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骸の騎士  作者: 雪民乃翁
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第八話 霧吹き山の魔女の森

頂きに白銀を纏う切り立つ峰が幾重にも連なった、人が踏み入ることを拒む険しい山脈が見渡す限り広がっている。裾野に向かって広がる麓の岩肌を蝕む様に、緑が押し寄せ大森林を形作る。突如現れる断崖、そして深い谷。樹々を縫うように雪解け水が吹き出し、幾筋もの小川が滝となって飛沫を散らし雪崩落ち、轟音を響かせる。山の頂から深夜から朝にかけ霧が流れてくるため、周囲の村々では古くから霧吹き山と呼ばれていた。

空に向かって柱の様に聳える葉の落ちた背の高い木々の合間を、イシュカーンは進む。揺れる鞍の上で外套の襟元をきつく握りしめながら、僕はかじかむ手に白い息を吹きかけた。

森の中を抜ける風は冷たく、容赦無く吹き付けてくる。吐く息は白く立ち上り、ゆっくりと後ろに流れ消えていく。僅かな隙間から冷気が入り込み、身体の熱を奪う。まだ冬季には早い筈なのに、寒いというより痛い。湿った空気に混ざる森の樹々の濃い匂いが、寒さに震える僕を包み込んでいた。

城塞都市エルドから夜通し駆ける事一昼夜、僕たちは茨の魔女が居を構える霧吹き山の麓に広がる大森林に戻ってきていた。並の馬ならその何十倍もの時間かかる距離を、妖馬は息を切らすこともなく軽々と駆けた。谷があれば飛び越え、川や湖が現れれば沈む事も無く水上を駆け抜けこの森に辿り着いた。

鞍上で揺れるお嬢様は目を閉じたまま一言も口を開かず、後ろにしがみ付く僕の服を掴む手はずっと固まったままだった。お嬢様は大丈夫なのだろうか、鋼鉄のガンドボルトの鉄鎚の最後の一撃はお嬢様に触れてはいない筈だ。見える範囲でお嬢様に目立つ傷跡は無い、でももし見えないだけで深手を負っていたとしたら。

お嬢様が傷を負ったことなど、骸の騎士となってからは一度として無かった。剣や槍の一撃を受けたことはあったが、どれもベルリアス卿の護りを突き抜ける事は出来なかった。魔剣であっても、首無し騎士の鎧を貫きお嬢様に傷を負わせた者はいなかったのだ。

鋼鉄のガンドボルトの嘲笑う声に、碧の魔力を纏った鉄鎚が重なる。お嬢様を打ち据えるべく振り下ろされたあの最後の一撃は、魔剣ポードボーグが不落の関門を破壊しつくした一撃に劣るものではなかった。もしイシュカーンが駆けだすのが一歩遅れていたら、もし差し出した手綱をベルリアス卿が掴むのが遅れていたら。僕とお嬢様はここに戻ってはこれなかったかも知れない。

震える手は、寒さだけによるものではなかった。今になって心臓が煩く鼓動を刻む。お嬢様が討たれてしまっていたかもしれない恐怖が涙を押し出し、溢れだした。

「・・・お嬢・・・様」

泣きべそをかく僕をよそに、不意に妖馬は歩みを止めた。だらりと下がった鎧の手から魔剣が滑り落ち、大きな木の根の一つに音も無く突き立つ。暫くして鎧は傾いて行きあわや落馬となった所で止まったが、お嬢様の首が転がり落ちた。

僕は慌てて飛び出しお嬢様に手を伸ばし、そのまま腹から地面に落ちる。敷き詰められた枯れた落ち葉に受け止められ怪我をするほどではないが、息は出来なくなっていた。もがきながら何とか短く呼吸を繰り返しつつ、ようやく身体を起こす。腕の中のお嬢様は眠る様に瞼を閉じたままだ。

「お帰りなさい」

すぐ後ろから、声が掛けられた。僕は慌てて振り返り、声の主が予想通りの相手だったと確認する。

茨の魔女だ。

「・・・もうし・・・わけ・・・ありま・・・せ・・・ん・・・」

腕の中のお嬢様は瞼を片側だけ開き、震える声で途切れ途切れに謝罪の言葉を繋ぐ。

「鋼鉄のガンドボルトは手強かったでしょう?無理せずしばらく休んでいなさい」

大きく張り出した根に腰を下ろした茨の魔女が、お嬢様に微かに光る手をかざす。

「あなた達を責めたりはしない、安心しなさい。ガンドボルトはあの鉄鎚一つで、臆病なベルクトを王に押し上げた傭兵上りの強かな男。これまで打倒してきた、力ある武器を振り回すだけの戦士達とは違う難敵。その事は理解しているつもりよ」

