配しながら嫁いでいったよ」
なるほど。
道理でと合点がいく。
リリアンヌ姉様からの幸せだと書かれた結婚報告の手紙の一番最後にあった、あなたを贄にしてしまった形になってごめんなさい、という言葉。
勿論私が王位を継ぐことに対することもあったんだろうけど、それ以外の意味合いの方が強いのだろう。
昔から表面上は普通だけど実際は険悪な仲だったリリアンヌ姉様とフィリップ様。同じ年で学校でもライバルで、周りに誰もいない時は互いに呼び捨てにしながらよく罵り合っていたらしい。
それでも能力も十分で王配としてこれ以上にない適任者だと理解した上で、フィリップ様みたいな男と結婚するのは御免だとリリアンヌ姉様は常々口にしていた。
勿論、王命として結ばれるなら従うけど、私以上に向こうが拒否するだろうって言ってたっけ。
理由は教えてもらえなかったけど、遠回しに私が原因的なことは言われた。
実際に二人は婚約者になりそうだったけど、そうはならなかった。
私に国とフィリップ様を押し付ける形で自分だけ嫁ぐことになってしまったことを、姉様は謝罪したかったのだろう。
けど、それは別にリリアンヌ姉様が謝ることじゃないと思っている。
きっかけはフィリップ様だとしても、帝国からの圧力で否応なしに嫁がされるのなら、そりゃあ相思相愛の相手のほうがいいに決まってる。
「で、話はもういいか」
「まだです」
再度こちらに体重をかけようとするフィリップ様の鼻先に掌をかざす。
「んだよ、質問には答えただろうが」
私の手なんて彼にかかれば簡単に跳ね返せるはずだけど、フィリップ様はそれをしなかった。不満げに眉間に皺は寄せているが。
「まだ聞きたいことがあります」
「それ、今俺の邪魔をするよりも大事なことか?」
「ええ。私にとってはとても大切なことです」
そう答えると、苦々し気に唇を噛みながら私から離れる。
苛立ちを隠すかのように、普段は滅多に口にしないと言っていた菓子の包みを乱暴に外すと、ぽいと口に入れながら、瞬き一つせずじっと私を見つめる。
その姿に、私はやっぱり表で完璧に演じているフィリップ・ローズデンという青年より、今のむき出しの感情を隠しもせず露にするただのフィリップ様の方が見慣れてるし好ましく思えた。
我ながら趣味が悪いのかなと自虐に満ちた笑いを内心浮かべながら、一番気になっていることをはっきりと口にした。
「フィリップ様、あなたは私のことが好きなんですか?」
どうも予期せぬ質問だったらしい。
フィリップ様はぽかんと口を開けて固まってしまった。
とても珍しいものを見た気がするとある意味感心していると、硬直がとけたらしいフィリップ様は、次に口元をひくひくさせる。
「待て、お前、今の俺の様子からとかこれまでの状況から考えて、マジで俺の気持ちに気付いてなかったのか?」
「気付いていないというか、もしかしてそうかなという気はしていましたよ。でも、そんな風に思ったのってここに帰ってくる馬車に乗ってる時ですし、それが今日フィリップ様と顔を合わせて、私への態度を見て、諸々を繋ぎ合わせた結果やっぱりそうなのかなと確信した次第で」
フィリップという男は、紳士の皮を被ってはいるけど、中身は本能に忠実に従う獣で、欲しいものは何としても手に入れないと気がすまない性分だ、ということは、皮を被ることを止めた彼と接していくうちにすぐに見抜いた。
彼が欲しいもの。
一つはこの国そのものだ。
それはたとえ王配という立場でも構わない。女王となった人間を意のままに操ればいいのだから。
勿論革命を起こして王位を手に入れる、でもいい。
ようは国を統治する権力が欲しいのだ。
しかしそこで私腹を肥やそうと考えているわけではなく、あくまで国のトップとして、正しく国を導き国力を増強させ、未来に、自身の子孫に残したいと思っている。
それなのに、フィリップ様はちょろさ満点のチェルシー姉様の篭絡をせず、婚約破棄の展開に持っていった。
最も欲しいものが目の前にあって何の労力も使わずそれを手にできたのに、なぜ婚約破棄なんてするのか疑問だった。
しかも、代わりにリリアンヌ姉様と婚約しても再び王配の座に就けるのに、その姉様すら排除して、残った私との婚約を受け入れた。
彼は今の時点で、欲しいものはずっと手にしている。しかも、反乱を起こす気配もなく、むしろそれを止めるよう説得する側だ。
そしてスペアである私を次期女王に押し上げた。自分の立場はあくまで王族の下である、という姿勢を崩さず。
私の今の立場は、私が望んだものじゃない、彼が望んだからそうなったってことで。
なら、私に理由があるのだろうと推測できた。
私の方が操りやすそうだから?
