婚約者の私より幼馴染みが大切なあなたを、捨てようと思います。
「ルイーズ、金を貸してくれ!」
久しぶりに会った婚約者に対する第一声がそれ……?
私の名前は、ルイーズ・アシェント。16歳。伯爵令嬢。2年前に婚約した、ハリソン・ガードナー様が1ヶ月ぶりに会いに来たと思ったら、開口一番にお金を貸してくれと言われた。彼との婚約は、私の気持ちも聞かずにお父様が勝手に決めたことだった。ガードナー侯爵と夜会でお会いした時に、酔った勢いでそのような話になったとか……お父様は、そのことを全く覚えていなかった。覚えていないとはいえ、約束したのだからと言われ、仕方なくハリソン様と婚約をすることになった。
ハリソン様はガードナー侯爵家の嫡男で、金色の髪に緑色の瞳、目鼻立ちがくっきりしていて、とても美しい容姿だ。茶色いくせっ毛で、茶色い瞳の地味な顔立ちの私を見下していて、婚約者扱いしたことなど1度もなかった。
いつだって、私に会いに来る理由はお金だ。ここまであからさまな態度で接する彼を、好きになることは出来そうもない。それに……
「マーシャの体調が悪いんだ。すぐにでも医者に診せないと!」
私ではなく、ほかの女性を大切にしている。
マーシャ、マーシャ、マーシャと、私の名などほとんど口にしないくせに、何度も彼の口から発せられる名前。
マーシャさんというのは、ハリソン様の幼馴染みで、身体が弱いらしい。それが事実なのかは、私には分からない。それよりも、彼女の体調が悪いからといって、なぜ私がお金を出さなければならないのか……
お父様は、私が自由に出来るお金を毎月用意してくれている。ハリソン様は、その額のギリギリを貸して欲しいと言ってくる。まるで、私が用意出来る額が分かるみたいで気持ちが悪い。
そんなに彼女が好きなら、マーシャさんと婚約でも結婚でもすればいい。
「お断りします。私には、お金を出す理由がありません」
ハリソン様は私の腕を掴み、ギュッと力を込めて睨みつけてきた。
「お前はそれでも人間か!? マーシャが死んでも、お前は何も感じないのか!?」
何も感じない……とまでは言わない。どんなに嫌いな相手でも、人が亡くなったら悲しい気持ちにはなる。だけど、私はマーシャさんに会ったこともないし、彼女を助ける義務も義理もないし、何より彼女が病気だと言っていることも怪しい。
マーシャさんが病気だと、ハリソン様がお金を借りに来たのはこれが初めてではない。婚約してからの2年間で、ハリソン様には20回以上お金を貸している。お金を借りに来る理由は毎回同じで、マーシャさんの体調が悪いと言ってくる。
どんな病なのか聞いても、『マーシャは身体が弱い』としか言わない。2年間も同じことを繰り返して来たのだから、いい加減うんざりしている。
「私は、人間ではないのかもしれませんね。他に用がないのでしたら、とっととお帰りください」
うんざりした私は、彼の婚約者として接するのをやめた。政略結婚ではあったけれど、彼を愛そうと努力はして来た。容姿が釣り合わないのは分かっていたから、少しでも美しくなる努力もした。
2年間頑張ったのだから、もう自由になってもいいわよね?
私に追い返されたハリソン様は、トボトボと邸から帰って行く。
この日私は、彼と別れる決意をした。
別れると決めたけど、私から婚約を破棄するつもりはない。理由は、彼に慰謝料なんて渡したくないから。今まで貸したお金も、全て返してもらうつもりだ。
私を散々バカにして、ただのお金を出す道具扱いしてきたことを後悔させてやる。
その日の夜、一枚の手紙を書いた。
宛先は、リーシュ・ノーランド侯爵。リーシュとは、幼い頃からの友人だ。幼馴染みがいるのは、ハリソン様だけではない。私にだっている。
ハリソン様とのことを全て伝え、手伝って欲しいと手紙に書いた。
翌日、またハリソン様がお金を貸して欲しいと邸を訪ねてきた。このまま毎日来られたら迷惑なので、今回は借用書を書かせてお金を貸すことにした。
「借用書なんか、書く必要あるのか? 俺達は婚約しているんだぞ?」
応接室にお通しして借用書を差し出した私に、ハリソン様はそう言った。私が、婚約者だという認識はあるようだ。
「サインしないのでしたら、お金を貸すつもりはありません。どうしますか?」
納得したようには見えないけど、仕方なくといった様子でサインをした。
「これでいいだろ!?」
お金を借りに来ているのに、どうしてハリソン様が偉そうなのか。別れると決めたからか、前よりも嫌なところが増えた気がする。
「どうぞ」
お金を受け取ると、すぐにハリソン様は帰って行った。本当に、私のことをお金としか見ていないのがよく分かった。
お父様にもこのことは話してある。
よく2年も我慢出来たな……私って、偉い。
その翌日、マーシャさんに会いに行くことにした。マーシャさんの家は、小さな雑貨屋をやっているらしい。
今まで、マーシャさんのことをあまり知りたくなかった。だけど、もう逃げたりはしない。
「いらっしゃいませー!」
店の中に入ると、中年の女性が愛想良く接して来た。自宅は、店の2階にあるようだ。
「何かお探しのものはありますでしょうか? 今日は可愛い髪飾りが入荷したんですけど、つけてみませんか?」
「あの……買い物に来たわけじゃ……」
聞こえていないのか、わざと聞いていないのか、私の言葉には反応せず、髪飾りを私の頭に当てて鏡を見せてくる。
「良くお似合いです! 実は、この髪飾りは、亡くなった夫の知り合いが譲ってくれたんです。少しお高いんですけど、身体の弱い娘の為に少しでも足しにして欲しいと言ってくれて」
「そうなんですか……」
「お嬢様みたいな素敵な方に買っていただけたら、髪飾りも喜ぶと思います!」
買い物に来たわけではないのに、女性に勧められるまま髪飾りを買ってしまった。私は何をやっているのか……
