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骸の騎士  作者: 雪民乃翁
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第九話 魔女との契約その三

指先まで鋼に覆われた手に掴まれた黄金の髪、血の気を失った青白い肌に開かれた黄金の瞳が僕を見下ろしている。

首無し騎士の手で揺れるお嬢様の首に驚き動揺する僕は、そこで初めて自分がいる場所が薄暗い屋内だという事に気が付いた。

「おはよう、と言うにはまだ早いがね」

聞き覚えのある声が耳に滑り込む。何処か優し気で、それでいて僕のことなど少しも気に掛けていないと分かる女の人の声。

燃え尽きた柱に崩れ落ちた壁を覆う蔓草、湿った夜の空気に草花の青い匂いが漂よう暗い部屋に僕はいた。

微かな月明かりが梁の合間を抜け、僕とお嬢様を照らす。

魔女は壁際の焦げた椅子に腰掛け、月影の下で微笑みを浮かべ僕を見ていた。

「ようこそ、我が館に私の家に。見ての通りかなり草臥れてはいるがね、君を歓迎しよう」

茨の魔女の館。

そこはとても人が住んでいるとは思えない、焼け落ち朽ち果てた廃墟だった。


鎧姿のお嬢様は手に下げた首を戻し、立ち上がった。全身を覆う板金鎧が軋みを上げる。

お嬢様の鎧はなめし革の長上着に、肩当や胸当てを縫い付けたものだったはず。あのような全身を包む板金鎧など、騎士団でも皇帝陛下を守る騎士様が纏っているのを見た事しかない。

それに大きい、背も肩幅も違う。まるで男の騎士様の様だ。

戸惑う僕に魔女は語る。

「ベルリアスの悔恨。愛する騎士の為に魔女ベルリアスが仕立て上げた鎧、戦で如何なる矢も刃も槍も寄せ付けず騎士の身体を守り通した鎧」

銀色の鎧は月明かりを受け、淡く輝いていた。

「しかし、守り通したのは身体のみでね。魔女の元へ帰ってきた鎧の、首から上は無くなっていた」

お嬢様は数歩下がり、魔女に向かって姿勢を正す。

「呪いの言葉を撒き散らし鎧を打ち捨て、魔女ベルリアスは半狂乱になり何処かへと去っていった。以来この鎧は強力な守りの力を持つが、必ず首から上を失う呪いで纏う者を死に至らしめる」

お嬢様の金色の髪が、鎧の上で輝いている。

「魔女ベルリアスは兜にも手を加るべきだったが、まぁそこまで考えが及ばなかったのか鎧で手一杯だったのかは私には分からない」

彼女とは面識が無いからね、と茨の魔女は笑う。

僕は言葉も無くお嬢様を見上げた

真っ直ぐに茨の魔女を見つめるお嬢様の黄金の瞳は瞬きもせず、静止したその姿は彫像の様に微動だにしない。

全身鎧とは不釣り合いな、お嬢様の小さな横顔から僕は目が離せなかった。

「生者には纏えぬ鎧だが、君のお嬢様とは相性が良い。何しろもう死んでいるからね、その首もすでに身体から離れているのは都合が良い。落ちても拾えば良いのだから」

死んでいる・・・そうだお嬢様はもう。

「ベルリアス卿も・・・そうそうこの鎧の名前だが、生みの親の魔女の名から私はベルリアス卿と呼んでいる。長い間首無し騎士と呼ばれていた卿も、ようやく己の首に据える騎士が現れたと喜んでいるよ」

鎧が喜ぶ、僕は良く分からずその名を呟いていた。

「・・・ベルリアス卿」

金属が擦れる音を立て、鎧が僅かに動いた。

「・・・」

無言のお嬢様の瞳が、僕を見る。

「ふむ、君の事も気に入ったようだ。結構な事だ」

魔女は立ち上がり、僕に歩み寄る。

「廃墟同然のあばら屋だが、隣の部屋なら雨風は凌げるだろう。天井はまだ抜けてないからね。人が寝起きするには足りない物だらけだが、必要な品は順次用意するとしよう」

魔女はその手にいつの間にか現れた焦げた毛布を、僕に掛ける。

「まずは身体を休ませる事が先だ、月もまだ高くから見下ろしている。今後の話は朝になってからにしようじゃないか」

魔女の手が目の前で揺れ、僕は眠気に襲われた。

「さあ、眠ると良い」

堪らず目を瞑りそうになるが、なんとか堪えてお嬢様を見上げる。

「・・・眠りなさい」

お嬢様の冷たい声が、僕を深い眠りに突き落とした。


朝日が、壁の焼け落ちた窓から部屋を照らしている。斑模様の煉瓦が積み上げられた壁、幾筋もの光を漏らす天井板。焦げた梁には蔦が這い、朝露の雫が床石の窪みに滴り落ちる。濡れた床石に沁み込む雫をぼんやりと見ながら、微睡から覚めた。