「・・・です・・・が・・・」

「魔剣ポードボーグにベルリアス卿の助けを借りても勝てなかった?」

「は・・・い・・・」

「そうね、でも反省会は後。今はあなたが休むのが先」

「・・・もうし・・わけ・・・」

何とか唇を震わせ言葉を絞り出すお嬢様の声は、今にも消え入りそうだった。

「さあお喋りはここまで。あなたの魂が燃え尽きる前に、灯した火種を失う前に深い眠りで休息をとりなさい。これは命令よ」

魔女の強い口調。はい、と答えてお嬢様は瞼を閉じる。

「頑固なお嬢様ね」

微笑みを浮かべたまま、茨の魔女はお嬢様の金色の髪を優しく撫ぜる。

「あまり無理をさせると、その腕の中のお嬢様が骸に戻ってしまう」

ああでも骸の騎士が骸に戻るというのも、おかしな言い方ね。と魔女は笑いながら、落馬姿勢で固まったままのベルリアス卿にも手を差し伸べた。

「この子達はしばらくここで休んでてもらうわ」

魔女が手を離すと、首無し騎士は何事も無かったかの様に身体を起こした。鞍に座り直し手綱を握り直す。

「あなたも、谷から汲んできた水で桶も満たしてあるから、一息ついてきたら?」

鎧を乗せた妖馬は頷き、ちらりとこちらを見た後静かに歩き出す。数歩ですぐに霧に融け込み、姿が掻き消える。

「ポードボーグはこの子達をお願いね」

「然り」

突き立つ魔剣は答え、柄が微かに唸りを上げた。

「私の森と霧があなた達を守る、大人しくしている限り危険は無い筈。ガンドボルトの追手が来てもここに辿り着けはしない。もっとも、向うもそんな余裕は無さそうだけど」

魔女は微笑みを浮かべたまま、遠くを見る。その瞳が何を見ているのか、僕には分からない。城塞都市でのお嬢様の戦いの全てを知っているように、僕の心も見通しているのかもしれない。

「・・・そうね、少しお喋りをしましょうか」

魔女が僕を見据えた。心臓が跳ね上がる様に鼓動を打ち、背筋を冷たいものが走った。


ここに座りなさい、と茨の魔女は腰掛ける根を二度三度叩く。僕は大人しく従い、落ち葉を払いながら根に登る。

魔女は腕を伸ばし、茨の刺繍も見事な袖で僕の目元を拭った。

「泣きべそをかいても事態は変わらない。幼子をあやす母親は、ここにはいないのだから」

「・・・はい」

魔女は微笑んだまま、僕を見下ろす。

「君のお嬢様は、辛うじて魂をその首に繋ぎ止めている。私はその魂に火を灯し、燃え上がらせることで骸の騎士とした」

手を伸ばしお嬢様の頬に触れる。

「ベルリアス卿は生身の人間では纏えない。卿の呪いは纏う者を蝕み、首を落として死に至らせる」

指先がお嬢様の瞼に触れる。

「切り裂く魔剣、破壊の刃。古より様々な名で怖れられてきた魔剣ポードボーグ。自らの意志を持ち、破壊と殺戮を求める魔剣は持ち主を死をもたらす。望むと望まざるとに関わらず戦場を、刃を振るう相手を求め持ち主に語り掛け続ける」

黄金の前髪を名残惜し気に梳かした後、魔女の手は離れた。

「・・・君達は何故、あの戦争に参加したのかしら?」

不意に、茨の魔女は問いかける。

「新興の帝国、海を隔てた地からわざわざこんな所に来て命を落とす」

馬鹿げた話ね、と魔女は笑う。その通りかもしれない。僕が知る限り、お嬢様と僕が暮らしたあの国とこの王国とに深い関係は無いからだ。

「・・・お嬢様は騎士として手柄を上げ、故郷の領地を取り戻すことを願っていました」

両手の中のお嬢様をそっと抱きしめ、僕は魔女に語る。

思い出の中の、おぼろげな両親の姿と重く穂を垂れる麦の畑。雑貨を扱う白い髭のお爺さんの店に、時々開かれる市の露店。そして、村を見下ろす丘に建つ領主様の館が思い浮かぶ。