この女性は、マーシャさんの母親だそうだ。
女性の名はコリー。コリーさんは、マーシャさんが幼い時に旦那さんを病で亡くし、女手一つでマーシャさんを育てて来たそうだ。
「ご苦労されたのですね……」
話を聞きながら、目にいっぱい涙を浮かべる。マーシャさんの病弱も、本当のことかもしれないと思い始めていた時……
「ルイーズ! 何をしている!?」
振り向くと、呆れ顔のリーシュが立っていた。
リーシュに手を引かれ店の外に出ると、はぁとため息をつかれた。
「まったく、あんな古典的な手に引っかかりやがって」
「古典的なって、まさか……」
「あの親子は、大嘘つきだ。旦那には逃げられ、それからは男を騙して金を貰っている。お前まで騙されて、どうすんだよ……」
リーシュがいなかったら、確実に騙されていたと思う。……勧められるがままに、髪飾りを買ってしまったし。
「もしかしたら、ハリソン様は優しいだけなのかな?」
あんなに演技が上手い母親に育てられた娘なんだから、ハリソン様を騙すのも簡単だったはず。
「勘違いするな、アイツは最低だ。たとえ騙されているとしても、婚約者に金を出させるのは間違っているし、何よりルイーズを大切にしないやつは許せない!」
二つ年上のリーシュは、幼馴染みでもあり、兄のような存在だった。リーシュもきっと、私のことを妹のように思ってくれている。
「そうだよね! たとえ親が決めた相手だったとしても、ハリソン様にはまったく誠意が感じられなかった。もう揺らがないし、あの母娘にも騙されたりしない!」
あのお母さんの娘なんだから、マーシャさんも手強い相手なのだと分かる。それでも、もう惑わされたりはしない。ハリソン様とマーシャさんには、思い知らせてあげるわ!
「改めて、来てくれてありがとう」
リーシュが雑貨屋に迎えに来てくれて、そのまま邸に戻って来た。作戦も立てずに、マーシャさんに会いに行ったことを後悔している。会えもしなかったけど……
「ここは、変わってないな」
幼い頃、リーシュと一緒に遊んだ庭園で、昔を思い出しながらお茶をする。リーシュが好きなハーブティーを、執事のルイスが用意してくれた。
真っ白なテーブルの上に、色とりどりのお菓子が並び、庭に咲き誇った花々の香りが辺りを包み込む。
足を組み、優雅にお茶を飲むリーシュの姿は、とても美しくて魅入ってしまう。
リーシュって、こんなに美しかったかな?
薄い茶色のサラサラな髪に、吸い込まれそうなくらい綺麗な藍色の大きな瞳。少し高めの鼻に、形のいい唇。幼い頃は可愛らしい容姿だったのに、2年会わなかなっただけで素敵な大人の男性になっていた。
「何だ? 俺に見惚れているのか?」
図星をつかれて、頬が熱を帯びる。
「リーシュったら、ズルい! 私なんて、子供の時のまま大きくなったみたいな容姿なのに、なんでそんなに変わったの!?」
半分冗談で、半分本気。
自分の容姿にコンプレックスを抱いているから、こんな風に思ってしまう。
「あははっ! お前は、そのままでいいんだよ。いつまでも可愛いルイーズだ」
妹としてだとわかっているけど、そんな綺麗な顔で言われたらドキッとする。久しぶりに会ったから、まだこの容姿に慣れそうにない。
「で、手紙のことだが、ハリソンを捨てる覚悟が出来たんだな?」
そうだった!
すっかり忘れていたけど、その為にリーシュにお願いしたんだった。
「覚悟って言ったら大袈裟だけど、ハリソン様と結婚なんて考えられない。お金のことも、マーシャさんのことも、私には受け入れることは出来なかった」
ハリソン様との結婚生活が、どんなものになるかは想像がつく。きっと、マーシャさんを愛人にする。それだけじゃなく、妻として扱われないだろう。
「俺が、もっと早く……」
リーシュがそう言いかけた時、
「そこに居るのは、リーシュか!?」
帰宅したお父様が、リーシュが来ていることを聞き、庭園に出て来た。
「お久しぶりです!」
リーシュは立ち上がり、お父様にイスを引いてあげて座るように促した。
リーシュのお父様と、私のお父様は幼馴染みだった。ノーランド侯爵が2年前に病で亡くなるまで、月に一度は家族ぐるみで旅行に出掛けたりしていた。親友だったノーランド侯爵が亡くなり、お父様はパーティーで飲み過ぎてガードナー侯爵とあんな約束をしてしまった。
「婚約の件は、すまなかったね」
お父様はイスに腰を下ろし、リーシュに申し訳なさそうな顔を向けた。
「頭を上げてください! 俺も父が亡くなって侯爵になったばかりで、何も出来なかったことを後悔しています」
「何の話?」
2人が何の話をしているのか、私には分からなかった。
「ああ、お前には言っていなかったな。ガードナー侯爵から婚約の話が出るずっと前から、お前とリーシュの婚約を考えていたんだ。ロジーとも、そう話していた」
そんなこと、全く知らなかった。
ロジーとは、リーシュのお父様の名前だ。リーシュのことはお兄様のように思って来たし、そんな目で見たことはなかった。
だけど、婚約者がリーシュだったら、こんなに傷付けられることはなかったのだと、迷うことなくそう思える。
「なーんだ! 本当は私、リーシュの婚約者になるはずだったんだね! それなら、最初から言ってよ。2年も我慢しちゃったわ」
リーシュもお父様も、キョトンとした顔をしている。
「お前……ハリソン君を好きだったんじゃ?」
お父様が、急に変なことを言い出した。
「ハリソンを好きだから、ずっと我慢していたんじゃないのか?」
リーシュまで、変なことを言い出す。
「私が、いつハリソン様を好きだと言ったの? 婚約者なのだからと、好きになる努力は2年間して来たけど、無理だった」
まさか2人共、私がハリソン様を好きだと思っていたということ?