いやいや、チェルシー姉様の方が遥かにやりやすい。邪魔になったら、療養させることにしたとか言って、どっかの僻地に追いやればいいんだし。
もしくは、どうしても私を手に入れたいなら、彼が反乱を起こして王家を掌握し、見返りに私を妃にと要求し、自分が王になっても良いのにそれもしなかった。
そうすれば、当たり前だけど私の立場は悪くなる。おそらく彼はそれを良しとしなかった。
そこまで考えて、思い出したリリアンヌ姉様とのやり取りや、エリーのあの態度。
そして私は、フィリップ様と過ごした過去の日々に想いを馳せる。
幼い頃の彼がまだ私にとって姉の婚約者だった時、そういった関係だからはっきりとした言葉や態度をされたわけじゃないけど、少なくとも嫌われていないとは感じていた。
いや、嫌いじゃないどころか、時々向けられる私の存在全てを絡め取るほどの熱のこもった強い視線は、きっとまずい類のものだと本能的に察知した。
対する私も嫌いではなかったが、あくまでもそれ以上は向こうが踏み込んでこなかったので、私も気にしては負けだと思って、気付かないふりを貫いた。
その矢先に留学が決まり、内心ほっとしたんだったっけ。
「……ということで、フィリップ様が私のことをどうやら好きらしく、私を手に入れる為にこのようなことをしでかしたのかなという結論に達しました」
懇切丁寧に説明し終わり、妙な達成感を味わいながらフィリップ様に目を向けると、彼は無の表情で、それでも私から一度も目線を外すことなく静聴していた。
だが、一区切りついたと判断したのか、頭を抱えながらもゆっくりと口を開く。
「腹が立つほどにその通りだ。が、よくお前は照れもせず、俺がお前のことを好きだという前提で淡々と説明できるな」
「それはきっと、私にとってまだあんまり現実的じゃないからですね」
「へぇ」
顔に凶悪な笑みが貼り付き、またまた劣情の炎を灯し始めたフィリップ様に臆さず、それで私のことが好きなんですよね、と再度同じ質問をすると、
「ああ。お前が思う以上に俺はアリシアを愛している。ずっと欲しかった。この国と同じくらいにな」
「随分と強欲な人ですね。知っていましたけど」
「だが俺はそれを叶えたぞ。国を手に入れ、愛する王女も手中に収めた」
「なぜ私なんですか?」
それは純粋な疑問だった。
容姿で言えば良くも悪くも普通だし、性格も、別段他人に優しくて慈愛に満ちているわけでもない。かといって他人に八つ当たりするとか性格が悪いつもりもない。
長所と言えるかは分からないけど、人見知りはしない方だ。
じゃなかったらこんな魔王ばりにビンビンオーラを放つ人と、長年呑気にお茶友達なんてできやしない。
するとフィリップ様は、あっけらかんと簡潔に答えた。
「分からん」
「え」
今度は私がぽかんとする番だった。
フィリップ様はそんな私を、間抜けな顔と笑いながら、その表情もなかなかにそそられるととんでもない感想を述べつつ、三度私に近付く。
けど今回は前回までのように、吐息が近付くほどの距離じゃない。人一人分くらいの空間は空けている。
「で、理由な。分からんもんは分からん。あえて言葉にするなら、素の自分でいても変わらず接してくれるところが嬉しかったとか、一緒にいると楽しいとかか? でも、本当にそれが理由なのかって聞かれても、自信はない」
そしてもう一度、分からない、と答えた。
「それって」
何か言おうとしたけど、フィリップ様はそれを遮り、