僕は初めて魔女に、お嬢様の過去と騎士として何故戦争に参加したのかを語った。


農夫である両親が滞納した税の、不足を補うため新たに開拓地を治める事となった領主様に僕は仕える事となった。

不作が続いたこともあるが、歩き始めた弟と双子の妹が産まれたことも関係していた。

領主となった騎士家の一人娘である幼かったお嬢様の、遊び相手として丁度良かったとのことで僕は迎えられた。

領主様は幼子を税に取り立てる事を良しとせず、僕をお嬢様の従者として雇って下さった。

両親は領主様に感謝しながら、僕にしっかりとお仕えするんだぞと言い残し帰っていった。

それ以来、僕は二人に会うことは無かった。

お嬢様に仕える日々は、辛い事が多かった家での暮らしと違っていた。

朝早くから畑に出る事も無ければ、飢えを誤魔化す為にそこらの野草を咥える事も無かった。

食事は毎日二度十分な量が与えられ、これまで食べたことも無いような料理も祝い事の度に振舞われた。

服に靴もそうだ。お嬢様に仕えるため汚れた胴着は捨て、綺麗な上着となめし革の靴も頂いた。

従者としての礼儀作法や、読み書きも教わった。

感謝してもしきれない程のものを、領主様からお嬢様から与えられた。

僕は、何としてもお嬢様のお役に立たねばならないと誓った。

しかしその誓いは果たされなかった。

開拓地を疫病が襲った。

次々倒れる村人たち、僕の両親も幼い弟に妹も倒れた。領主様も病に倒れたと聞いた。

離れた地の親戚の貴族の館に招かれていたお嬢様と僕だけが、災厄から免れたのだ。

大領主直々に開拓地の放棄と、感染者の焼却を命じられた騎士家は共に炎に消えた。

季節が過ぎようやく帰還が叶うも、焼け落ちた屋敷と野草に呑み込まれた開拓地に対峙したお嬢様は涙を流さず誓った。

必ず騎士となって再びこの地に戻ることを、家名の復興を果たす事を。

領主様の剣の技量を受け継ぐと自負するお嬢様は、帝都での騎士団入団を果たすも貴族の子弟に埋没していった。

そんな折帝国は周辺国と戦争を続ける、とある王国からの要請を受け騎士団を派遣する流れとなった。

新興国である帝国は騎士団を擁するも、皆年若く実戦経験の少ない騎士が多い。

派遣は新たに騎士叙勲を受けた者と、志願者からなる二十名を新設した騎士団分隊として派遣した。

その中に志願したお嬢様と、従者として僕がいた。

すべては騎士として手柄を上げ、亡き父の領土である開拓地を取り戻す為。

騎士家の名誉を取り戻す為。

しかし現実は志も夢も希望も打ち砕いた。

お嬢様はあっけなく討たれ、僕は落とされたお嬢様の首と共に立ち竦んだ。

そして、茨の魔女と出会った。


語り終えた僕を見る、魔女の微笑みは変わらない。

お嬢様と僕の辿ってきた道のりも、魔女にとってはそれ程心を打つ物語ではなかったのだ。

もっと苦しい人生を歩む者たちもいる。

もっと辛い人生を歩んだ者たちもいる。

それでも僕は、何故お嬢様がこんな最期を迎えなかればならなかったのかが分からなかった。

静かに魔女は口を開く。

君が言うこんな最期を迎える選択をしたのは、君のお嬢様自身だ。

他にもっと選択はあっただろう。

違う道はあったただろう。

貴族や裕福な商家に嫁ぎ、平穏に生き子や孫に囲まれた生涯を送ることも出来た筈だ。

幸せではないが、不幸でもない人生を送れた筈だ。

それでもこの最期を迎える選択を、君のお嬢様は選んだ。

そんなつもりはなかったかもしれないがね。

剣を携え戦場に赴き、そして夢破れ討たれる最期を迎えた。

それは特別な事ではない。

君達以外にも戦に関わる大勢の者が、そうした最期を迎えている。

剣で槍で弓矢で貫かれ、一つしかない命を落としていく。

望むと望まざるとに関わらずにね。

残酷な結末に不満の声を。

望まぬ最期に恨みの声を。