2人はまだ不思議そうな顔で私を見ている。
「お前がハリソン君を好きだという噂が広がっていると、ガードナー侯爵から聞いたんだが? だから、リーシュではなくハリソン君と婚約させることになったんだ」
どうして、そんな噂が?
「俺も、その噂を聞いた」
そんな噂なんて、知らない。友人からも、そんな話は聞いたことがない。
「お父様からハリソン様との婚約の話を聞くまで、私はハリソン様のことを知らなかったんですけど?」
たとえ前から知っていても、彼を好きになるはずがない。見た目だけの、中身が空っぽなハリソン様に好意を抱くことは決してない。
「……これは、裏がありそうですね。おじさんは、騙されたのかもしれません」
確かに、そうとしか考えられない。
2年前、リーシュのお父様が亡くなった時に、婚約話を持ちかけて来て、お父様は何も覚えてはいなかった。翌日、お父様は了承したと邸を訪れ、私が知らないところで、勝手にハリソン様を慕っていることにされていた。
最初から、私達を騙す気で近付いて来たのなら許せない!
「お父様、ハリソン様に貸したお金は全額返して頂かなくてはなりません! 私達を騙したことを、後悔させましょう!」
2年間も、騙されていたことに気付かなかった。
マーシャさんが、この事に関わっていたかは分からないけど、私から借りたお金がマーシャさんに流れたのは事実。私の復讐に付き合ってもらうわ!
「私は、騙されていたのか……」
お父様は頭を抱えて、落ち込んでいる。
人がいいお父様は、騙しやすかったとは思う。リーシュのお父様が、いつもお父様の側に居てくださったから、それまでは騙されることがなかった。アシェント家は伯爵家ではあるけど、この国ポーシェで屈指の財力を持っている。その財力を狙われるのは、そんなに珍しいことではない。
リーシュのお父様が、どれ程お父様を守ってくださっていたのかが、今回の件でよく分かった。
「お父様が、落ち込む必要はありません。騙す方が悪いに、決まっています!」
私もバカだった。お父様が勘違いしていることに、全く気付かなかった。
「ルイーズの言う通りです! 俺も、ルイーズがハリソンを好きだという噂を信じてしまいました。俺にも、責任があります」
リーシュはお父様の背中を擦りながら、慰めてくれている。本当の父親のように、お父様を慕ってくれているのが伝わって来る。
「リーシュ、君は本当にいい子に育ったな。ロジーにそっくりだ」
お父様も、リーシュを自分の子のように思っている。
「リーシュ、ルイーズを頼む。無茶をしないように、君が見ていてくれ」
「任せてください!」
私が言い出したら聞かないのは、お父様が一番分かっている。優しいお父様だから、お金など気にせず婚約破棄して欲しいと思っているはず。
止めないのは、私の気持ちを察してくれたからだと思う。
リーシュの手を握り、私のことを頼むと、邸の中に戻って行った。
「おじさん、大丈夫かな?」
リーシュは、お父様の姿が見えなくなるまで心配そうな顔で見送っていた。
「ありがとう、リーシュ。リーシュが居てくれて良かった。お父様は、娘の私よりもリーシュのことを信頼してるみたいだしね」
少し悲しげな顔をした私に、リーシュは慌てた。
「そんなことはない! おじさんは、ルイーズを信頼してるに決まってる!」
冗談なのに……
真剣な顔で、フォローしてくるリーシュが可愛く思えた。
「やっぱり、リーシュは変わってない。リーシュはリーシュだね!」
「どういう意味だ? 俺が変わるわけないだろ?」
外見は変わっても、中身は変わっていなくて安心した。2年間ハリソン様だけを見てきたからか、リーシュがめちゃくちゃ素敵に感じた。
その後、これからのことをリーシュと話し合った。リーシュは私のことが心配で、ハリソン様のことを調べてくれていた。あの雑貨屋に、ハリソン様が週に三回程通っていることや、マーシャさん母娘が今まで沢山の男性を騙してお金を貰っていたことも調べてくれていた。
ハリソン様とマーシャさんが、幼馴染みということは事実で、ハリソン様が5歳の時からあの雑貨屋に通っているようだ。(お店に通っているだけで、幼馴染みと言っていいのかは分からないけど……。ただの常連ともいう)
マーシャさんを診たというお医者様に聞いたところ、身体が弱いというのは完全な嘘のようだ。そのことを、ハリソン様が知っているかは不明。
だけど、ハリソン様が私から借りたお金はマーシャさんに渡されているのは事実らしい。
「リーシュが、こんなに調べてくれていたなんて知らなかった」
リーシュは照れくさそうに、
「アイツに惚れてると思っていたから、どんな奴か調べたんだ」
そう言いながら、少し悲しげな顔をした。
私のことを、心配してくれていたことくらい分かる。嘘の噂とはいえ、リーシュを振り回してしまった。
リーシュのおかげで、色んなことが分かった。
ハリソン様と婚約することになった時、貴族の娘に生まれたのだから仕方ないと、私はすぐに諦めた。そんな私の為に、リーシュはずっと調べてくれていた。申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
翌日、友人の伯爵令嬢、ユーリ・マーカスに会いに行くことにした。馬車に乗り込み、マーカス邸に向かう。
ユーリは、なんでも話せる親友だ。だから、一番に会いに行こうと思った。
ユーリのことは信じたい……だけど、リーシュまで知っていたあの噂を、情報通のユーリが知らなかったとは思えない。どうして教えてくれなかったのか、聞かなければならない。
マーカス邸に着くと、ユーリに取り次いで欲しいと門番に話した。ユーリはすぐに出迎えてくれて、部屋に通された。
「急に来るから、びっくりしたわ。何かあったの?」
何も変わらない、いつものユーリだ。
「急にユーリに会いたくなったの。たまにはいいでしょ?」
ユーリの部屋でお茶をいただきながら、何気ない世間話をする。
「構わないわ。私も、ルイーズに会いたかったし」
屈託のない笑顔を向けてくれるユーリが、私に嘘をついているなんて思いたくない。
「そういえば、最後に会ったのはレミーの邸でのお茶会だったわね。あの時は、ハリソン様のことで悩んでいたけど、今は大丈夫なの?」
ユーリの方から、ハリソン様の話を持ち出してくれた。