「大体いつ好きになったかなんてはっきりと分かる人間がどれだけいるのか、俺は知りたい。ほら、よく言うだろう、恋は気付いたら落ちてるもんだって。リリアンヌがその最たる例だろうが。言っとくけどあの二人、目を合わせた瞬間互いに一目惚れしたのが、端から見てても分かるくらいだったぞ。しかもリリアンヌに至っては、顔はまったくタイプじゃないのにと自分でも不思議がってたぐらいだ」
「つまりフィリップ様もそれと同じ、ということですか?」
「ああ。気付いたら欲しいと思った。喉から手が出るほどに。姿が見えないと、飢餓に襲われたみたいに強烈な渇きを感じた。なのにお前は知らん間に留学してて、死ぬほど苦しくて、何度追いかけて捕らえて閉じ込めようと思ったことか。だが、かといって籠の中の鳥にお前をしたいわけじゃない。羽をもがれたアリシアなんぞ、俺が好きになったアリシアじゃねぇだろうと思ったからな。だから我慢した。機が熟すのをイライラしながらじっと待って、んでようやくお前が俺のものになった」
「もしも私が留学中に誰かと懇意になってその人と結婚することになっていたら?」
「そうならないように、今まで監視をつけてたに決まってるだろう。学内にも、お前のすぐ近くにもな」
まあ確かに、何度か男子の学友にデートに誘われたけど、必ず相手が病気とか急用でなくなってたっけ。
あと私の近しい存在で監視といえば、十中八九エリーだろう。
「あなたの気持ちは分かりました」
「そりゃよかった。で、アリシア。お前はどうなんだ」
この質問は意外だった。
ここまで外堀を完璧に埋めておいて、今更私の気持ちを確認するというのか。
逃げ場などないというのに?
「好きじゃない、と答えたらどうなりますか?」
試しにそう尋ねると、それはそれは楽しそうに嗤った。
「好きにさせる。どんな手を使ってでもな」
完全に目の据わった雄の顔だ。
彼から発せられる凄まじい色気に反射的にびくりと体が反応する。肉食動物に捕食されるウサギか何かになった気分だったけど、残念ながら私はただの愛らしい餌になるつもりはない。
それに、どんな手を使ってでもと言ってるが、使いたかったら私の意見を無視してでもとっくに行使しているはず。
それをしないほどに、私はこの男に愛されているらしい。
彼を飼い慣らせるのは私だけ、か。
リリアンヌ姉様の言葉は確かに的を射てるかもしれない。
私はふぅと小さく息を吐くと、改めてフィリップ様と向き合う。
今にも襲い掛かりそうな空気を纏いながら、私たちの間は依然として同じ距離分空いている。
「好きじゃないっていうのは嘘です。が、好きかと聞かれると、正直まだよく分かりません。少なくとも今のフィリップ様と同じ程度の愛情を持っているかと問われたら、それは間違いなく、いいえという答えになります」
「だろうな」
「それでも、そうですね。うーん」
今度は私の方から彼に近付くと、瞬く間に距離はゼロになり、ぴったりと私たちの身体が密着する。
その瞬間、隣からごくりと息を呑む音がした。
見上げると、まさか私の方から近付いてくるとは考えていなかったのか、ぎょっと目を見張るフィリップ様の顔があった。
さっきはガンガン近付いてきたくせに、なぜ今になって動揺するんだと、なんだかそんなフィリップ様が可愛く見え、私はクスリと笑いながら言った。
「同じ空間に一緒にいて、今みたいにくっついたりするのは幸せだなと思える程度には、好きですよ。でも」
可愛かったのは一瞬で、この言葉で同意を得たとばかりにすぐに近付くフィリップ様の唇が私のそれに触れそうになる寸前、囁くように小さな声で、だけどはっきりと口にした。