藁を敷いた部屋の隅に寝かされていた僕は、掛けられていた毛布を掴み身体を起こす。

疲れはない、あの震えるような寒さも手足の冷たさも消えていた。

瞬きしながら藁を掻き分け、立ち上がる。泥のついた靴底が湿る床石に滑りそうになったが、僕は歩き出した。

焦げた木枠に打ち付けられた扉の金具。扉そのものは焼け落ちたのか、金具の端に炭の様な欠片がこびり付いていた。

積み上げられた煉瓦壁に焼け残った柱の隙間を通り抜けると、魔女が腰掛けていた椅子と竈の横に出た。竈には古びた鍋が掛けられ、くべられた薪が上げる炎でくつくつと小さな音を立てていた。

鍋から昇る湯気と、燃え盛る薪の煙はすぐ上に穿たれた煉瓦の穴へ吸い込まれていく。見上げればこの部屋の天井は殆ど焼け落ちていて、青空に焦げた梁が幾筋も走りたなびく煙突の煙が見えた。

鍋から漂う匂いに惹かれ、立ち止まって見ていると不意に声が掛けられた。

「起きたのなら顔を洗いなさい」

お嬢様の声だ。振り向くと鎧を纏ったお嬢様が崩れた壁の外から僕を見ていた。

「お嬢様!」

朝日を浴びて立つお嬢様の元へ駆け出す。壁の穴を乗り越え、散乱した煉瓦に足を取られながらもお嬢様の前に立つ。

「この先の岩棚に、湧き水を貯める瓶があります。今のうちに手足と顔を洗ってきなさい・・・」

お嬢様の指差す先、背の高い木々が並ぶ森へ続く微かな道が伸びていた。

「はい。行ってきます!」

僕はすぐに答え、真っ直ぐ走り出した。嬉しかった、お嬢様が僕に命じて下さっている。昨夜の出来事が頭の中から消え去るほどの喜びが、僕を突き動かしていた。

草がまばらに生えた道を駆け抜け、森の中へ入る。薄暗い。張りだした木々の枝葉に日差しが遮られ、下まで明かりが届いていないのだ。湿り気を帯びた森の匂いに包まれながら、道なりに走っていく。お嬢様の言われた通り、直ぐに壁の様に切り立った岩棚に突き当たった。

僕の背よりも遥かに高い段差から、水が流れ落ちていた。岩の割れ目に腕では抱えきれない大きさの瓶が置かれ、途切れることなく注がれる湧き水を蓄え溢れさせていた。

僕は瓶から零れる水に両手を差し出し、受け止める。冷たい。水の冷たさに驚きつつまず両手を洗った。そして手に受け止めた水で顔を洗い、そこで顔を拭く物を持ってきていない事に気が付いた。

「・・・」

一瞬考えた後、上着で拭こうと裾を持ち上げる。

「やめなさい」

すぐ後ろから掛けられた声に、僕は驚きつつ振り返る。

いつ来たのかお嬢様が後ろに立っていて、僕に向かって折り畳まれた織物を差し出していた。

「拭く物も持たず駆けだして・・・話は最後まで聞きなさいと、いつも言ってきたでしょう」

「・・・はい」

もう聞けないと思っていたお嬢様からの叱責が、僕を現実に引き戻し浮かれた気持ちを沈ませた。嬉しさと、叱られる様な事をしてしまった自分への情けなさが入り混じり顔を伏せてしまう。着ている服を布巾代わりにする事をお嬢様は殊の外嫌っていらしたのに、それをやろうとしたのだ。

「はい、申し訳ありませんお嬢様」

受け取った繊維の目立つ布地に、顔を埋める。瞑った瞼の奥に、昨夜のお嬢様の姿が浮かぶ。鎧に包まれた手にぶら下げられた首が、僕を睨んでいた。

「・・・茨の魔女の力が及ぶこの森で、お前に危害を加えようとする者も獣もいないでしょう。顔を洗ったのならあまり離れない様に、周囲を散策してきなさい」

涙の沁み込んだ布から顔を上げた時には、既にお嬢様の姿は無かった。

「はい・・・お嬢様」

僕は立ち止まったまま、もう一度湿った布地に顔を埋めた。お嬢様は生き返ったわけではないのだ、茨の魔女に僕が願ったばかりにあのような姿にしてしまった。

僕はどうすればいいのだろう、どうしなければいけないのだろう。どうすれば、お嬢様に許していただけるのだろうか。

僕は答えの出ない問いかけを、繰り返し続けた。


-つづく-

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