「大丈夫よ。ハリソン様といえば、変な噂が流れていたと聞いたの。婚約する前に、私がハリソン様を好きだという噂、ユーリは聞いたことなかった?」
私の質問に、ユーリは明らかに動揺した。その様子を見る限り、噂を知っていたようだ。
「ごめん……その噂は、知っていたの」
素直に認めたユーリ。
ユーリは、申し訳なさそうな顔で私を見た。
「どうして、言ってくれなかったの? 言ってくれていたら、私はハリソン様と婚約しなくてすんだかもしれない」
「私ね、リーシュ様が好きだったの。リーシュ様は、ルイーズと結婚するんだと思って、諦めようとした。そんな時、ルイーズがハリソン様を好きだという噂が流れて、そうだったらいいなって思っていたら、あなたに話すタイミングを逃してしまった。私だけじゃなく、ほとんどの令嬢がリーシュ様狙いだったから、誰もあなたに伝えなかったんだと思う」
リーシュがそんなに人気があったなんて、全然知らなかった。私は無意識に、ユーリを傷付けていたのかもしれない。
「ユーリ……ごめんね……」
「ルイーズが謝ることなんて、何もないわ! 私は、自分の為にあなたを裏切ってしまった。本当に、ごめんなさい」
「ユーリは、今もリーシュのことが好きなの?」
「いいえ、もう違うわ。リーシュ様は、ずっとルイーズを想っていた。今は、リーシュ様を応援したいなって思ってる」
リーシュが私を? そんなはずない。
だけど、ユーリの気持ちは嬉しい。私じゃなく、リーシュの応援てところには少し引っかかるけど。
噂を流したのは、ハリソン様だろう。ただ、あんなに単純なハリソン様が、そんなことを思いつくとは思えない。きっと、マーシャさんの入れ知恵だろう。
マーカス邸から帰ると、珍しくハリソン様が邸を訪れていた。もしかしたら、私があの雑貨屋に行ったからかもしれない。
「ルイーズ、会いたかった!」
ハリソン様が待つ応接室に行くと、いきなり彼に抱きしめられた。あまりに突然で、ありえない出来事に私の身体は固まった。ハリソン様に抱きしめられているのだと頭が理解した時、身体中がゾワッとして全身に鳥肌がたった。どういうつもりなのかは分からないが、何をされても彼に惑わされることはないだろう。
「……何か、あったのですか?」
すぐにでも離れて欲しいけど、まだ婚約者として振る舞わなければならない。
「何もないよ。急に会いたくなったんだ」
そんなことを信じるほどバカではないし、例えこの人の気持ちが変わったのだとしても、絶対に受け入れはしない。
「……そうですか。ハリソン様が私に会いたかっただなんて、初めてのことで戸惑っています」
「何を言っているんだ!? 俺はいつだって、君に会いたいと思っている。ルイーズ、頼みがあるんだ」
彼が私に媚びを売るということは、目的がお金だということ。それなら、次に彼が口にするセリフは……
「マーシャが倒れた……
頼む! 金を貸してくれ!」
でしょうね。
前回は借用書を書かされたから、今回は媚びを売る作戦に出たようだ。マーシャさんは病気ではないのだから、倒れたというのも嘘だろう。
それにしても、お金を貸したばかりだというのに早すぎる。
「お金なんてありません。先日、お貸ししたばかりではありませんか。そのお金は、どうしたのですか?」
先日貸したのは、かなりの大金だ。体調が悪いからと医者に診せただけで、なくなるはずはない。病院に1ヶ月入院したとしても、お釣りが来るくらいだ。
「お前は、マーシャが死んでもいいのか!?」
それは、前回も聞いたセリフだ。それを言えば貸してもらえると思うのは、彼が純粋なのか、ただのバカなのか……きっと、後者だろう。
何を聞いても、何を言っても、同じことしか言わない。単純な彼ことだから、知っていたとしたら口を滑らせていただろう。ということは、彼は何も知らないということ。マーシャさんは、彼の前で病弱な演技をしている。彼女に騙されていると言っても、彼は信じないだろう。
「いくら必要なのですか?」
貯めていたお金を出すことにした。
「貸してくれるのか!? いつもと同じ額でいい!」
そのいつもと同じ額が、大金だと思っていないのだろうか。
「分かりました。今回も、借用書を書いていただきます」
「それは……」
急に動揺し始めた。マーシャさんに、借用書は書くなと言われたのだろうか。
「書かないのでしたら、お貸しすることは出来ません」
彼は必ず書く。彼女が病気だと本気で思って居るなら、倒れた彼女に早くお金を届けなければならないからだ。
「……分かった」
渋々、借用書を書くことに同意した。
「では、少しここでお待ちください。借用書とお金を用意して来ます」
そう言って、応接室から出る。
お金を貸すのは、これが最後だ。またお金を借りに来てくれて、正直感謝している。今回の借用書には、今まで貸した分の額もきちんと書くつもりだ。彼は前回、借用書にちゃんと目を通していなかった。文字を読むのが面倒だったのだろう。だから今回は、細かい項目も追加する。私が貸したお金を、家族以外の誰かに譲渡することを禁じる─── と。きっとハリソン様は、今回も借用書を書かされたなどとマーシャさんには言わない。怒られたくないからだ。こんなにも分かりやすい彼に、どうして私は騙されたのか……
お金と借用書を用意して応接室に戻ると、思った通り、彼は借用書をよく読まずにサインをした。お金を持ってきたことも、彼の判断を鈍らせることに繋がったかもしれない。これで、貸したお金は全額回収出来そうだ。
お金を受け取った彼は、『また来る』と言い残して、すぐに帰って行った。気持ちいいくらいに、私には興味を示さなかった。そのおかげで、罪悪感なんか全くなかった。
次の作戦は、もう考えてある。ユーリに手伝ってもらおうと思う。
ユーリには、お茶会を開いて欲しいとお願いした。そのお茶会に、ハリソン様を招待してもらった。彼はこれまで、何度かお茶会にマーシャさんを同伴させている。今まで、ハリソン様が私を社交の場に誘ってくれたことは一度もない。そのお茶会も、私ではなくマーシャさんを誘うだろう。
「お嬢様、ノーランド侯爵がお見えになっております」
「庭園にお通しして」
お茶会の招待状をユーリに出してもらった後、リーシュが訪ねて来た。彼が来たと執事に言われた時、嬉しさが込み上げて来た。
……私、どうしちゃったの?