「まだそれをするには早いと思います」
ぴたりと。
彼の動きが止まる。
互いの息がかかるほどの至近距離。ほんのちょっと顔を動かすだけで触れられる位置にある彼の唇が、掠れるような声を紡ぎ出す。
「どうせすぐに肌を重ね合うようになる。早いか遅いかの違いだろう」
「だとしても、今はまだ嫌なんです。だって私、そういうことは、たとえ政略結婚の相手だったとしても、ちゃんと好きになってからしたいと思っていたので」
これは私のまごうことなき本音だ。
たとえどんな相手だろうと、それこそ好色爺に嫁ぐことになったとしても、私はちゃんと相手を愛したいし、愛してほしい。
だけど、今のままでは私の彼への好きという気持ちがまだ足りない。せめて同じだけの熱量の愛を返せるようになってからがいい。
結婚式まであと一年で、終わればそんな気持ちなど関係なく、そういった行為を行わないといけないにしても。
「だから、私があなたを愛せるようになるまでは、できれば我慢してほしいなぁなんて」
別に王族の婚姻だからといって清い仲じゃないといけないということはない。
両親ですら、婚姻前から関係していたらしいから。
だから、彼が無理やりにでも私をものにしたって、彼は責められないし、既成事実を知った王家側は大喜びするだろう。
こんな私の甘ったれたお願いなど、彼は聞かなくてもいいのだ。
だけど、何かと葛藤するように苦悶の表情を浮かべしばらく身動きしなかったフィリップ様は、小さくうめき声を上げるとぱっと私から手を放し、そのままソファの反対側に倒れ込んだ。
「こんだけ我慢してきたってのに、まだお預けかよ」
手で顔を覆い、彼の顔は見えないけど、声からは悔しさとか苛立ちとか諸々の感情が垂れ流しだった。
「えーと、なんかごめんなさい?」
流れ的に謝っといた方がいいかなというノリでなんとなくそう言ったら、大きなため息をつきながら体を起こし、私の額を指で弾く。
「痛っ」
「うるせぇ、謝るな。よけい惨めになるだろうが」
「ここでやめてくれるフィリップ様は、結構好きです」
「……くっそ、覚悟してろよ。この一年で絶対にお前を落とす」
多分、私は彼のことを結構好きになっている。
いや、ずっと前から、フィリップ様には他の人とは違った感情を抱いていたんだと思う。
その時は私も幼すぎたし、取り巻く環境がそれを許さなかったからあえて形にはしなかっただけで、そのまま心の奥底にある箱に鍵をかけて隠してしまった。
今はその箱が開いたわけだけど、かといってまだまだ彼と同じくらい強い想いじゃない。
私は、もっと彼を知りたい。
デートをして、お茶を飲んで、エスコートされて夜会に参加したりしながら、もっと一緒に時間を共有して、彼を同じくらい好きになりたい。
だから。
私はそっと彼の手を握ると、にっこりと笑いかけた。
「はい。あなたと同じところまで、私を堕としてください」
気付いたらランキングの上位に入っていました!
お返事に悩んでしまって返せておりませんが、感想も読ませていただいております。
短編で綺麗にまとめようと作ったお話だったのですが、少し広げて、フィリップサイドの話や過去のお話、その後のお話も書けそうなら書いてみようと思います(今はフィリップサイドを作成しています)。
お読みいただき、ありがとうございます!
フィリップサイド完成しました。
下にとべるようリンク?貼り付けました。よろしければそちらもよろしくお願いいたします。