己を討った者に対する怒りの声を。

悲嘆の涙を流す声を。

君に聞こえるかな?己の迎えた最期に何故だと問う彼らの声が。

私が彼らを導きこの森を安息と眠りの為に提供するのは・・・まあ私の庭先で恨み言を垂れ流しながら彷徨われるのが迷惑というのもあるが。

この世の理から外れたものの責務の様なものさ。

我関せずと知らんぷりを決め込む者もいるがね。

お節介と言い換えてもいい。

何となくでも良いさ。

私はそんな最期を迎えた彼ら、彼女らの為にこうして働いている。

見返りを求めてはいないよ。

ただの・・・魔女の気紛れだからね。

魔女は微笑みを浮かべたまま、口を閉じる。

ではなぜお嬢様は骸の騎士となって戦わねばならないのか。

魔女が指し示す者達に望まぬ最期を迎えさせるのか。

お嬢様は骸の騎士として魔剣を振るい、破壊と殺戮を振りまく。

それは何故かと問う僕に、茨の魔女は微笑みを浮かべたまま答えた。


「簡単な答えさ、彼の者達は私から大切なものを奪った。それは返してもらわなければならない、返せないのであれば償ってもらわねばならない。彼らが後悔に暮れ嘆き怖れ許しを請おうとも、一切譲歩はしない。それは出来ない、許す許さないの話ではないんだよ。彼らの行いが引き起こした災禍であり、彼らを裁く断罪でもある。その為の魔剣ポードボーグであり、ベルリアス卿の守りであり、イシュカーンという妖馬の助力なのだ。君のお嬢様は骸の騎士として彼らを束ね、骸の騎士として咎人を裁かねばならない。何故なら君の願いを叶えたのは私なのだから、君は願いの対価として私の望むものを提供しなければならない。それが魔女との契約。この茨の魔女と交わした、君の契約なのだから」

魔女の指先が僕の胸に触れる。契約の証。その言葉を裏付けるように心臓が激しく鼓動を刻み、血が駆け巡った。

「でしたら僕が、僕を骸の騎士にしてください!願いの代償だというのならお嬢様ではなく僕の責任です。どうか僕の首を落として、ベルリアス卿に据えて下さい。僕が骸の騎士になってあなたの望みを叶えます」

しかしその願いは無下に却下された。

「それは無理だね、ああ無理だとも。例え首を落としたところで君は骸の騎士にはなれない。只の屍になるだけさ。誰でも良いと言う訳でも無いし、代わりに誰かがなれるものでもない。無論この私でも無理なのさ。この世の理から外れた三つの存在を束ねた骸の騎士は、君のお嬢様あっての存在。だからこそ君のお嬢様は特別な得難い骸であるし、そう簡単に失うわけにはいかない大切な私の騎士なんだ」

僕は口を噤むしか出来なかった。

もう何も言えなかった。

魔女の言う通り、全ては僕の責任なのだから。僕がお嬢様を蘇らせてくれと願ったばかりに、この事態を引き起こしたのだから。

「・・・お喋りもここまでね、もう休みなさい」

座ったままの魔女の姿が、霧に包まれ消えていく。

『腕の中のお嬢様の目が開いたら、霧の中の道を通って私の家に来なさい』

遠く声が木霊する。

「・・・はい」

何とか、僕はその一言を絞り出した。

『・・・急がなくていいから、君も寝ておきなさい。そのままだと倒れてしまう・・・寝不足ね』

誰も居なくなった森の中、僕は目を閉じたままのお嬢様の首を落とさない様にしっかり抱え込んだ。

霧が漂い、流れる霧が消えてはまた現れ視界を閉ざす。この森の霧は只の霧ではなかった、茨の魔女が自らの領地と嘯く広大な森を覆う魔女の霧だ。

大きな木の根の間に座り込む、まるで小さな部屋の中のようだ。お嬢様を抱えたまま、瞼を閉じる。魔女に言われた通り寝不足だったようだ、僕は直ぐに眠りに引き込まれた。

この恐ろしい霧の漂う魔女の森で、僕は深い深い眠りに落ちた。


霧吹き山の魔女の森 おわり



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