リーシュに会えることが、すごく嬉しい。今までは、そんな風に感じたことはなかった。
急いで庭園に向かうと、私の姿を見たリーシュは優しい笑みを浮かべた。その瞬間、鼓動が早くなった。
ずっと、最低なハリソン様を見てきたからか、リーシュが素敵な男性に思えた。今までも、リーシュは素敵な男性ではあったけど、私にとっては幼馴染みで、兄のような存在で、異性だと意識する日が来るなんて思っていなかった。自分の気持ちが、変わり始めていることに戸惑っていた。
「今日は、どうしたの?」
気持ちを悟られないように、平静を装って彼に近付く。
「ハリソンが、マーシャと関係を持ったようだ」
私に気を使っているのか、リーシュの表情は暗い。ハリソン様がマーシャさんと関係を持ったと聞いても、何も思わなかった。むしろ、これで私から婚約を破棄しても慰謝料を取られる心配はなくなり、安心していた。
「リーシュは優しいね。そんな顔をしないで? 私ね、2年もハリソン様と婚約していたのに、それを聞いても何も感じないの。よく考えたら、彼との思い出は何もない。お金だけで繋がっていた婚約者に、未練なんかない」
ハリソン様は、友人にマーシャさんとのことを自慢げに話していたようだ。浮気したことを自ら話してしまうなんて、本当にマヌケなハリソン様。
友人に話したところをみると、隠す気もないようだ。どれだけ私をバカにする気なのか……。
「ルイーズは昔から強いな。幼い頃は、ルイーズのようになりたかった」
幼い頃のリーシュは、女の子みたいだった。見た目も性格も可愛かったから、たまに女の子なんじゃないかと錯覚した。
「私は、リーシュみたいに可愛くなりたかったな」
「ルイーズ……それは、褒め言葉じゃない。それに、お前は昔から可愛い」
リーシュは拗ねていたけど、昔の彼は本当に可愛くて、こんなにも素敵な男性になるなんて全く思っていなかった。
「可愛いなんて言ってくれるのは、リーシュくらいだよ。お世辞でも嬉しい」
リーシュは昔から、こんな私のことを褒めてくれた。可愛くないことは、自分が1番わかっていた。優しいリーシュだから、私のことを傷付けないようにしてくれた。
「俺は、お世辞なんて言わない」
真剣な目で見つめて来る。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳で見つめられて、トクントクンと鼓動が早くなる。
これが、恋なんだ……
2年ぶりに会った彼に、私は恋をした。
だけど、まだ私には婚約者がいる。今はまだ、この気持ちはしまっておかなければならない。どんなに最低な婚約者だとしても、今リーシュに気持ちを伝えてしまったら、ハリソン様と同じになってしまう。気持ちを伝えるのは、ケジメをつけた後だ。
お茶会当日。今日は決戦の日だ。
今まで蔑まれて来た分、全部返して差し上げるわ。お茶会へは、1人で出席する。きっと私を見ても、彼は動揺しないだろう。彼にとって、マーシャさんと一緒に居られることが何よりも嬉しいようだけど、天国から一気に地獄に叩き落としてあげる。
お茶会に行く前に、私には先に行く場所がある。ガードナー侯爵に、会わなくてはならないからだ。私から借りたお金は、全てマーシャさんに流れているのは分かっている。だとしても、お父様を直接騙したのはガードナー侯爵だ。
「せっかく来てもらったが、ハリソンは出かけて居るんだ」
ガードナー侯爵は、邸を訪ねた私にそう言った。応接室のソファーに座り、お茶を一口飲んでから、私は口を開く。
「今日は、ガードナー侯爵にお会いしに来ました」
ガードナー侯爵は、ハリソン様が誰と何をしているのか把握していないようだ。息子を無条件で溺愛しているのか、ただ無関心なだけか……
「私に? どんなご用かな?」
ガードナー侯爵は足を組み、葉巻をふかした。
「ハリソン様との婚約の件ですが、そちらから解消していただきたいのです」
それを聞いたガードナー侯爵はというと、全く動じていないのか、ゆっくり葉巻の煙を吹き出した。
「それは、どういうことかね? なぜ私に、君達の婚約を解消して欲しいなどと? 」
「解消していただけないなら、詐欺で訴えようと思います」
「君は、何を言っているんだね!?」
落ち着き払っていたガードナー侯爵が、少し前のめりになった。やましいことがあるという証拠だ。
「父がハリソン様との婚約を受け入れたと仰いましたが、それは嘘ですよね? 偶然あの夜会で、ガードナー侯爵と父のお話を聞いていた方がいらっしゃったんです」
この話は、私の作り話だ。その作り話に、焦りを隠せないガードナー侯爵。
「それは、誰だ……?」
「お答えするつもりは、ありません。ガードナー侯爵が、私達の婚約を解消して下さるのでしたら、このことは伏せておくつもりです。いかがなさいますか?」
完全なる、ハッタリ。最初に騙したのは、あなた達だ。
「…………」
ガードナー侯爵が考え込んでいる間、お茶を飲み干してしまった。上手く演技出来ていると思っていたけど、緊張しているようだ。
「……分かった。婚約は解消しよう。ガース、婚約誓約書を持って来てくれ」
執事が持って来た誓約書を受け取り、ソファーから立ち上がる。
「迅速な対応、ありがとうございました。それでは、失礼します」
誓約書を持ち、立ち去る。
ガードナー侯爵……詐欺では訴えませんが、残念ながらあなた達家族は多額の借金を負うことになります。きっとあなたは、アシェント伯爵家と婚姻を結べば、多額の援助を受けられると思い、ハリソン様の……いいえ、マーシャさんが考えた計画に乗ったのでしょう。何も条件を出さずに誓約書を渡してくれたところをみると、自分の息子が私に多額の借金をし、そのお金がマーシャさんに流れていることは知らないようだ。それでも、あなたは私の父を騙した。救いの手を差し伸べるつもりはない。
さて、次はハリソン様とマーシャさんの居るお茶会に行きましょうか。
お茶会が開かれている、マーカス邸に到着した。馬車を降りて、庭園に向かって歩き出す。
門番に聞いたら、2人はすでに来ていると言っていた。
今日は、このお茶会の為に今までにないくらいオシャレをして来た。あまり社交の場は好きじゃない。容姿が地味な私は、いつも陰で笑われて来たからだ。だけど今日は、すごく楽しみ。
庭園に行くと、皆が楽しそうにお茶を飲んでいた。すぐにハリソン様を見つけた。隣に座っているのは、金色のふわふわな髪に真っ白な肌、緑色の瞳にほんのり赤い唇のとても可愛らしい女の子。彼女が、マーシャさんのようだ。誰が見ても美しい彼女と比べたら、自分が余計に惨めになる。少しだけ弱気になった私の背中を、いつから居たのか、リーシュが押してくれた。
「行って来い」
たった一言だけど、私には十分だった。
ゆっくり近付き、2人が座る目の前の席に腰を下ろした。2人は話すのに夢中で、私が目の前に居ることに気付いていない。
「ハリソン様ったら、こんなところでいけません」
「いいだろう? 君に、触れていたいんだ」
婚約者の目の前で、イチャイチャする2人。他の人達は、気付いている。私達を見ながら、くすくすと笑い出す。
確かに、他の人から見たら笑ってしまうのも無理はない。人目を気にせずにイチャイチャしているところを見ると、2人の関係を周りに隠す気なんかないようだ。ずっとマーシャさんのことを、幼馴染みだと言い張っていたハリソン様が、友人にベラベラ話したり、人前でイチャイチャしだしたのは、私がマーシャさんの家に行ったことがきっかけのようだ。これはハリソン様じゃなく、マーシャさんからのメッセージだろう。『ハリソン様は、あなたじゃなく私を愛してる』そう聞こえたような気がした。マーシャさんは頭が良いと思っていたけど、買いかぶりすぎていたようだ。
「それ、いつまで続けるおつもりですか?」
長々とイチャイチャされ続け、飽きてしまった私は声をかけた。
「ルイーズ!?」
完全に気付いていなかったのか、本気で驚いている。
「ハリソン様……信じていたのに……酷いです……」
本気で驚いていたのが面白くなって、少し困らせてみることにした。
「こ、これはだな……」
少し意外だった。あんなに堂々とイチャイチャしていたのに、私に見つかったことに動揺している。浮気現場を見つかったことで、婚約を破棄されたら困るからだろう。それなら、もう少し気を付けたらいいのにと思いながら、両手で顔を隠して泣き真似をする。
「マーシャさんは、幼馴染みだと言っていたじゃありませんか! それなのに、こんな仕打ちをするなんて……」
「すまなかった! 裏切るつもりはなかったんだ!!」
悪びれもせず、よくそんな嘘が言える……
マーシャさんが好きだったから、ずっと雑貨屋に通っていた。彼女にお金が必要だと言われたから、私達を騙して婚約までした。私のことなんて、これっぽっちも気にしていないくせに、お金が手に入らないと思うと頭まで下げる。
情けない……
「マーシャさんは、どういうおつもりなのですか?」
ハリソン様のことは、後回しだ。ずっとマーシャさんのせいで苦しめられて来たのだから、彼女に思い知らせてあげなくちゃ。
「それは、仕方がないように思います。初めてお目にかかりましたが、ルイーズ様の容姿はお世辞にも褒められたものじゃありません。男性は、美しい女性に惹かれるもの……その容姿では、浮気されても文句は言えないと思います」
初対面な上に彼女は平民。それでも、遠慮するどころか笑顔で侮辱して来た。彼女は女性の魅力を、容姿だけだと思っているようだ。
私だって、好きでこのような容姿で生まれたわけじゃない。綺麗になる努力もして来た。何もしなくても美しいからと、他人を侮辱していいはずはない。私を見下すように見ている目は、ハリソン様と同じだ。2人は、似たもの同士。
「浮気したとお認めになるのですね?」
「私達は愛し合っているので、浮気には当たらないと思います。ルイーズ様の容姿で、こんなにも美しいハリソン様のお飾り妻になるのですから、感謝しないといけませんよ?」
マーシャさんは頭がキレるのだと思っていたけど、ただのバカだったようだ。浮気したことを認めてくれた上に、私がお飾り妻になると宣言した。もっと早くに、マーシャさんに会っていたら、2年も我慢しなくてすんだのかもしれない。
「ハリソン様は、マーシャさんに差し上げます。私はいらないので、好きにしてください」
私の言葉に、2人の顔が真っ青になった。ハリソン様は分かるけど、散々私を侮辱したマーシャさんが真っ青になる意味が分からない。あれだけ言われて、それでも私がハリソン様を手放さないと思っていたのだろうか……?
「ルイーズ、マーシャはただの幼馴染みだ! 冗談を言っただけだよ。マーシャは昔から、冗談が好きなんだ! な! そうだよな、マーシャ!?」
弁解をするハリソン様を、睨みつけているマーシャさん。何となくだけど、状況が理解出来た。ハリソン様は、私に愛されているのだとマーシャさんに見栄を張ったのだろう。そう考えると、先程の彼女の発言は、ハリソン様は自分のものだというアピールだったのだと分かる。
「…………」
プライドが邪魔をしているのか、認めようとしない。それどころか、私に謝りたくないと顔に書いてある。
正直、このやり取りは無意味だ。なぜなら、すでに婚約解消は決まっているからだ。
「マーシャ!? 何を黙っているんだ!? 早くルイーズに謝れ!」
少し意外だ。ハリソン様は、彼女の気持ちより私のお金の方が大事だと思っているようだ。
彼女の美しい顔が恐ろしい形相になっていることに、彼は気付いていない。
「その必要はありません。これ、何だと思いますか?」
ガードナー侯爵から受け取った、婚約誓約書を取り出して見せる。そしてそれを、2人の目の前でビリビリに破り捨てた。
「なんてことをするんだ!?」
ビリビリになった誓約書を、拾い集めようとするハリソン様。
「一度も婚約者扱いをしたことがないのだから、こんなもの必要ないではありませんか。友人にマーシャさんと浮気したことを、自慢していたのですよね? 今更、誤解? 私に知られても構わないと思っていた証拠ではないですか!」
「俺達は婚約者なんだから、君なら分かってくれるだろ? ルイーズ、愛しているんだ!!」
必死に婚約解消を阻止しようとする姿は、あまりに滑稽だ。隣のマーシャさんは、複雑な顔をしている。お金は欲しいけど、自分を蔑ろにされるのは我慢ならないようだ。
「もう付き合っていられないわ! 私は降りる! その不細工な金だけ女に、せいぜい媚びを売って仲直りするのね!」
その場から立ち去ろうと、イスから立ち上がるマーシャさん。お金もプライドも選んだようだ。自分が立ち去れば、私とハリソン様が仲直りするとでも思ったのか……
そうはいかない。マーシャさんを、この場から逃がすつもりはない。
「マーシャさん、話はまだ終わっていません。この髪飾り、ご存知ですよね?」
その髪飾りは、マーシャさんのお母さんが営んでいる雑貨屋で、言われるがまま買わされた髪飾りだ。
「知らないわよ! もういい?」
「この髪飾り、あなたのお母さんのお店で買ったの。コリーさんだったかしら?」
「だから、何だというの!? 買ってくれてありがとうとでも、言って欲しいの!?」
美しい顔が崩れるほど、イライラが表情に現れている。
「これ、金貨10枚で買ったの。でもね、銀貨1枚の価値もないんですって。詐欺で、あなたのお母さんを通報したわ。コリーさんは、私の他にも詐欺を行っていたらしく、自警団が目をつけていたそうよ。今頃は、陛下に報告が行っているはず。あなた達母娘は、もうこの国にはいられないでしょうね」
他の令嬢達も、コリーさんから買い物をしたのか、身に着けていたアクセサリーを外し出した。騙された人が、こんなに居たとは驚きだ。
「な……んで、なんでそんなことをしたのよ!? あんたなんか、ハリソン様に相手にもされない女のくせに!! 調子に乗るな!!」
物凄い形相で、私に掴みかかろうとしたマーシャさんを、そっと見守って居てくれたリーシュが取り押さえてくれた。
「いい加減にしろ。もう終わりだ」
「嫌ーーーーッ!! 離してーーーーッ!! ハリソン様、助けてーーーーッッ!!」
マーシャさんが取り乱しながら叫んでいるのに、ハリソン様はビリビリになった誓約書を、まだ集めていた。彼女を愛しているのだと思っていたけど、彼が大事なのはお金の方だったようだ。
「残念ね、ハリソン様はあなたをそんなに大切には思っていなかったみたい」
「ハリソン様……早く助けて! 私を愛しているでしょ? 私……体調が悪いの……」
頼れるのはハリソン様だけだと思ったのか、体調が悪いフリをし出した。すがるような潤んだ瞳、儚げな声……こんな風に、今までハリソン様を操って来たのだと分かる。でも彼は、それどころではないらしい。
「踏むな! それは大切な誓約書だぞ!!」
風で飛んで行った誓約書の切れ端を、必死に這いつくばりながら集めている。
「……ハリソン様……」
彼の姿を見て、その場に膝から崩れ落ちるマーシャさん。自分のことを愛してくれているのだと、絶対の自信を持っていたのだろう。
「もう病弱な演技も、通用しないみたいね。その嘘も暴露する予定だったのに、ハリソン様があれじゃあ伝えても無意味みたい。早く帰った方がいいかも。みんなあなたのお母さんに騙されていたようで、怖い顔であなたを睨んでいるわ。リーシュ、お願い」
このまま居たら、彼女の身が危険だと判断した私は、リーシュに邸の外まで見送ってもらうように頼んだ。大人しくリーシュについて行く後ろ姿は、すごく小さく見える。あれほど憎んでいたけど、何だか哀れに思えた。
「ハリソン様、マーシャさんは帰りましたよ? 追いかけなくて、いいのですか?」
這いつくばりながら、ハリソン様は私を見上げる。
「全部誤解なんだ! 俺は、あの女に騙されていただけだ! 病弱だと嘘をつき、俺を操っていたんだ!」
話を全部聞いていたようだ。必死に、バラバラになった誓約書を集めることで、同情を誘うつもりだったのか……
愛していたはずのマーシャさんを平気で見捨て、自分は被害者だと言うこの男は、どこまで最低なのだろうか。
「それ、拾い集めても無駄ですよ。ガードナー侯爵は、私達家族を騙していたことをお認めになりました。まだ私を、婚約者だと仰るのでしたら、訴えられることを覚悟してください」
必死にアピールしていた、拾い集める手が止まった。
「分かっていただけて、良かった。ああ、そういえば、借金を返していただかなければなりませんね」
「それは、マーシャに渡したんだ……」
「マーシャさんに、渡したことは分かっています。ですが、借りたのはハリソン様です。ちょうどここに、借用書があります。今までお貸ししたお金、全額返してくださいね?」
借用書を見たハリソン様は、目を見開いた。この借用書は、最後に書いてもらった借用書だった。
「……ルイーズ? これは、何だ?」
「気付きました? 書いてある通りです。貸したお金を、家族以外の誰かに譲渡することを禁じる。先程、ハリソン様はマーシャさんに渡したと仰ったので、この規約は破られてしまいましたね。ということで、ここに書いてある通り、『規約を破った場合、倍の額を返済する』ということになります」
「そんな金、払えるわけがないだろう!?」
やっと立ち上がると、真っ赤な顔で怒り出した。
「私を散々お金を出す道具として扱って来たのだから、倍の額は慰謝料だと思ってください。確かに私の容姿は、あなたやマーシャさんのように美しくはありません。ですが、それをバカにする権利は誰にもない!」
私の言葉に、何も言えなくなるハリソン様。
今までザワついていた周りの人達も、一瞬で口を閉じた。容姿しか見ていなかった人達も、少しは変わってくれるような気がした。
「ルイーズ~! カッコイイ!!」
パチパチと拍手をしながら、このお茶会を開いてくれたユーリが姿を現した。ユーリの明るい声に、静まり返っていた人達も拍手をしてくれた。
「ユーリ、今日はありがとう」
「私は何もしてないよ。凄く楽しいお茶会になったね!」
何事もなかったように、焼き立てのお菓子をメイド達が運んで来る。
「さあ、皆さん! お茶会を楽しみましょう!」
ユーリの合図で、オーケストラの演奏が始まる。
トボトボと邸から出て行くハリソン様に、誰も気付くことはなかった。ハリソン様が去ってから、すぐにリーシュが戻って来た。私を見つけて手を振ってくれた彼を見て、私も手を振り返す。
やっと終わった。
とりあえず、何も考えずにお茶会を楽しもう。
その後は何事もなかったように、リーシュとユーリと共にお茶会を楽しんだ。2年分笑った気がした。それほど、ハリソン様の婚約者だった2年間が苦痛だったと知った。
ガードナー侯爵は邸を手放し、半分を返して来た。全額をすぐに返すことは出来ないからと、分割して返すと約束した。借金まみれのガードナー侯爵家に、縁談が来ることはないだろう。あのお茶会で、ハリソン様の最低な行いが噂になり、容姿だけでは相手を見つけることは困難になった。
コリーさんが有罪となり、財産を没収され、母娘共々国を追放された。マーシャさんは恨みのこもった手紙を、ハリソン様に大量に出してから国を出て行った。その手紙を読んだハリソン様は、部屋に閉じこもり、出て来なくなったらしい。
─────小さな家に引っ越したガードナー侯爵は、息子が部屋に引きこもっていることに頭を抱えていた。
「いい加減、出て来い!!」
部屋のドアを何回叩いても、ハリソンは出てこないどころか反応さえしない。
部屋の隅で小さくなり、ハリソンはブツブツと独り言を言っている。
「……殺される殺される殺される……殺される殺される殺される……」
床に散らばっている、マーシャからの手紙には、『お前のせいだ!』『殺してやる!』『役立ずのクズ!』『逃げられると思うなよ!』『どこまでも追いかけてやるから、覚悟しろ!』などという言葉が書かれていた。女性不信になったことは、言うまでもない。
コリーとマーシャは、隣国に向かうことにした。持ち前の美貌で、隣国に行く馬車に乗せてもらっていた。
「お母さん、私、貴族はもうこりごり。次は、商人にしましょう!」
「そうねぇ、財産没収されたから、お金がないと困るしね。大商人を探さなくちゃね!」
2人は、懲りていなかった。得意げに悪巧みをする2人を待っているのは、地獄であることは間違いない。
あのお茶会から数ヶ月後、私はリーシュと婚約した。
「遠回りしたけど、やっとルイーズが俺のものになった」
庭園を2人で散歩していたら、リーシュが私の手をギュッと握った。指先から伝わる体温に、私の全身が熱を持ち始める。
遠回りしたのは、もしかしたら私達にとって良かったのかもしれない。ハリソン様との婚約がなかったら、リーシュの大切さに気づかなかったかもしれない。ずっと彼に甘えて、成長することがなかったら、彼を兄としてしか見ていなかった。
もちろん、リーシュはとても素敵な人だけど、幼い頃の可愛らしい彼の印象から抜け出せなかったような気がする。
「リーシュは、いつから私のことを好きだったの?」
不思議だったのは、リーシュの気持ちだ。好きになってもらえるほど、可愛げがあったとは思えない。
「初めて会った時からだよ。ルイーズは、初恋なんだ。お前の強さに、憧れを抱いたのが始まりだった」
リーシュは変わっていると思った。強い女の子が好きだなんて……
「その答えは、ロマンチックじゃない」
唇を尖らせて拗ねた振りをして背を向けると、リーシュは後ろから私を抱きしめた。
「ルイーズに触れたかったのを、ずっと我慢していた。お前のことが、頭から離れなくて毎日苦しかった。出会った日から、ルイーズが好きだった」
耳元で聞こえる彼の切ない声が、胸の鼓動を早くする。そんなに想ってくれていたのかと思うと、胸が苦しくなる。
彼の腕に、力がこもる。まるで、このままずっと離さないと言わんばかりに。
ロマンチックじゃなくてもいい。彼は、こんな私を可愛いと言ってくれる。いつだって、私を見守ってくれる。それに何より、愛してくれる。
「私も……リーシュが好き」
そう口にした瞬間、彼の方を向かされて、唇を奪われていた。
長いような、短いような、時が止まってしまったみたいな感覚。彼の唇が、ゆっくり離れて行く。
初めてのキスは、幸せな味がした。
END